ネーミングについて

どうもぶちゅです

ツイッターに書いたけれど

私のぶちゅっていうネーミングも
ある意味なじみがある言葉だけど
すこし下品に思われるかもしれない
ということで改名をしようかと
思ってはいる

なんかいい名前あるかな?

それで私が学んだ認識論からこの
馴染みについておまけで考えてみます

まあ関心のある人は以下読んでみて

もちろん既成概念

もちろんそれは既成概念であって
しかも一般的に認知されているもの
既成概念は悪いというイメージがあるが
実際別にそれ自体が悪いのではなくて

既成概念に囚われる

それが悪いというか効率をさげる
また正しい認識もできなくなる

既成概念に囚われないように
なれば勿論いいのだろうが
なかなかそれができない

その理由は

自分で考えていることだけを
取り入れるから

ある意味執着がそれを生じさせている
そこまではある程度分かる話だろう

だから柔軟な態度や謙遜な心構えなどが
必要となってくるのだが

もちろんそれだけで解決できる
わけではない

人の意識の構造を少し考慮にいれてみる

人は考えを育むときに

感情的な段階
理性的な段階
深い知性的段階

などがあると考えていいだろう

まあネーミングだったら感情的な段階だけでいいし
ニュースのほとんどはそんなものだし
ドラマや映画もほとんどがどうだ

意外に人は感情的な段階で
生活のほとんどをしているものだ

仕事をしていても創作活動的な何かを
していない限り作業は単調だし
そもそもロボットでもできるそんな
物も多いし

意外に人間は感情的な生き物ではある

だから理性的になると

理屈っぽい
ややこしい

という考えがでてくるものだ

そもそもmake a sense
という言葉がある位
英語圏はかなりロジカルである

senseをつくるという主体的な
行動があるというわけだ

まあそれでも人なので
感情に流されることも
もちろん英語圏でもあるが
ベースとしてロジカルなことは
面倒くさいことではない
という発想はある

という文化の違いはひとまず置いておいて

感情に流されないようにするには
人に備わっている理性的な部分を
活用しmake a senseすれば
いいことにはなる

つまり既成概念をコントロールするのだ

既成概念のコントロールするには

理性的な方法論でそれは可能だろう
ただし理性的になるには前提そして
条件や分析などのものが必要となってくる

特に前提はそもそも根幹的な出発点であるので
一番大事でそもそも既成概念の根本要素でもあり
人の認識のベースにもなっている

この部分の変更や柔軟性が実は既成概念に
囚われないで新しい発想ができる
正しい発想ができるという仕組みへの
一つのアプローチである

まあ分析力で何とかある部分があるのだが
根本が変わる方が勿論いい

日々自分の前提は何かを
意識してみてその前提から
どうしたら自分のいわゆる
馴染みの考え方の結論がでてくるのかを
分析してみるといいだろう

まあこの分析は慣れみたいなものだから
慣れれば誰でもできるようになるんだけど

注意点が一つ

その作業をする際は世界を忘れること
どういう結論が出るまでまあ瞑想みたいに
集中すること

それが必要になってくるだろうけれどね

一日30分でもやってみて
頭の更新をしてみたらいかがでしょうか

認識の構造についてはまたお知らせします

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