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ペットを家族にするな

一人暮らし歴はもうすぐで丸8年。昔から一人でいることが好きで、一人暮らしも全く苦じゃない。部屋は(クソきたねえけど)わたしの城だと思っている。大好きな一人の部屋。一人の時間。

そんなわたしが、初めて何かと暮らしたのは大学2年生のとき。農学部の実習で、蚕が配られた。蚕が3匹、お惣菜を入れるようなプラカップに入って、クソきたねえ部屋のクソきたねえ机の上で暮らしていた。

餌は桑の葉。大学の敷地内に生えている桑の木から葉っぱをもぎもぎして蚕に食わせる。蚕はずっと桑を食べている。脱皮するたびに蚕は大きくなって、桑を食べるスピードもどんどん速くなる。わたしは毎日桑の葉を調達しに行った。

ある日部屋でゴロゴロしていたら「ザーッ」という音が鳴っていることに気がついた。雨か。このあと外出するのに嫌だな。そう思って外を見たけれど、雨は降っていない。蚕を見ると3匹がものすごい勢いで桑の葉を食んでいる。そのガサゴソした音が3匹分重なって雨音に聞こえていたらしい。

自分以外の生命が自分の部屋にいるのは何だか不思議な感覚だった。しかもそいつらは、わたしが桑の葉をあげなければ死んでしまう。自分の庇護下にある生命。「自分がいないと死ぬ命が家で待っている」と考えると、自分がウカウカと死ねないなと思った。

でも、蚕は「人間=餌をくれる存在」とすら認識していなくて、目の前に勝手に置かれてきた桑の葉をただ食べているだけだ。わたしにのしかかる「生き物を飼う責任」は重くても、飼われている奴らのそういう無関心さがちょうど良くて好きだった。翌年も、後輩の実習に混ざって蚕を飼った。

多分、わたしは馴れ合わない生き物と暮らしたかったんだと思う。生命維持のための餌と快適な住空間は提供するとしても、同じ空間でそれぞれが勝手に生きている状態がちょうど良い。

実家には犬がいたけど、家の人間が外出するときは狂ったように吠えて引き止めていた。「お留守番」と言うだけでその意味を理解して、キャンキャン喚き散らしていた。賢くて人間が大好きでかわいいやつなのだが、それを自分一人で抱え込める気はしなかった。

「ペットは家族」なんて言うけれど、わたしは所謂「家族」の概念が心底嫌いで、家族であるが故に押し付けることが許されている理不尽な責任とか全部死んでしまえばいいといつも思っている。ましてや人間以外の生命までもそういう馴れ合いの対象にはしたくなかった。

そんなこんなで、今わたしはヘビとヤモリを飼っている。同じヘビの中でも手のかからないやつ、同じヤモリの中でも手のかからないやつを選んで飼っているつもりだ。奴らが快適に暮らすための住環境を整えてやるのは楽しいし、買ってやったシェルターに嬉々として籠っている奴らの様子を見ると「しめしめ」という気持ちになる。週1の餌やりでは奴らが少し野生っぽい動きをするので、それを眺めては愛でている。

たまに手に乗せて奴らのしっとりすべすべした感触を楽しむが、それも別に義務ではないし、それをされて爬虫類が喜んでいるとも思っていない。手に慣れてくれたら世話が楽になるので、慣らしておくに越したことはないな(ついでにあの手触りも楽しんじゃおう)という具合だ。

わたしが生きて家に帰る理由にはなるけど、お互いにお互いを必要としすぎない、付かず離れずの関係が築けるのがこの手の動物たちの良さなんだと思う。「家族」というよりは「同じ屋根の下に住んでいる生命同士」くらいのゆるさで、曖昧に空気を共有している関係。それくらいのほうが、お互いを尊重していると言えませんか。


何だか壮大な話になりましたが、ヤモリもヘビも、とってもかわいいです。

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