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創作に向き合う事

 最近、久しぶりにある作品にハマってしまった。ここでは名前を挙げないが、所謂「オタク向け」コンテンツ(失礼)に再び自分が夢中になれる日が来るとは思ってもいなかったので、正直びっくりしている。それと同時にここ数年下火だった創作意欲が息を吹き返したので絵の練習を再開している。ここで、文章を書きたい欲求を発散がてら自分のオタク遍歴をざっくりと振り返ってみたいと思う。

 自分が何のオタクかと言われれば、一番時間をつぎ込んだのは間違いなくボーカロイド界隈である。しかし今回はゲームや漫画について語ろうと思う。

 思えば、初めてそういう類の作品に触れたのは小学校高学年の頃だったと思う。漫画の貸し借りをしていた(と言っても私は漫画をほとんど持っていなかったから借りるばかりであった)友人からけいおん!などの作品を教わった。

 初めて漫画のキャラクターに単純な好き嫌い以上の感情を抱いたのは、中学生の頃だった。それは三次元の人間に対する恋心とはまた違った種類のものであるが、劣らず激しい感情だった。同時期にTwitterを始めていたため同じキャラクターを好きな人と繋がって絵を見せ合ったりキャラクターの誕生日タグに参加して数十分通知が止まらない経験をしたりしていた。今考えるととても恥ずかしい。最近、Twitterデータのバックアップを取るために昔の作品を見返したがよくネットに公開したな......というレベルのであった。それは同時に多少なりとも上達したことの証拠でもあるのだが。そういえば昔アメーバブログをやっていたことがあるのだが、アカウントもブログそのものも見つからない。記憶がないだけでちゃんと退会していたのであればいいのだが、今でもネットの海のどこかにあの頃したためた駄文が転がっていると思うといたたまれない。

また、当時は英語学習に力を入れていたため高校生の持つような電子辞書を買ってもらっていた。それを塾に持って行き、授業中にこっそり「日本文学1000作品」を開いて読むのがひそかな楽しみだった。これが太宰治という作家にハマったきっかけの一つである。他にはライトノベル”文学少女”シリーズの影響もあって、日本文学全般にのめり込むことになった。百人一首をきっかけに和歌の奥深さ知ったのも中学の頃だ。

 高校に入ったころからは、ほどほどに無課金でソシャゲをやり、(たまにイベントを走り、)各期1,2作品くらいアニメを追いかける緩いオタクになっていた。創作系の部活動に入っていたが受験勉強が忙しく、完成までこぎ着けた作品は少ない。しかし、同じような趣味を持った人たちに囲まれていたため、最もオタクとして充実した3年間だったと思う。また、色鉛筆の3原色のみを使って絵を描くのが好きで、Twitterで仲良くなった方が私の描いたアイコンを使ってくださったりもした。

 大学に入ってからは特筆することはあまりない。iPadを買って以来デジタルでもそこそこ描くようにはなったが、このnoteのカバー画像やTwitterにたまに載せるくらいであまり積極的に描いては来なかった。また、ご縁があって日本文学への愛を話した方に「そんなに好きなら自分でも何か書いてみないか」と言われたのをきっかけにはてなブログやnoteにぽつぽつと文章を書くようになったが、これもそこまで夢中にはなっていない。書き始めると楽しいのだが、手を付けるまでが億劫なのである。簡単に言うと活性化エネルギーが高いのである。つまり触媒が必要なのだ。ここで最初の話に戻るが、私にとっての触媒は何らかのハマれる作品の存在であった。その作品の二次創作は勿論のこと、何かに夢中になっているときはアイデアや創作意欲が湧き上がってくる。これは恋をするときれいになれるという言い伝えに近いのかもしれない。どういう理屈かは分からないが。

 小説、詩、イラスト、文章。どれも別ジャンルではあるが私はそのいずれも作るのが大好きである。どうしても書き(描き)たいという気持ちが完全に消えることはないだろう。中学時代のTwitterを振り返ったら、「いずれは(作品を)消費する側ではなく作る側になりたい」と書いていた。これも真実だとは思うが、突き詰めて考えるとどれだけの人が私の作品を見るかということに実はあまり興味がない。それよりも自分が求めるクオリティに達するか、自分は自分の創作物に満足できるかのほうが重要だ。そんな「創作」は自己満足かもしれない。自慰かもしれない。何と言われようと私は恐らくこの心が死ぬまでそういう生き方しかできない。ならば実力をつけて外野を黙らせるしかないのだ。昨日よりも今日うまくなるのは難しいかもしれないし、そもそもそれらは私の本業ではない。どれだけペースが遅くても、ひと月前よりはうまくなっていたいし、一年前の絵と並べて明らかなくらいには上達したいと思う。

 半年前、努力しても届かないならもはや辞めてしまいたいと思うほど創作というものが嫌になり、Twitterに流れてくる素敵な文章や素敵な絵や素敵な詩を目にするたびに落ち込む時期があった。この先もおそらく波のようにそういう時期は襲い掛かってくるだろう。しかし、私は創作を続けたい。凡庸ではあるが、続けた先でしか見えない景色が見たいと願ってしまったから。



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