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うちの教祖が整形したっ!

「うちの教祖」とは、正確に言うと「私の両親が信仰している新興宗教の女性教祖」の事である。

もうかれこれ40年以上に渡り父と母はその宗教の教えを学び、熱心に信仰をしている。しかし私は、今世間で言われているような宗教2世にはならずに済んでいた。
10代の頃は何度も入信を進められていたけれど、どうしてもその気になれずにいたし、二十歳になる頃にはもう両親の家から出てしまったのでその機会も自然に失っていた。

世間を騒がせているいくつかの宗教とは異なり、私から見ても両親が信仰するその宗教はとても行儀が良いもので、信者の方々は誰も強制的に私を入会させようとはしなかった。それでも幼いころから度々両親と共に講演会やイベントに参加することも少なくなかったし、家の中でも父からその教えについて延々と話を聞かされたり、本を与えられたり、家族で毎朝正座をし一緒に「祈り」を唱える事もあった。そう、私の二十歳までの生活の中でその宗教は確実に大きな存在感を持ち、私もその教えを私なりに学び、理解し、そして父と母が尊敬、そして憧れ続ける大いなる存在である『女性教祖』への畏敬の念も何の疑いも無く持ちながら生きていたのである。

その新興宗教はやはり家族で入会する人が多かった。出会った信者の方々はみんな優しく知的な人が多く、教祖が講演会で語る教義はまるで哲学の講義のようで、子供が簡単に理解できる内容からは程遠かった。二十歳になってもその話は難しかったけれど、熱心な信者の両親が参加する年に何度かの講演会には一緒に行くことが多かった。私も直接教祖を目の前で見ることが嬉しく、まるで芸能人に会うのと同じような感覚だった。いつも家の中で話題になる憧れの存在。私たち家族にしたら彼女は「ほぼ神」だったのだ。

それなら「なぜ信者にならなかったの?」と思われるかもしれないが、その理由は簡単だ。うちの両親は大して夫婦仲が良いわけではなかったからだ。そう、共に同じ宗教を信仰し、日々生き方を学んでいるにも拘らずなぜかよく夫婦喧嘩をしていた。それは子供の心をカチカチに固まらせ、時には凍らせるほどの冷たい大人同士のケンカだ。それを何度も目にしていると、そんな「あまり幸せになれなさそうな教え」に私は意味を見いだせなかったのだ。

二十歳になり私はアメリカへ留学することになり家を出た。留学先へその教祖が書いた本が送られてくることもあったけれど、変わらず両親は私に入信を強制することはなかった。私は私で慣れない海外生活の中、不安に押しつぶされそうな時は何度かその教祖が書いた本を読み、心を落ち着けたこともあった。私が6才位のときからずっとそばにあった「宗教」だ。知らない間に私の体の血となり、肉となっていたのだと今は思う。例え正式な信者ではなかったとしても。そう、私はその教えと教祖を心から信じ、そして信仰していたのだろう。

留学を終え帰国しても私は両親とは離れて暮らしていたけれど、数年ぶりに講演会に行くことを勧められ、ある日昔から知っている信者の方と待ち合わせをして一緒に参加することになった。相変わらず私は自分から進んで教義を聞こうという気持ちは無かったけれど、それでも久しぶりに教祖の姿を見られることは何となく嬉しかったのだ。信者の方とは「元気だった?」と取り留めのない会話を交わし、決められた席に座るとその日の講演会についてのパンフレットを手渡された。そろそろ始まるといったところで、私は会場が薄暗くなる前に表紙をめくった。

そして私は、息をのんだ。

「ま、まさか?!」

人間というのは、あまりに想定外の事を目の当たりにすると一旦脳が停止し、目の前にある現実を受け入れるまでに相当な時間を要する事を私はこの時身をもって体感した。

そう、パンフレットにはどう見ても顔を美容整形した白いスーツ姿の女性教祖がにっこりとほほ笑んでいたからだ。整形というのは大げさかもしれないが、これは今から20年以上前の話だ。メスを使わず、ボトックスやヒアルロン酸などで簡単にシワ、シミ、タルミを改善させただけの施術かもしれないが、当時の私にはそれはもう「整形」以外の何ものでもなかったのだ。
女性教祖の目尻は少し吊り上がり、肌にはシワもなく、唇は美しくふっくらと膨らんでいた。そう、数年ぶりに教祖を見た私にとってそれは若干の呼吸困難と眩暈さえ覚えるほどの大きな衝撃だった。

