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【着物コラム】なぜ私達は、着物警察化してしまうのか。(NYファッションウィークでの着物ファッションショー)

こんにちは。蝶一です。

2016年に開催されたNYファッションウィークでの着物ファッションショーを紹介する動画がyouTubeにあがっていました。

結論からいうと、私はこのショーは素晴らしい取り組みだと思うし、ショーを企画した人達に無条件に敬意を持ちます(*^-^*)

ただ、動画のコメント欄は批判で埋め尽くされていました。そして、その大半が着物警察のようなコメントでした。

私達はなぜ着物警察になってしまうのでしょうか。

まずは動画をご覧ください。

ニューヨーク・ ファッション・ウィーク(2016年)に、着物スタイリスト浅井広海さんときものアルチザン京都さんが正統派着物のファッションショーを開催しました。結構前ですね。

ショーの目的をアルチザン京都さんは、ホームページで以下のように述べています。

「着物をつくる技術を次世代に引き継ぎ、さらに発展させたいのです。そこで、世界中のトップデザイナーが集うニューヨーク ファッション・ウィークという大舞台に挑み、本当のファッションに再構成の上で昇華させ、次世代に繋ぐ最初の道筋を切り開き、正統派着物を世界に向けて発信することで、着物職人達を励まし、さらに着物産業全体を再活性化させたいと考えました。」

上記のホームページや動画のインタビューから、ショーの意義は「正統派着物のショーをNYで開催し、着物を作る技術について、NYのファッション関係者に興味を持ってもらうことで、(将来的には彼らとのコラボレーション等により、着物産業の市場をNYまで広げることで、)着物産業の活性化をはかりたい」ということだと私は理解しました。


素晴らしい心意気ですよね😍

そもそも日本は人口減少局面にあるし、着物を着る人も少なくなっているので、着物文化を守りたいと思うのであれば、海外への市場拡大を志向することは自然な流れです。そして、そのための取り組みは歓迎されるべきもののように思えます。

ですが、現時点で211の動画コメントのうち、その取り組みの意義を肯定するものは数個しかなく、その他は以下のような批判コメントが並んでいました。

「外国人に着物を着せるなら、歩き方や着付けをもっとしっかり教えるべき。みっともない。下品。」

「日本人モデルを起用しなかったので、着物の良さが全く伝わらない。着物はやはり日本女性が一番」

「着物は着る人の中身や態度が伴ってはじめて着物になる」

「あんなショーをやるくらいなら、着物を単体でディスプレイした方がましだった」

そう、着物警察が溢れているのです。そして恐らく自分のコメントが着物警察になっていることに気づいていません。むしろ彼らは日本文化を守るための正義のコメントだと思っているでしょう。

この批判コメントの背景には、「私達の大切な文化である着物は、(着付けや歩き方を含め)私達の理想通りに海外の人達に伝えないといけない」という思考があると思います。

では、「私達の理想通り」って何でしょうか。今回に関しては、メディアを通して知る舞妓さんや芸妓さんの所作や『美しいキモノ』等の雑誌の着付け方が、『理想』という言葉に一番しっくりくると思います。

多くの批評コメントでは、「歩き方を教えるべき」と書かれていました。ですが、着物で美しく歩くということは、一朝一夕にできるものではありません。
私は茶道と日舞をお稽古していますが、歩き方についてはお点前や踊り以上に厳しく注意されます(今でも。。。グハッ( ゚Д゚))。舞妓さんや芸妓さんの歩き方が美しいのは、十代のころからの厳しいお稽古等があったからです。お稽古をしていない人でも、着物を日常に着て、なおかつ美しい所作を身に着けようと気を付けている人であれば、それが難しいことは実感できると思います。

また、実際に着物を着る人であれば、メディアで掲載されている美しい気姿を実現することは難しいことも実感できると思います。例えば私は出産を経て10kg(!)肥りました。そのため、前幅は27cm、後幅は31cm(!!)とビッグサイズで仕立てております。。。

