企業の福利厚生制度は「四苦」をHackせよ


 私は企業の福利厚生制度の設計やその実現に向けた保険手配を専門とするチームで日々、人事の方とお話し、最適な制度提案を行う仕事をしている。

福利厚生制度と言えば多岐にわたるが、私は特に従業員が亡くなってしまった場合の遺族保障や働けなくなってしまった際の所得補償の制度を指す。(保険業界的には「団体保険」と呼ばれるものである)。企業によっては従業員の医療費の補助も会社が行うこともある。また、老後の資金のための退職金制度も保険ではないが、重要な制度である。

私の仕事は特に保険部分について、ベンチマークや企業の従業員の分布、昨今のトレンドなどから制度設計を支援し、保険の手配も行うというものである。
 今回は、自分が普段行っている業務に関して、中高で学んだ仏教的な観点も参照しつつ、その存在意義や重要と考えるポイントについて論じていきたい。

福利厚生制度の存在意義


このような制度は一般に、企業がセイフティネットを従業員に提供することにより、従業員の会社へのローヤリティの醸成や、エンゲージメント向上を目的として構築されている。
企業が全額保険料を負担する仕組みで用意することもあれば、団体割引と呼ばれるスケールメリットの効いた安価な保険料と簡易的な告知で従業員が補償/保障を購入できる制度を提供することもある。
 
しかし、先ほどさらっと「企業がセイフティネットを提供する」ことが「従業員のローヤリティ醸成」に結びつくと書いたが、本当にそうだろうか。なんとなく、病気やケガで働けない間に、会社が所得補償をしてくれたり、入院した際に会社が金銭的な補助をしてくれることは、想像にたやすいが、それはなぜなのだろうか。

もっと言えば、企業からしてみると限られた人件費の中で、その部分にフォーカスすることは合理的と言えるのか。そんな疑問が湧いてくるのは、ある意味当然であるし、私も批判的にとらえる必要があると考える。
このような疑問について、そもそも福利厚生制度の特性や目的などに照らし合わせながら、今回は福利厚生制度の存在意義を考えていきたい。
 

福利厚生制度と公平性


 
これらを考えるうえで、福利厚生制度構築において、重要な観点について触れておきたい。それは「公平性」である。


企業が限られた人件費の一部を福利厚生として提供する際、やはり多くの人にメリットがある制度が合理的と言える。そのように福利厚生制度の意義を考えたとき、レジャー費用の補助や保養所の提供は、人々の価値観に依存する部分がある。なぜなら、人によって楽しいことや嬉しいことは異なるからである。その人が今より生き生きできるようなアップサイドの福利厚生を実現することは理想的であるが、アップサイドは人々の完成や価値観に依拠しているため、公平性との両立が難しいところである。

そうした場合、ダウンサイド、つまり人々の苦しみや不幸な現象に対して、企業がなんらかのサポートを提供する方が、どちらかと言えば公平性を実現しやすい。もちろん不幸も人々の価値観に依拠するところがあるが、人間が有限な身体を持っている限り、痛みや動けないというプリミティブな事象は、少なくとも幸せの実現方法よりも普遍性・汎用性が高いと言える。

福利厚生制度が公平性を重視した設計に依拠するのであれば、ダウンサイドを解消する制度の方がその意義にマッチしている。こうした背景が、多くの企業が福利厚生制度においてセイフティネットの側面を重視することの理由となっている。
  

プリミティブで普遍的な負の要素とは


 
福利厚生制度に公平性を求める場合、人々にとってプリミティブな負の要素を取り除くことが肝要であることはここまでで述べたが、人々にとって普遍的でプリミティブな負の要素とは何であろうか。

そうしたことを考えている中で、仏教校出身である私はお釈迦様の「四門出遊」をいうエピソードを思い出した。
 
「四門出遊」とは、お釈迦様が出家を志すに至ったエピソードであり、良い家柄で何不自由ない生活をしていたお釈迦様が、住んでいる城の四方から年老いて足腰が立たなくなった人や、病に倒れて運ばれる人、そして亡くなった人が出入りすることを見て、人間にとって避けようのない苦しみを自覚し、最後の方角から出家者の堂々たる姿を見たことで、出家を志すというエピソードである。


このエピソードは、私たちが日常的によく使う「四苦八苦」という四字熟語のベースとなっているものである。エピソード中に登場した「老」・「病」・「死」、そして生まれることの苦しみである「生」を集めて、仏教では「四苦」と呼ぶ。

「四苦」についてそれぞれ見ていくと、下記のようになる。
 
生……生まれたことによる苦しみ。
老……老いること、気力や体力が衰退し、自由が利かなくなる苦しみ。
病……病による苦痛を感じる苦しみ。
死……死ぬことへの恐怖や不安、苦しみ。
 
人間が有限な身体を持つ限り、この四つの苦しみからは絶対に避けて通ることはできない。つまり、この4つが人間にとって普遍的かつプリミティブな負の要素であると、仏教は私たちに伝えている。
 

福利厚生制度は「四苦」をHackせよ 


仏教では、ある種これらの4つの負の要素に対して、執着を無くし、諦めをもって接することで苦しみから私たちを開放してくれることを伝えてきた。苦しみから逃れる術を教えてくれるお釈迦様のもとに人々は集まり、今でも多くの人がこの思想に同意している。少なからずの人が、仏教というフレームワークを信奉するコミュニティにローヤリティを感じ、エンゲージしていると言えるだろう。

ここからわかることは、人々のセンチメンタルな部分に訴えかけることは、コミュニティにエンゲージする上での重要な要素であるということである。
 
しかしながら、医療技術の発達した現代社会において、私たちは「四苦」に対して諦め以外の方法で接することができる。もちろん、「四苦」を完全に避けることはできないが、これらを和らげる方法についていえば、お釈迦様の時代と比較すれば多くを持っている。しかし、高度に発達した資本主義社会である現代社会では、こうした苦しみを逃れるための方法を利用するためにはお金が必要である。
 
これらをまとめると、そうした誰にでも普遍的な負の要素を和らげるためのお金を提供する仕組みを企業が用意することができれば、従業員からのローヤリティは醸成され、エンゲージメントも向上するのではないか。

これが私の考える暫定解であり、「四苦」に対して私たちが向き合う工夫として、冒頭に申し上げた「死」に対する遺族保障や、「病」に対する様々な補償/保障、補助、「老」に対して備える退職金制度がある。
 
これらの制度は、「四苦」を完全に避けることはできないが、何とか向き合っていくうえで必要な工夫(=Life Hack)である。

ほとんどの産業が第三次産業となるなかで、ますます企業価値の源泉は「人」に依存している。企業が人々を惹きつけ、持続的な成長を遂げるためにはエンゲージメントやローヤリティというセンチメンタルな部分にも向き合っていかなければならない。
そうした中で、人々にとってプリミティブで普遍的な負の要素である「四苦」をHackする福利厚生制度の構築は一考に値するだろう。

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