異世界転生やタイムトラベルははやっているが現実には起こらない

理想も何もないと言われようが
この現実に正しくは向き合わないといけないとそう思う。異世界転生なんか起こらないのは確かなことなのだ…


勿論そんなこと誰もがわかっている。科学的な知恵が今一つ浸透していなかった、100年程度以前の話ならもしかしたらとそう思うかもしれないが、現代のわれわれはそれを願う何かの気持ちはあるにしても、本当に起こるとは思っていない。

これは科学的な事実であり、そして現実そのものである。それはタイムトラベルについても同じものだ。


タイムトラベルなんか起こらない


異世界転生が無理なように、物理世界の時間の流れを乗り越えてタイムトラベルなんか起こらない。それも同じく私たちは無理だと知っている。光の速度を超えることは、人というか物質には無理なのである。

そもそも人が音速で飛ぶのでされ、訓練を受けないとできないもので吐き気とかにさえ襲われるもの。それが光速ならどうなるのだろうか?

確かに物理学者の中では多次元宇宙論とか、タイムトラベルの理論的可能性があるという一部の人がいるかもしれない。しかし科学者の多くはそれを信じてはいない。そもそも科学というのは現代ではとても現実的で確証的なものと思われているかもしれないが、仮説に準拠しているもの。仮説として多次元宇宙やらタイムトラベルがあると言っているだけで、実証されない限り科学的にはならない。

だからこれらは論と呼ばれて正規の学問である学となっていないのである。いわゆる天動説と同じようなものであくまでも理論的な可能性でしかないのだ。理論的に想定できるのではなくて、あくまでも仮説として立てることができるといっているのであって、錬金術とさほど変わらないレベルでしかない。

だからなぜ一部の科学者でしか多次元宇宙論やタイムトラベルを支持しないのかは、実にそれは実証できないからだ。これらは科学の中でも学問ではなくて、仮説でしかなく、証明されないものであるから新しい仮説を作る上での参考情報でしかないのだ。


それらは象徴であり、現実の意味としてとらえるものではない


でも一般的には受けがいいから、ことにSF作家などによってそれがふくらまされて伝わったのだ。それらが無意味かというと別にそうではなくて、そこには科学的、現実的な意味とつなげることが問題であるだけなのだ。

そこには非科学的や非現実的な意味しかないというわけではなくて、言葉ではいいずらいが人が世界を認識する上で必要な思惟の中における必要な何かしらの要素があるのだ。

なぜ異世界で人が人生をやり直すような話が多いのかも、存在の意味を考えたい気持ちがそこに働いているともいえるだろう。

そこから読み取るべきは、科学的な意味ではなくて象徴的な哲学的な意味である。そしてそれは人の生きる道や存在の意味などにつながるヒントを象徴的に伝えているメッセージであるのだ。

だから物語になっている。それを現実に臨むのは象徴をただ現実に展開して無理に現実化したり、偶像化して展開するのは意味がない。物語には物語の現実がある、それは象徴という現実をある種形つける以前の、現象化される以前のもの、その知識、そしてその形、そしてその存在意義や意味などを知ろうとすべきところに本当は進まないといけない。

まあ単なるエンタだと言えば、それで終わりになってしまう。エンタは人に勇気や笑いや力を与えるかもしれないが、人生の意味を悟らせる直接的なものではなくてそれを助長してくれる支えみたいなものであるから、エンタを超えて感じるべきもの、思惟すべきものはあるのだから。

それが人の価値を作り上げる認識というものの形と意味を探ることで、象徴はその架け橋なのだから…

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