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漠然とした大阪カルチャー認識(漫画編)(2018年『ASK ZINESTERS』#2)

これは2018年に関西でトークイベントをやった時に配布した冊子からの抜粋です。音楽と漫画について話を聞く、という展開のため、基礎知識を先にまとめて配布したのですね。

1940年代

赤本
1949年前後にブームとなった子供向けの漫画本。大阪の玩具菓子問屋街の松屋町で流通し、そこから全国各地へ売られた。書店ではなく駄菓子屋などで売られていた。仙花紙(くず紙を漉き直した粗悪な用紙)を使っていたため印刷ミスの多い粗雑な作りで、表紙に赤が多く使われていたのが特徴。代表的出版社に不二書房、育英出版、東光堂など。赤本自体は明治時代からあったが当初は講談本だった。その講談を漫画化したものが1930年代に登場しはじめ人気となった。1947年に出版され戦後漫画史の出発点とされる手塚治虫『新宝島』(育英出版)は赤本として登場した。40万部を売り上げたとされるが、買い取りだったため手塚は最初に3千円もらっただけだった。

まんがマン
1946年5月創刊、関西マンガマンクラブによる漫画同人誌。同クラブの会員は酒井七馬、小島功、南部正太郎、大坂ときをなど。会員には学生時代の手塚治虫がいた。戦後漫画同人誌の草分け。

ヤネウラ3ちゃん
1946年3月から『大阪新聞』で連載された4コマ漫画。作者は南部正太郎。爆発的人気となり、この漫画のために大阪新聞を買うための行列ができ、あまりの人気に「3ちゃん○○」という便乗した名前のお店や商品が多数登場したという。戦後新聞4コマ漫画の草分け。

1950年代

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1,720字
2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

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