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害も無害も自分次第

新しいモノに飛びつき、夢中になり、やめられず、害を知るのはあとになってから。けれど、害にするか無害にするかは自分次第という話。

例1 スマホ中毒
パソコン、携帯電話、インターネットを経て、現代は無限の情報が手のひらにある。そのうち、皮膚に埋め込めるようになるんじゃないかと思えるスマホ。これは時間泥棒にもなり得るし、答えを簡単に得ることが出来るので、人間が自分の頭で試行錯誤する機会を奪うのではという危惧もある。

例2 合成のシャンプー
十数年前、ヒーリング業界で働いていた頃聞いた話。ある産科医が「最近の赤ちゃんは産まれてくるとき、シャンプーのにおいがする」と話したそう(このエピソード自体もだいぶ前の話と思われる)。簡単に言うと、合成界面活性剤や合成ポリマーなど石油由来の合成のものがいかにこわいかという話。使用感がよくて安価な物が海外からどっと押し寄せてきて、私たちの親世代が使い始めたシャンプーなどの商品。それが母親の胎盤にまで行き届いてしまうのかと、商品の安全性にもっと疑問を抱くべしと教えられた。

それでも大事なことは、小林正観さんの本に書いてあった。「病気を治したい、不調をなくしたい」と一生懸命 玄米菜食を徹底し、体にいいものだけを食べる。けど、一向によくならない。あれもだめこれもだめと制限して食事が全然楽しくないのだ。それよりも、例え添加物や着色料が入っていようが、「おいしいおいしい」と感謝しながら楽しく食べる。その方が体がよほど喜ぶのだ。というようなことを書かれている。

スマホやシャンプーも同じで、「これはよくない」「使ったら害になる」という意識で使っていたら、また、使用をやめ不便さの中で不都合を感じながら我慢して暮らしていたら、そっちの方が害になる気がする。ある程度の知識と節度ある使い方というものは必要かもしれないが、あれもだめこれもだめの意識ではなく、与えられた便利なテクノロジーや品質に感謝しながら、楽しく快適に使っていく。この使用者の意識が一番のポイントってことなんだなと感じる。

さてここから、私のなかなかやめられないお酒の話に無理やり持っていく。

私は20年近く前に、アレン・カー著の「禁煙セラピー」と言う本でスパッとたばこをやめた。この成功体験から、今度は同著「禁酒セラピー」で断酒しようと試みるも、禁煙のようにうまくはいかなかった。
お酒は発泡酒500ml缶を1本にワイン1〜2杯、または芋焼酎お湯割り1〜2杯くらいの量を毎日飲んでいる(レモンサワーやハイボールも大好き)。そんなに多くはないので適量の範囲だとは思うが、休肝日を作ることがなかなかできないでいる。やめたい理由は、「時間、お金、美容、健康、幸福度、諸々の観点からやめた方がいいに決まってる」と思い込んでるから。お酒の悪影響、やめた方がいい理由は、断酒を試みるたび自分への説得材料としてかき集める。なので、「やめた方がいいに決まってることをずるずるとやめられない自分」というふうになってしまっている。

やめたくない理由(=やめられない理由)は、洗脳だろうがなんだろうが、「おいしい」「楽しい」「リラックスできる」「心身の疲れを和らげてくれる」と感じていることだ。仕事の後の開放感とともに飲むビールのおいしさといったら、皮肉にも喫煙時代の食後の一服のようだなw。

「今日も飲んでしまった」「やめられない自分はだめだなあ」などと思いながら飲むのは、大好きなお酒に失礼だし、これこそ体に悪い!「おいしい!」「ありがたい!」と、節度を持って感謝しながら楽しむこと。そうすれば、あれこれ自分にインプットしてしまったやめるべき理由が山程あったとしても、アルコールはきっと私の体には優しく作用する(と願う)。都合よすぎる解釈だとしても、後ろ向きに飲み続けるよりずっとましだ。たとえ多少おろかな日があったとしても、「人間だもの」と笑いながら、私は楽しく快適にお酒との付き合いを続けます(笑)!

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