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2022.1.22 バストリオ日記

言葉にするということについて考えてた。
というのも小説になるかわからないまとまった文章の連なりを去年から書き始めたというのもあるのだけどバストリオや個人での表現活動を長く続けていく中で浮かんできたことだった、から考えた。とにかくやれない出来ない、という思いがあった。なんか言葉にしたいと思えないというところと言葉にすると小さく萎んでしまう気がしてつまらないと思ったからしたくなかった。
でも、この十年違ってきた。ちょっとずつ、表現の場にいるとそうなってることに気づいた。言葉にする必要があった。というかそれは演出という立場にいる時やれることの一つだった。責任がそこにあった。体験は大きなものを体のどこかわからないところに与えてくれて、出会った他者とダイレクトに向き合うなかで言語化が迫ってきて成功も失敗も圧倒的な体験の数だった。伝わらなくてもいい、じゃ済まないところへ。相手の反射を待った能動的でメッセージじゃないもの。せっかく互いにおっ広げて開けたもんを一人で所有したり矮小化して満悦に浸る気はない。己のしてることに向き合うためにこそ他者へ向けた言語を獲得していかざるを得ないところから言語は現れた。

わからないという状態の中で突き進んでいくことで見えてくるもん(即興と呼べるもの)に近づいていきたい。だからこそ自己陶酔の世界にラベルを貼ってデコレーションしたもん(感覚とメタファーの嵐)から遠く離れようと、これは違う、や、こんなことしたくない、という批判的な目線から見つけたものがあった。誰かを貶めたりただただ批判したいわけじゃない、ずっと考えは続いて終わらなくて、使う言葉は自分にブーメランとして跳ね返ってきた。そこから得たもんでしか視界は開けなくて長い時間をかけて向き合ってきた何かがちゃんと目の前にあるように、祈りのような、そんなもんがいつも目の前にあった。何も変えたくないという想いと共に。
個人から出てきたもんに寄りかかることもなく、責任を持てないようなやり方で投げることをしたくないから矛盾は矛盾のままだった。芸術と名のつくもとに搾取して仕立てあげた外見だけ綺麗なものにはうんざりした。そういうもんを作りたくない。正直にいるということはそういうことだった。
で、話は戻る。
わからないでいいとかそういうつまんないところで止まるために仕事をしたくない。ちゃんとやりたい。それでも誰かが楽しんでないとつまらなかった。生業みたいな、、生きてること。
一人のサッカー選手がいた。すごく良い選手で好きだったけど伸びてないなあと見てて感じてた。最近インタビューに出てきて「俺はチームの人と仲良くしないようにしてる」と言ってた。そりゃ伸びない。仲良くするとかしないとかそんなことをまだ考えてたのか。そんなことどうだっていい。可能性を狭い世界で放棄している、だけどうまくやれるからうまくやっていける。もったいない。
頑張って伝わらなくても言語化することについて考えたい。間違うこと。批判すること。批評とは何か。ドキュメンタリー映画をつくった佐藤真のことをずっと考えてきた。今も頭の中にずっといる。
癖で言葉を吐かないよう思考を止めてしまわないよう感覚を殺さないように。しなきゃいけないことなんてなくてそれでも何か大事なもののためにすることがあるとしたら言葉を使うというのはそういう類のもの。今はそう。
楽しみたい、言語を駆使したい、languageという鳴き声みたいなもの。うちの文鳥だっていつも使ってる。いろんな鳴き方で。フラットに醒めたままで。映像も生の舞台も展示も誰かと何かをやるとき我が物にしてしまうようなやり方じゃない、もっと違った方向で。そんなところからそのまま混じり合ってくような「(個を)何も変えてはならない」というタフなやり方。見せてしまって包むような。
次を始めるため言葉にする。どんなとこに行けるか背伸びもズルもせず(たまにやるかも)やっていく。

人間じゃない生き物だって言語を獲得してる。関係性からこそ。
文鳥(ほわ、さく)とメダカ4匹、ドジョウ一匹、外猫(とら、トラちゃん)と生きるということからひたすら学んでる。まさに生活。
去年北海道でやった公演「黒と白と幽霊たち」のDVDを作ってる。作業やってとても良かったので勢い持って書いた文章がこれ。

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