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お前は生まれるべくして生まれた子じゃない

酔っ払った父が私に対して口にしていた言葉。
「お前は生まれるべくして生まれた子じゃない」
父の死を迎え、父の誕生日が近いという今日。
改めて、この言葉について考えていこうと思う…

カマの社説。
12回目となる今回は「お前は生まれるべくして生まれた子じゃない」という言葉について書いていこうと思うわ。
ちょうど8月6日が亡くなった父親の誕生日だってこともあるし、今までちゃんと書いたことなかったから書いてみようと思ったのよ。
「生まれるべくして生まれた子じゃない」なんて普通言われることないもんねw
まぁ、長くなると思いますが優しい気持ちで読んでもらえると幸いよ。

思い返してみると、アタシの中で父のイメージって「血の気が多い人」って感じかなぁ…

・キレる沸点が低い
・ギャンブル大好き
・すぐ手とか包丁がでてくる
・自分が一番でないといけない
・お金の使い方が荒い

そんな父親がお酒を飲んでイイ感じになると、私を呼びつけていつもこう言ってたの。

「お前は生まれるべくして生まれた子じゃない」

もともと、内縁関係だった父と母。父が44歳の時に母の妊娠がわかったの。
時代はまだ昭和。44の男に子供ができるなんて思ってもなかったんだろうね…
父は私が生まれることに大反対だった。そんな父の反対を振り切って母はアタシを出産した。
アタシには19歳離れた姉がいるの。父の前妻との子。
父親は姉貴を溺愛ってわけではないけど、相当可愛がっていた。
姉貴が何か起こしたとしても姉貴の方を持つし、「お前が悪い」って母を責めている場面を何度もみたわ。
アタシが欲しかったものを父は私ではなく姉貴にばかり渡しているようで本当は悔しかった。

喘息で9ヶ月入院してても30分しか面会に来なかった
アタシの学校行事にはパチンコ行ったりして参加しなかったくせに甥っ子の行事には参加してた
夫婦ケンカで母がアタシを盾にしたのに、そんな小さかったアタシに包丁をつきつけてきた

運動会で父親と参加するレースには18離れた兄が代わりに出てくれたけど、本当は父親と走りたかった
そろばん大会で1位取ったり、学習発表会で児童会長挨拶したり、海洋少年団でメダルをもらった時にたくさん褒めてほしかった
包丁つきつけた後に「ゴメン」って言ってほしかった
姉貴ばっかじゃなくてアタシも可愛がってほしかった

いつしかそんな父親が憎むようになって大嫌いになっていた…

でも、父親のことを嫌いになるように自分のことも嫌いになっていったわね。そりゃ「生まれるべくして生まれた子じゃない」んだもの、自分の存在をずっと否定してきたよね。
自分ができない理由をいろんなもののせいにしてずっと生きてきたの…

父親との関係が変わっていったのは2014年ごろだったと思う。
ある人から「本当はピンキーは親父さんのことが好きだったんだよ」って言われて最初は当然反発したわ。
「絶対、そんなことはない‼️そんなの認めない‼️」ってねw
でも、時間をかけて自分と向き合っていく中で実は父親のことが好きだったことを実感して同じように父も私のことが好きだったって感じるようになったの。

そんな時、思い切って聞いてみようと思ったの。
「なんであの時、生まれるべくして生まれた子じゃないって言ったの?」って。
聞くと決めてからイロイロ自分の中で葛藤はあったけど、聞いたら父はなんて言ったと思う?

「あの時は言葉のアヤで、いまは一番お前が大切だよ!」だって

最初言われた時は「へ⁉️」って思ったわw
でも、それよりも父親から「お前が大切だよ❗️」って言われたことが嬉しかったのを覚えてる。
実はこの間に「姉の自殺」「母の死」というものがあって。
もしかしたら父にとって何か変わっていたのかもしれない。
でも、そこから父との関係性が大きく変わってそれまで憎むべき存在だった人と2人きりでいろんなことをしたわ。

そんな父も2年前亡くなったの。
亡くなる前日。病院の個室にアタシと父しかいなくてね。
話すこともアタシと認識することも、そして動くこともできなくなった父とたくさんお話したの。
30余年生きてきて、生まれてはじめて父と真正面に向き合ったわ。
誰かが「人間死ぬ直前まで活動してるのは耳だよ」って聞いたことがあったから一方的かも知れないけど初めて父親に自分の思いのすべてをぶつけたの。ずっとしまい込んできた気持ち含め全部ぶちまけたわ。
言い切った後、なんか病室が温かい感じになってね。
なんとも言えない感覚になったの。
なんていうのか、父を赦した瞬間というか

「あぁ、私はこの家に生まれるべくして生まれてきた」

という実感と、どんな形であれココまで育ててきてくれたことに対する大きな「感謝」を感じたわ。
このことを思い出すだけで涙が出てくるくらいだけどw
でも、最期の最後に父親を「生んでくれてありがとう」と思いながら送り出すことができてよかったと思う。

「お前は生まれるべくして生まれた子じゃない」に振り回された人生だったけど、でもいま改めて思うのは
「生まれるべくして生まれた子しかいない」ということ。
人それぞれ、生き方って違うわけで比べられるもんじゃないって思うの。
アタシだって、自分の人生のことをこうやって書いているけど不幸自慢したいわけではないし。
でも、自分が「ブス説法」という仕事を通してたくさんの人を見てきた中で「家族」のことで苦しんでる人をたくさん見てきたの。
家族のことって自分ではなんともできないところじゃない。
アタシも家族のことで苦しんできた一人だからこそ、自分が話すことでなにか力になれたらと思って書いてるのよ。

最後に。
父親のことこうやって書いてきたけど、アタシはいま父の子として生まれてホントに良かったと思ってるし「自分は生まれるべくして生まれた子」だって言えるわ!
アッチから「何いってんだ!もっとイイように書きなさい!」って父に怒られそうだけど、せっかくだし父への誕生日メッセージで終わろうと思うわ。

お父さん、お誕生日おめでとう。
生きていれば今年79歳ですね。アッチではお母さんとかお姉ちゃんとかと会えましたか?相変わらずパチンコとタバコとお酒飲んで暴れてるのかな?w
アタシは不器用なりに生きてます。ホントに不器用に生きてるの見てて思うでしょ?もうチョット器用に生きれたらいいんだけどね。
でもね、昔と変わったことがあるの。
それは「感謝」を実感できるようになったこと。
アタシは本当にたくさんの人に支えられて生きてるって実感してる。
そしてやっと、自分もみんなのことを支えていこうって思えるようになったの。
まだまだ上手く行かないこともあって大変なこともあるけどさ、これからも自分らしく生きていくよ!
「お前は生まれるべくして生まれてきた」ってアッチで思ってもらえるようになってやるからね!w
いつかそっちに行った時にはお酒でも交わしながらいろんなこと話しましょう。
それまで、コッチで精進するんでこれからも暖かく見守っていてください。
くれぐれも、お母さんたちとケンカしないように!
2020年8月
アナタの息子より


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