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南都仏教の偉人・興正菩薩叡尊と伊勢神宮(廃寺を行く 5)

奈良市にある西大寺を拠点に、戒律厳守を実践し、民衆の救済活動を行った鎌倉時代の名僧 叡尊(えいぞん)は、我が国仏教界でも屈指の偉人であることは間違いありません。
鎌倉時代と言えば、法然や親鸞、日蓮、道元、栄西など数多くの宗教者を生み出した日本仏教の画期と言ってよく、彼らの興した宗派は鎌倉新仏教と呼ばれます。しかし、仏教界の主流はまだ南都北嶺であったことに変わりはなく、むしろ叡尊のように既存の教団に身を置きつつ、その革新を進めた人物のほうが、その当時は社会的な影響力が大きかったようです。

興正菩薩叡尊(奈良国立博物館HPより)

その叡尊(没後、その死を惜しんだ伏見上皇より興正菩薩の尊号を賜りました)と伊勢神宮の関りが、非常に深いものなので紹介させていただきます。

鎌倉時代になると、伊勢神宮(内宮と外宮)周辺には多くのお寺が建ち並ぶようになりました。今の伊勢神宮周辺とはまるで景色が違っていたのです。伊勢神宮は本来、皇室の宗廟であって、天皇本人以外が私的な願い事をすることは禁じられて(私幣禁断)いました。しかし時代が下って朝廷権力が衰退するにつれ、貴族や武家、富裕層からの経済的な援助 ~荘園の寄進~ と引き換えに、水面下で彼らの私的な祈祷を伊勢神宮に行う口入神主が現れるようになります。
また、伊勢神宮では僧尼の参拝や読経などの仏事も禁止されていました(神仏隔離)。しかし、貴賤問わず神仏習合の宗教観は自然なものであり、神様にため仏事を行う「法楽」もなかば公然と行われるように変化してきます。鎌倉時代初期の重源や、今回紹介する叡尊など奈良の高僧が、朝廷の命を受けて伊勢神宮での法楽を行うようになりました。

弘正寺もこうした法楽寺院の一つで、内宮から五十鈴川を約1kmほど下った場所にありました。叡尊たち真言律宗の教団の、伊勢における拠点であり、真言律宗は多くの信者を抱える有力教団であったとともに、病人や被差別身分の人々の救済活動を盛んに行っていたため有力者の支援もあって、弘正寺は隆盛を誇るようになります。
また、弘正寺は、鎌倉時代末期に起こった元寇の際、敵国退散を祈祷する法楽を伊勢神宮で行ったことでもよく知られます。ややこしいのですが、内宮も外宮も、神前つまり本殿で仏事を行うことは禁じられていたので、祈祷自体は内宮に近い弘正寺で行われたのです。

五十鈴川は内宮がある宇治地区への重要な交通路でもあった
弘正寺跡石碑(場所は高速道路の伊勢ICに近い、JAの敷地内)

叡尊の伊勢参宮は文永10年(1273年)と文永10年(1273年)の2度にわたり、合計で3回、大般若経の転読などによる祈禱が行われました。この法楽の霊験は明らかで、博多湾は暴風波浪の荒天となり元軍は退散したと信じられました。この文永・弘安の役の功労によって、伊勢神宮の一摂社に過ぎなかった内宮風宮(風日祈宮)と外宮風宮が別宮に昇格したこともよく知られるところではありますが、この時代の世間一般の評価としては、天照大神など天神地祇の神威もさりながら、叡尊ら真言教団が見せつけた仏国土日本の威力もまた、広く認識されるところとなったのです。

風日祈宮 神風の功により正応6年(1293年)に内宮の別宮に昇格した

このように広く世に知られた弘正寺でしたが、室町時代となり、宇治山田でも内宮と外宮の武力衝突など戦乱の時代を迎えると、戦火により伽藍はことごとく焼失し、その後、再建されることはついにありませんでした。
江戸時代末期の地誌である「勢陽五鈴遺響」によると、焼け残った本尊の大日如来像と叡尊の像が、粗末な庵に祀られているだけの状態だったようです。そして明治維新を迎え、新政府によって断行された廃仏毀釈により弘正寺は正式に廃寺となりました。

ところで、これは伊勢に何度か来た方でもご存じないことが多いのですが、弘正寺跡地から約2km離れた、内宮と外宮の中間地点に大五輪(おおごり)の五輪塔という高さ3mもある石塔があります。銘が刻まれていないため、建立の由来や時期には諸説あったのですが、山形大学の松尾剛次教授の研究により、この五輪塔は真言律宗系の石工集団による作で、叡尊の没後に弟子たちが建立した叡尊の供養塔であったろうという有力な説が唱えられ、急速に注目を浴びるところになりました。

大五輪の五輪塔

奈良の西大寺にも奥の院という本堂から1㎞近く離れた場所に、この大五輪の五輪塔に非常によく似た叡尊の五輪塔があるからです。
大五輪の五輪塔がもし室町時代初期に建ったものであるとすれば、伊勢市内に現存する石造物では最古の部類に入るものであり、宇治山田に残した真言律宗の影響の大きさが偲ばれると思います。
大五輪の五輪塔と奈良西大寺の五輪塔の関係については、また機会を改めて書きたいと思います。

せっかく伊勢に来られたら、ぜひこうしたあまり有名ではないけど歴史のある場所にも訪れていただければと思います。

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