調査中:「二次創作」の初出を探す
「二次創作」という言葉がオタク文化の中に現れたのはいつか、はなかなか難しい調査です。かつては「アニパロ」「エロパロ」「やおい」などと呼ばれていて、それはアニメキャラを使った漫画同人誌を作る人達の多くは「パロディ」という意識を持っていたからで、しかしそのうちアニメに限らないしパロディとも言いがたい、という作品が増えはじめ、しっくり来る言葉がない……と皆が困っていたところに登場した救世主、それが「二次創作」。
法律上の言葉では「二次的著作物」と言い、創作者の許諾が必要ですが、その辺の話は置いといて、現在使われてる「二次創作」という言葉の誕生はどこからか、は気になりますよね。
国会図書館デジタルで検索すると、1921年の記事が引っかかって、脳がぶっ飛びますが、もちろんそれを初出とするのはバカバカしいことです。でもそんなふうに、誰でも思いつける言葉として「二次創作」があったという事実はちょっと面白いです。後ろから4行目辺りを御覧ください。
で、今回は現在のオタク文化的な文脈における「二次創作」の話です。
この言葉に早いうちから反応していたのは大塚英志でした。雑誌『小説トリッパー』2000年春季号(2000-03、朝日新聞出版)での大塚の連載「物語の体操」の第四回目〈物語の体操・第4講「二次創作」と「世界観」〉(単行本収録時に「村上龍になりきって小説を書く」に改題)では、下記のように言葉と出会った時の印象を書き記しています。
2000年初頭頃までに初めて大塚英志がその言葉を聞いた、とすると、「二次創作」という言葉は1999頃に生まれたのではないか、と推測が可能です。実際、色々検索してもこれ以降のものばかりです。
大塚の発見以前の数少ない「二次創作」の使用例には、雑誌『広告』2000年1+2月号(2000-01-15)があります。この時期の『広告』には「ニュークリエイターフロムweb」という、ネット上のクリエイターを紹介する連載があり、この号から執筆者が篠田匡弘に変わりました。篠田は「TINAMI」という「pixiv」以前にあったオタク系イラストのポータルサイト/検索エンジンの運営者で、ネットのオタク最新状況をダイレクトに感じられる立場にあったと言っていいでしょう。その篠田の文章に「二次創作」が登場します。
既に言葉が説明なく登場します。これはもう仲間内では普通に流通していた言葉ということかもしれませんね。この原稿は雑誌発行タイミングからして1999年末に書いているはずなので、1999年に「二次創作」があったことはまあ確定で。
で、ここまでは自力で誰もがたどり着けると思いますが(?)、それ以前があったのに気づいたのでその話。
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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…
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