これは着物を着ない人にはピンとこないかもしれません。身長155cmの私は、プレタの着物ではMサイズですが、Mサイズでは通常前幅は24cm、後幅は30cmで仕立てられていることが多いです。私は反物から仕立てないリサイクル等の場合でも必ず丈は直します。たかが数センチと思うかもしれませんが、その数センチで、歩いた時や正座をした時の着物の気姿の美しさが大きく変わります(ただ、結婚式に行く位の運動量では違いは分かりにくいかもしれません)。そして、お金が飛んでいきます(グッバイ諭吉(*꒦ິ꒳꒦ີ)˃)。

ランウェイのモデルさん達は、170cm以上のやせ型だったので、振袖を対丈で来ている人が多かったです。ランウェイを闊歩する彼女達一人一人に対して、私達が思う理想的な気姿を求めるということは、もはや着付け方でどうにかなる範囲を超えており、彼女達用に誂えなくてはなりません。それが費用の面からも現実的でないことは、容易に想像ができます。

つまり、「私達の理想通り」の気姿とは、着物警察を含めた大部分の人々にとっては、メディアの中で見るものでしかなく、決して私たち自身が実際に実践しているものではないのです。そして、実践していないために、その難しさが分からず、簡単に「教えればいい」と考えてしまいます。

「私たちの理想通り」のショーとは、具体的に書き出すと、モデルは長い間何かしらのお稽古を積んだスタイルも顔も良いプロのランウェイモデルをやっている日本人女性を集め、彼女たちのために着物を全て誂え、熟練した着付師と和髪がゆえる美容師さんを集めるということが必要になります。
多くの人がこれは不可能だと思うのではないでしょうか。

これは、サッカーをしたことのないコーチが、Jリーグの選手に向かって、「なぜ完璧なプレーが出来ないんだ」と憤っているようなものです。その結果何が起こるか。「完璧なプレーなんて、人間の身で出来る訳ないだろう、アホか(怒)」と選手達はプレーを止めてしまうでしょう。

では、「自分達の理想通り」のショーができないなら、やらない方が良いのでしょうか。
今のまま着物文化が衰退していけば良いと考えるなら、イエスでしょう。新しい試みを行わないならば、現状より良くなることはないからです。
でも批判をしている着物警察さん達はそれを望んでいるのでしょうか。

私は基本的に、着物警察は着物のことが好きな人達だと思います。見ず知らずの誰かを批判することは、多くの人にとっては時間の無駄です。ですが、知らない人のために自分の時間を使っても、着物について物申したいという人は、着物愛が深い人なんだろうと思います。

そして、海外に着物市場を拡大しようとする人達も着物を愛しその文化を繋いでいきたいと願う人々なのだと思います。

着物が好きな人達が着物を好きな人達を批判する。このようなことが続いては、着物は動画で言われている通り「消えゆくアート」になってしまうでしょう。それって、すごい皮肉だし、悲しいです(。•́︿ •̀。)

着物が消える未来のことを考えれば、モデルの歩き方なんてきっと些末なことだと思います。

着物は正義中毒に陥りやすいトピックです。「美しい着物文化を継承すべき」という命題は、多くの人の賛同を生みやすく、そのために批判している自分はまるで日本文化を守っている気にさせてくれるからです。

道行く人に対する着物警察はよく批判をされます。そもそも、見ず知らずの人にいきなり話しかけ、相手の服を批判するということが、ひどく無礼だということは、誰の目から見ても明白だからです。

ですが、海外でのファッションショー等の新しい取り組みをSNS上で批判することは、それ自体は無礼とみなされず、行いやすいことなのだと思います。

もちろん、批判をするなと言っているわけではありません。ですが、相手の努力を認めず、自分の実践を伴わない理想を根拠に批判をするのは、着物の未来を暗してしまいます。


つまり、何がいいたのかと言うと、ショーを開催した人達の努力に賞賛を送りたいこと、そして、私自身もSNS着物警察にならないように気を付けようということです。

だって、こんな風に着物警察を批判している着物好きの私も、同じように正義中毒なのかもしれないのですから。

今回のコラムは以上です。

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