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カズさん

 花を習い始めて16年目になる。これは、私が社会人になってからの年数と同じ。仕事はすごく面白かったけれど、なんとなく、会社だけの人生になるのが怖かった。何もせずに仕事だけをしていたら、きっとそうなってしまうことを予感している自分がどこかにいて、新入社員になりたてのまだ仕事も覚えていない時に、"植物が好き"という気持ちから連想される習い事として、華道をはじめた。

 会社から歩いても行ける先生のお宅には、多いときは月に3回、少ない時には月に1回。忙しい時期は半年くらいお休みしたこともあるけれど、この16年間ずーっと通い続け、気づけば1級師範を持つまでになり、先生やお弟子仲間と一緒に、ホテルやイベントの大型の花の生け込みに出かけることもある。

 花を生ける行為は、無になることでありながら、自分自身と社会と会話することでもある。いわゆる、マインドフルネス、というやつだと思う。

 その日の花材は、当日教室に行くまでわからない。私に準備できることは、花ハサミを持っていくことだけ。
 晩冬-早春を感じるのは、花の教室で川津桜を手にするとき。まだ蕾もまばらな桜の枝を手にするだけで、春の訪れを感じることができる。長い枝をそのまま使うこともあれば、全て節ごとにバラして、マスとして再構成して使うこともある。原型のまま生けることは、ほぼ無い。木瓜(ぼけ)をいけるときだって、生けた後に、不要な枝を花ばさみで一つずつ大切に切り落としていく。木瓜は木瓜であって、木瓜では無い。

 その枝が不要かどうか。それは主観だけれど、同時に総意でもある。

 説明するのは難しいけれど。

 生け花の面白いところは、空間を作り出すことにある。西洋のフラワーアレンジメントも、習っていたことがある。二つの違いは、空間を花で埋めるか、花で空間を作り出すか。植物を使って、その空間を作り出すのが華道。花を生けることは、ほぼ、引き算する作業である。

 花材をわざわざ生けているんだから、引き算じゃなくて盛りでしょ!という声が聞こえてきそう。だけどね、不思議なことに、花材を生けることで、その花材がなかった時には意識することのできなかった部屋の奥行きや、窓の外の空気、差し込む日差し、季節の空気を感じることができるようになる。花材だけじゃなく、空間全体が粋になる。その生け花は、別の空間では成立することができない。そういう一期一会の作品を作ることが、なんだか私にとってはすごく大事なこと、価値があることで、美しい花をこれでもかと敷き詰めるフラワーアレンジメントも素敵で、大好きだけれども、趣味にしたいのは、生け花だなあと思っている。

 お花の先生の旦那さんは、すごく優しい人だった。カズさんと言って、先生の尻に敷かれるとは、ズバリな表現だと思うけれど、いつもお稽古に行くと、リビングに座って、じっと弟子が生ける花を見ていた。カズさんが時々、「あー、花を派手に見せすぎ」と小声で囁くときは、カズさんの感覚は鋭くて、先生に9割直された。

 私がちょうど結婚して、ちょっと仕事で忙しくして休みがちだった時に、カズさんは呆けてしまった。離婚した頃、帰らぬ人となった。自分のことで精一杯で、カズさんのことを先生に聞くこともできず、お線香をあげることもできないまま2−3年が経った。

 今日、お花に行って、祖父の介護をしている話をした時に、カズさんの話になった。カズさんは、病院で亡くなったけれど、自分が生まれ育った両国でお相撲の太鼓のお囃子が聞こえる場所で、眠りの続きのように息を引き取ったと聞いた。

 大事な人が、どんどん周りからいなくなっていってしまう。帰り道、半月が綺麗に見えて、この先一人になっていくんだなと考えるとしみじみ涙が出た。大事に育てられて、"普通"に大人になるときっと思っていただろう親のことを想像すると、仕事も趣味も家族構築も全部中途半端な37歳の娘なんて、なんて親不孝なんだろうかと思う。子供の笑い声が聞こえてくる知らない家の近くを通るだけでも、胸が痛くなる。私は、子供の頃から子供が苦手だから、胸が痛くなる必要なんて無いのに。

 今、介護できる家族がいて、仕事も食事もあって、眠る場所もあって、幸せ以外の何者でも無いのに、惨めな気持ちにさせられる自意識、社会、常識ってなんなんだろう。

 足るを知るでいいなと思えば思うほど、付き合いを続けたいと思う人は限られてくる。人はもともと孤独なんだから、自分が幸せだと思うことを大事に生きていけたらいい。だけど、なんでこういう価値観を分かち合えるパートナーと巡り会えないんだろうなあと思うと、自分自身の人見知りの性格や、クソ真面目すぎるところ、無駄に都会的なところ、協調性の無さ、全部を呪いたくなるけれど、人生の基本装備がこれなんだからしょうがないですな。

 今日の花材を、部屋に生け直せば、また良い風が吹くでしょう。

 そろそろ、好きな季節が巡ってくる。冬になったら、やりたいことがたくさんある。

 カズさん、ご冥福をお祈りします。

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