【擬態】〜仮面姿のA面と等身大のB面で〜

.
この人も、あの人も、一見普通の仮面をかぶった変わり者。みんな仮面をかぶって人間社会にうまく擬態している。そんなことを考えながら、いつも他人をじっとりと観察している。人間観察だけでは済まされない。会話が出来れば相手の心の暗部を探り、背景を知るとその人自身を勝手に自己内面化し、今度はそれを勝手に相対化して人格を作り上げる。いわば人間採集までする気持ち悪い生き物なのである。
.
人間採集には対話を苦にしない社交性と強い好奇心が必要になる。そして僕は根っからの「性悪説」信者だ。人間は元々駄目な奴だと思っている。そこから生まれる疑い深さがさらに知的好奇心を駆り立てる。かく言う僕も普通の仮面をかぶった心に深淵の闇を抱える変わり者なのである。
.
擬態は誰しもが使っている。自分らしくいれることを誰もが望んでいるが、大人になると経験則を元に皆少しずつ擬態することを覚える。擬態は自己防衛の手段だ。身を守るために人間が手に入れた能力。人の細かな機微を見極め、相手・その場の空気に適応していく。
.
たとえば結婚式。晴れ姿の新郎新婦とそれを囲う友人達。新婦側の関係者は新婦の美しさに涙を浮かべ、自身の幸せを重ね合わせ、新郎側の関係者はどこか儀式的な感覚で式が終わるのを待っている。この光景が滑稽だ。みんな良い子に擬態している。腹のうちはきっと違うことを考えているのに。
.
たとえば電車の車両。いかにも怖そうな反グレが乗ってきた場合。一瞬車両がピキッとなる。そして皆、波風立てないよう擬態をし始める。
.
仕事や初対面の人の前で見せる自分は偽りの姿、つまり実社会の自分は別人格だ。そしてその別人格で他者から認められることを一種のゲームのように楽しんでいる。幸い、僕は少しばかり器用に擬態できるようだ。実際に他者からの評価を他人事のように俯瞰的に見ている自分がいる。その度、あなたが今見ている僕は「B面」なのよと言いたくなる。
.
しかし僕がなんとかこの実社会の中でもっているのもこの「B面」がまともな人格だからこそである。「A面」が変な奴であればあるほどこの「B面」は普通でなければならない。それが僕なりの持論だ。社会で生きるためにはこの「B面」で過ごす時間が圧倒的に長い。しかし「B面」は引き立て役。いよいよ僕が「A面」をさらけ出し始める頃には、相手の思考は僕のことで支配される。GAPを投与すれば、噛めば噛むほど味が出てくるするめのような人間になることが可能になる。
.
一般的に「人たらし」と言われる人はこういう擬態の天才だろう。相手によって相手の土俵で相撲が取れる横綱のような柔軟さを持ち合わせ、時には「C面」も「D面」も持ち合せる。ともすれば八方美人で終わってしまうところを本人格の「A面」軸が突出しているのでそうはならない。
.
「A面」と「B面」がさほど変わらない人もけっこういる。そういう人たちはよく言うと裏表が無い。悪く言うと個性が無い。
.
そんな僕の擬態がふっと解け、本人格「A面」を現すのは気を許せる人との時間とSNS上だ。気を許せる人というのは限りなく少ない。膨大の時間を割いてお互いを観察する必要がある。学生時代まではある種、半強制的に作られたそんな環境があった。しかし社会に出てからは他人のためにそこまでの時間と労力をかけるのはそう簡単ではない。
.
SNS上は知らない誰かに観察されているかもしれないという緊迫感とそこへ爆弾を放り込んでやろうという高揚感が交わりあっている。実際に相手の顔が見えない、一方的に語りかけるシーンにおいてもはやB面は必要ない。
.
僕の発信は自己肯定感に溢れたものがほとんどだ。かつ他人が嫌悪感を覚えたり・焦燥感に駆られるような、要素を含んでいる。画面の向こうで誰かが感情を揺さぶられるのを想像してしまう。これが僕の本質的な腹黒さであり、本人格なのだ。
.
SNSにはその人の本性が出る。そう考える所以だ。いろんな人の投稿の端々に本性が現れている。僕はこっそりとそういうのを感じ取りながらふふっと1人で微笑んでいる。
.
「生きてて疲れない?」また誰かにこんなことを聞かれそうだ。
.
「それはもう疲れるよ。でも好きでやってることだから。」僕はそう答えるしかない。
.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?