嫌なことノート 08_駐輪場をゲーミフィケーション化できないか
紙と鉛筆を渡されて、「はいどうぞ!」と言われたら、皆さんはどうしますか?
やはり、鉛筆を使って、紙に絵を描くのでしょうか?
それとも、文字を書くのでしょうか?
はたまた、鉛筆は無視して、折り紙をしますか?
正直なところ、この状況、私なら困ってしまいます。
「はいどうぞ!」の意味がわからないので、どうすれば良いのか全然わからない。
「何が正解なのかがわからない」という恐怖心があるのかもしれません。
不安で不安で、質問しまくることになると思います。
「はいどうぞ!」しか言われてませんから、何をしても良いんです。
めちゃくちゃ自由。
なのに、「こういうことはあり?」とか、考えてしまう。
自分で勝手に範囲を狭めてしまう。
これがもし子どもだったらどうなるでしょう。
恐らく、何も尋ねることなく、自分のやりたいようにやることでしょう。
絵を描くのか、折り紙をするのか、的を描いて鉛筆でダーツをするのか、何をするのかはわかりませんが、好き勝手にするのだと思います。
だから、子どもは、自由の発想の下、様々楽しんでしまう。素晴らしい。
その点、自分は、途方に暮れてしまう。
このシチュエーションで、
「その鉛筆を使って、その紙に、5分以内で、出来る限り大きく、犬の絵を描いてください。」
という指示があれば、どれだけ救われるか。
しかし、私のような不安屋は、その状況でも、「犬種は?」とか、「一匹だけ?」とか、
「まだ聞くか?」と言われるくらい質問するかもしれません。
そのくせ、「30秒で100匹の犬の絵を描いてください。」と言われたら、
文句を言いながら一応やってみるか、もう、はじめから無理だと思って何もしないか。
恐らくそんな感じ。
何かアイデアを出そうとするとき、あまりに自由度が高いと、なかなか難しい。
だから、制約はあればあるほど知恵を絞りやすく、アイデアにつながりやすい。
しかし、その制約が強すぎると、今度は、ハードルが上がりすぎて何も出なくなってしまう。
そう考えると、強い制約の中から生み出されたアイデアは、それだけよく練られたものである可能性が高く、
結果、すばらしい成果に結びつく可能性があるものなのではないか。
と思うわけでございます。
今回はそんなお話し。前置き長っ。
我が家の最寄り駅の駐輪場。
どこの駐輪場もそうなんでしょうね。マナー悪し。です。
こんなの駐輪場の中に入れない。
朝の急いでるときにこれをやられると辛い。
線が消えてきたので、
引き直してくれたのに、これ。
駐輪場からはみ出してとめてるのもある。
自転車が少ないときは、こんな感じ。田舎なんでね。雨が降ると、皆、車で送迎してもらわないと通えない。
この程度の数だから、文句言う程のものではないんですけど、でもやっぱりね。
気持ちよく利用したいじゃないですか。
だから、最低限ちゃんとしてほしい。
さて、嫌なことノートですから、「嫌だ」だけ言ってもはじまりません。
どうするか?ですよ。
しかし、これ、どうしようもない。
なぜなら、制約の範囲が不明だから。
そりゃ何も制約がなく、言ったとおりのことがすべて叶うのなら、
「駐輪場によくある自転車スタンドを導入すれば良い」とか、
「きっちりと並べなおしてくれる人を雇えば良い」とか、
「いっそのこと、何階建てかの立派な駐輪場を建設すれば良い」とか、
何とでもなるんです。
つい先日もテレビで紹介されていた、すべて機械化された地下駐輪場。
(JFEエンジニアリングのページより引用)
これはすごいですね。
「サイクルツリー」というのだそうですが、こういうのを建設してもらえば良い。
ということになる。
しかし、そこには、当然、購入するコスト、雇うコスト、建設するコスト、様々なコストがかかります。
もちろん、ここで言うコストはお金のことだけではありませんね。
いわゆる「リソース」といわれるものであり、何かをしようとするときにかかるもの全般です。
そのようなコスト的な制約で、実現は難しいでしょうね。恐らく。
制約の範囲が不明なので何とも言えませんが、非常に難しいでしょう。
誰が費用負担をするのか?費用対効果はあるのか?などなど、ややこしい話しが多々あるかと。
その他、時間的な制約、場所的な制約、その他、どのような制約がどのくらいなのか?ということが不明なので、何とも言えません。
もう少し、制約の範囲が明らかになればマシなアイデアを出せるかもしれません。
「いくらまでならお金を使っても良い」とか、「何人までなら人を雇って良い」とか。
しかし、制約が不明である以上、仮定の話しをすることはできません。
ですので、基本的には、リソースを使わないことをベースに考えてみます。
こんなシチュエーションにおいて、「なんとかならないか?」と思ったときにアイデアを出すとすれば、その方向性の一つとして、ゲーミフィケーションの考え方が有効かもしれません。
「これいいね! 15_ゲーミフィケーション階段」で紹介したようなお話しですね。
お金もかけず、人もかけず、時間も、場所も、ほとんどかけない中、アイデア一つで、
「そうしたい」とか、「そうせざるを得ない」とか、「楽しめてしまう」とか、そういう状態に持っていってしまう。
そんなことができないか?
いろいろと考えてはみましたが、ごめんなさい。残念ながら、何も出ませんでした。
制約は必要。でも、強すぎるとブレークスルーが困難になる。
そして、制約は、その強弱の前に、明確にすることが重要で、
それを正確に捉えたうえでないと、企画はブレる。
そう思います。
しかし、悔しいと言うか何と言うか、
一つや二つ、「それは検討の余地がありそうですね」というものが出せてもよさそうなものなのに、ほんと何も出ない。
今回のnoteを見返してみても、本当に何も言っていない。
「難しいですね」しか言っていない。
これではいけない。もっと考えろ。
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