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4文字「サブカル」の初出を探す

サブカルという言葉が示す対象は時代によって変わっており、その変遷をここで深追いする気はありません。ここではいつ「サブカルチャー」が「サブカル」の4文字になったのか、に焦点を絞ります。

そもそもワタシが「サブカルチャーとサブカルって違うものだったんだ」と思ったのはわりと最近、といっても約15年前。竹熊健太郎さんのブログ「たけくまメモ」にこういう記事があったからです。

その後中森君は「おたく」を離れて「新人類」になり、サブカル誌時代の「宝島」で『トンガリ・キッズ』を連載、『オシャレ泥棒』という小説を発表したり、「SPA!」で「サブカル最終戦争」という特集記事を発表して「サブカル」という短縮語を定着させ、「サブカル界の黒幕(笑)」として業界に君臨することになります(ちなみに「オシャレ泥棒」執筆時、中森氏のアシスタントをしていたのが宅八郎氏。俺は「宅」になる以前の彼(Y君)に会ってますけど、上から下までアイビー・ルックで決めたオシャレさんでした)。

俺の知る限り、差別用語としての「おたく」も、短縮形の「サブカル」も中森氏の「発明語」で、このふたつが同じ人間の手で流行らされたというのは、なかなかスゴイ話だと思いませんか。もちろん異論があるのは承知してるんですが。
2005/03/15 中森明夫「おたくの研究」をめぐって(1)

中森明夫氏が「おたく」というカテゴリを生んだのは有名ですが、「サブカル」という短縮形もそうではないか、と竹熊さんが書いていた。本当だったらすごい!と思ったんですね。それで意識的に「サブカル」という4文字を探すようになりました。

ちなみに、上記記事で竹熊さんが言及している『SPA!』は1991年12月24日号で、特集は「サブカルチャー最終戦争」です。そう、正式にはタイトルは略してません。でも文中ではたしかに多用されているので、〈「サブカル」という短縮語を定着させ〉たというのは、間違いではない気がします。発明したのではなく定着させた。

この話題はたびたびインターネット上でもくり広げられるのですが、おおよそ1990年代以降に広まったという説がくり返され、1980年代には見かけたことはなかったという曖昧な結論に終止します。それでは実際のところ、4文字サブカルはどこまでさかのぼれるのでしょうか?

1980年の使用例

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

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