「まさか?!いや、そんなはずない。いや、何かの間違いだ。教祖が、ずっと信仰してきた教祖が整形なんてするはずがない。そんなはずは絶対ない。」と頭の中で同じ言葉を何度も繰り返す。そして私はそのあと1時間ほど、信者が舞台上で語る体験談に耳を貸すこともなく、ずっとその教祖の写真を見つめ続けることになったのだ。
人は信じられないことが起こると脳が情報を受け入れられず、そして処理が全く追い付かず、とにかく状況を把握するまでに相当な時間がかかるのだ。その後実際に教祖が登壇し、教義を切々と説明していたけれど、私がその時考えていたことは、「隣に座って熱心に話を聞いているこの信者のおばさんは、この教祖の顔をどう思っているんだろう?」ということだけだった。

ここでお伝えしておきたいが、私は決して整形手術反対論者ではない。ボトックスだって、ヒアルロン酸だって、プチ整形だって、大規模修正だって個人の自由だと思っている。パートナーが、「俺、眉間のシワをボトックスで消そうかな?」と言ってきたのなら、「好きにしたらいいと思う」と答えるだろう。勧めもしないが反対もしない。

ただ、「何十年も信仰してきた我が教祖が整形をした」となると、私の心の中に強烈な違和感が生まれたのだ。頭が堅い!古い!と言われたらそれまでだろう。教祖だって美しくなりたいだろうし、たくさんの人から見られるのだからそれなりの見た目になることに何の問題があろうか?と言う人もいるだろう。確かにそうだ。彼女だって人間だ。そんな気持ちになり、顔を美しくすることに何の罪があろうか?そんなことは私だって分かっている。頭では分かっているのだけれど、どうしても腑に落ちないのだ。心がどうしても受け付けなかったのだ。なぜならうちの両親は確か、ずっと「人間の生き方、心の在り方」について学んでいたはずで、彼女はうちの家族にとって聖なる「ほぼ神」だった。

そう、私の中で「ほぼ神」だった教祖が、一瞬で「綺麗になりたい普通の人間」に変わってしまったのだ。

「私だって、奇麗になりたくてよ」

私の顔には幼いころ顔にからたくさんのほくろがあって、結構なコンプレックスだった。ほくろが増えるたび私は目に涙をためて親に訴えたものだ。「大人になったらほくろを絶対に消したい!」と。その度に父は私の目を見て、「自然のままでいた方が良い。」と言っていたものだ。
そこで私は父に聞いてみた。「教祖の整形した顔を見てどう思うの?」と。すると父はこう答えた。「忙しくて疲れた顔を信者に見せたくないのだろう。」と。「えぇえぇえぇええええぇえ?!そんな簡単に受け入れられるのか?!」と心の中で叫んで叫んでしまった。そうだ、父は本当に熱心な信者だったのだ。私とは違う。聞いた私が馬鹿だった。

各故、私がこの新興宗教の信者になることはこの「教祖の整形」をきっかけに全くなくなった。信者である両親やその他多くの信者の方々、ましてや教祖に対して批判的な気持ちというのは一切ないが、言うなれば「気持ちが冷めてしまった」という感覚に近いだろう。そして例え多くの信者を抱える教祖であったとしても、自由に生きてもいいのだ、と自分なりの解釈にどうにか辿り着いた。勝手に神の存在だと思い込んでいた教祖と言う名称の一人の女性に、自分なりの前提と定義を押しつけて生きていたのは私の方だ。

「もっと自由に、自分の枠を飛び越えて、人目など気にせずに自分の人生を歩め。」と、私は彼女の変わってしまった顔を見て自分なりのメッセージを自分に贈った。

Be Free!

私の親からその宗教の本が送られてくることはもう無いけれど、たまにその宗教団体のHPを検索しては教祖の現在の姿を探してしまう。そして顎のあたりがシャープになり、更にアップデートされたシワひとつない美しい教祖の横顔の写真を見ては、一瞬胸のざわつきを感じつつも「うん、私ももっと自由に生きていこう!」と改めて思うのだった。

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