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終のすみかの乙女たち「ロックT」

最近、花井さんの機嫌がすこぶる悪い。

何に対しても、「嫌だ、いや、イヤ!」の一点張り。

「さあ、花井さん、トイレに行きましょう」「イヤだ!」

「そろそろお風呂の時間ですよ」「風呂なんて入りたくないよ!」

それでも職員はどうにかこうにか工夫をこらして促す。

ひとり歩行ができない花井さんは、常に職員が介助をして歩行しなくてはいけない。

その度に「イヤだ!痛い痛い!殺される!」と、大騒ぎ。


「これって、ハラスメントになっちゃうんですかね?」

いつもの通り拒否する花井さんを、

やっとのことお風呂に入れた木村さんは、藤村さんにぼそっとつぶやいた。

「あんまり無理にだとね。でもご家族が希望していることだから、私たちはやるしかないのよね」

木村さんは、そうですね、とため息をついた。

「でもさ、花井さんがこうなった原因はあるはずよね。よく観察してみましょう」


花井さんが入所して約一年。

特にひどくなったのはここ二ヶ月の間だ。

花井さんに何があったのか?

ここ二ヶ月の変化と言えば、一人の職員が辞めて、二名の職員が入って来た。

でもそれって、花井さんに関係あるのかしら?

カラオケレクリエーション中のフロアで、木村さんはぼんやりと考える。

なんだかわからない、軍歌が流れている。

彼のカラオケレクは男性向きなのよね、利用者の反応を見ていつも思う。


「ないよ!ない!ない!」

朝早く、花井さんの部屋から大きな声が聞こえて来た。

駆けつけた職員たち。

「どうしたの?」

「私のTシャツがないんだよ」

「花井さん、あのボロボロのTシャツはこの間捨てたじゃない」

「もう三枚あったじゃないか」

「娘さんに確認したら、全部捨ててくださいって。だからほら、新しいの来たじゃない」

職員は花のイラストが描かれている新しいTシャツを見せた。

「こんなの着たくない!」

花井さんはそのまま、またベッドに潜ってしまった。


その顛末を聞いていた、新人ヘルパーの小倉さん。年男の72歳。

親の介護が終わり、ぽっかり空いた時間を埋めようと、

ここで働くことに決めたのだ。

「ところで花井さんって、幾つなんですか?」小倉さんは尋ねた。

「確か、昭和24年生まれの73歳だったかしら?」

「僕の一つ上の世代か」

ここで小倉さんはピンと来た。

花井さんにとって捨てられたTシャツは、好きなバンドのTシャツだったかもしれない。

かつてロック少年だった小倉さんは、今でもレコードやらTシャツやら、収集に余念がない。

小倉さんもかつて、奥さんにTシャツを捨てられた過去を持っていた。

「花井さんって、音楽好きだったりします?特に洋楽。ロック」

「さあ。どうだったかな」木村さんは空を見た。


「あ、そう言えば」

木村さんは、あるエピソードを話した。


二ヶ月前に辞めた子は、花井さんとよく気が合ってわ。

私なんか全然わからなかったんだけど、音楽の話をよくしていたみたいね。

彼女がカラオケレク担当になった時、洋楽が多くて、リーダーに注意されたの。

でも普段カラオケでは歌わない花井さんが、大きな声で歌ってた。


「あの。試しに今日だけカラオケレク、担当してもいいですか?」

小倉さんはいつも担当している若林さんに言った。

「小倉さん。介護の仕事始めて2週間ですよね?利用者さんの年代とか把握されてます?その時代に流行した歌を選ばないとダメなんですよ」

若林さんも小倉さんと同じ時期に入った同期だ。だけど介護歴は長い。

「私はきちんとリサーチしてますよ。ネットで探すと沢山出てくるんですよ。前の施設でもこう言うのやってたんでね。ほら、半分は戦中の世代でしょ。だから、軍歌は共通なんですよ」

「でもここ、女性しかいないし、軍歌はどうなんですかね?」

「前の施設でも、歌っていくうちにみんな乗ってくるんですよ。女性も男性も」

「そう言うもんなんですか」

そして今日も軍歌が流れるのであった。


数日経った今でも、花井さんの機嫌は治らなかった。

と言うより、以前にも増して拒否は酷くなり、

また部屋に引きこもるようになった。


「今日のレク、どうしよう」

パンデミックの影響で本日予定していた落語ボランティアが来られなくなった。

小倉さんは事務所の脇にあるギターを見つけ、

「あのギター使ってもいいですか?よければ、僕、ギターで何か歌いましょうか?」

「わー、ぜひぜひ!」職員は手を叩いて喜んだ。


さて、小倉さん、初めてのレクリエーション担当。

だいぶ緊張してい様子。

みんなは、じっと小倉さんを見つめる。

小倉さんはギターをかかえ演奏を始めた。


♪オールニーディーズラブ、オールニーディーズラブ~


花井さんがやってきた。

杖を持ち、よたよたと、歌に誘われるように。

職員は急いで、椅子を用意する。

花井さんは口ずさむ。みんなは小倉さんの演奏に合わせて手拍子。


あれから、花井さんと小倉さんは、音楽の話で盛り上がっているようだ。

たまに小倉さんがスマホから音楽を流して花井さんに聞かせてあげると、

懐かしそうに歌う。

Tシャツのことはすっかり忘れて、近頃は機嫌がいい。


今日は恒例の若林さん担当カラオケレク。

軍歌はやめてほしいと利用者さんから多くの意見があがり、軍歌は聞こえなくなった。

木村さんは、安堵した。


the end.

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