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『一匹のモンタージュ』リクリエーションを終えての往復書簡

2023年10月13日(金)にこまばアゴラ劇場で開幕を迎えた『一匹のモンタージュ』リクリエーション。10月21日(土)にアフタートークのゲストとしてお呼びした竹中万季さんと、メンバーの橋本和加子が往復書簡を行いました。

竹中万季
1988年、東京都生まれ。編集者。CINRA在籍時に「She is」を野村由芽と共に立ち上げ、2021年に野村と独立し「me and you」を設立。『わたしとあなた 小さな光のための対話集』や『me and youの日記文通』の出版や、ウェブマガジン・コミュニティ「me and you little magazine & club」を運営するほか、J-WAVE「わたしたちのスリープオーバー」のナビゲーターを務める。

橋本和加子
1984年大阪生まれ。京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科卒業。佐藤真ゼミでドキュメンタリー映画を学び、宮沢章夫が演出する授業公演で初めて舞台に立つ。2010年にバストリオを立ち上げ、俳優・制作・録音を担当。バストリオの配信企画『///(かわ)』ディレクター。葦の芸術原野祭実行委員(北海道・知床)。映画出演作として今野裕一郎監督『グッドバイ』、『ニュークリアウォーター』。菊沢将憲監督『凹/eau』、『二羽の鳥、徹夜祭。』がある。

竹中万季→橋本和加子

先日はトークに参加させていただき、ありがとうございました!「一匹のモンタージュ」を見に行った帰り道に、CINRAの同僚だったきみちゃんと後藤さんにばったり会って、一緒に韓国料理を食べました、そのときにきみちゃんが「わたしは最近、走ってもいないし、濡れてもいないし、叫んでもいないなと思った」と話していて、それが記憶に残っています。わたし自身もそうだし、街でもなかなかそういう状況の人を見かけることがないから、作品のなかで遠くに向かって誰かを呼ぶ声を聞いて、いまも世界のどこかで、走り、濡れ、叫び、誰かを呼んだりしている人たちがいるのだ、ということがそこに現れたような気がしました。

あのあと、小石川植物園で行われたトレイルにも参加して、散歩の後にどう発表しているかを知ることができたのがすごくよかったです。崎尾先生や参加者のみなさんと一緒に散歩しながら樹木の観察を行い、そこからバストリオのみなさん一人ひとりが感じたことを一度テキストにし、2・3人のグループで発表されていました。参加者の方もお一人、その場で発表に参加されていましたね。割れないくらい固い実、落ちた枝は生きている? ということ、いい匂いがする枝、土の下に根っこが伸びていること、橋本さんの家にあるウンベラータの話……散歩を通じた一人ひとりの視点が、「発表」というかたちでその場にいる全員に共有されて、その発表を見た人たちが話し出す言葉も、新鮮に記憶に残っています。それは「ただ散歩の感想を話し合う」では叶わない時間で、あのやり方でないと生まれない言葉たちだったように思います。一匹のモンタージュやトレイルに参加したときの感覚が、そのあとの生活においても自分のなかに溶け込んでいるような気がします。

me and youでも、由芽さんと「日記文通」を続けていてそれを本にしたり、ウェブメディアでさまざまな人から「同じ日の日記」を集めたりもしていて、日々の些細な出来事やそこから感じた思いを大切にしながら活動しているので、バストリオの活動とも重なる部分が多いような気がしています。生きていると大きい言葉で括られたりすることも多いけれど、日常で抱いた疑問や違和感やそれぞれ異なる視点を持ち寄ることでより生きやすくなるのではないかという希望を持っていて、そうした思いをもとに、本、ウェブメディア、そのほかさまざまな人たちや企業とのプロジェクトなど、さまざまな形で活動をしています。

そのなかで、まだ考え途中のことや、わかりづらいこと、曖昧なものなども大切にしていきたいという思いを持っています。初めてバストリオの作品を見たときに、起承転結がはっきりついたいわゆる「泣ける」ストーリーというわけではまったくないけれど、なぜだか涙が止まりませんでした。わかる、という感覚とはまた別のところで心が動いたんだと思います。以前、仙台にある曲線という本屋さんでトークイベントをしたときに、来てくださった方の一人が、「わからないものをもっと観たくて、それで演劇を観ている」と話をしていた方がいました。バストリオのみなさんは「わかりやすさ/わかりづらさ」や、「途中や過程」について、どう考えているんだろう?ということが気になりました。

そういえばこの間のトレイルで拾ったいい匂いがする枝が鞄の中から出てきて、匂いをかいでみたらもうあのシナモンみたいな香りはしなかったです。わたしの鞄の中でも枝は変化し続けていたんだなあとしみじみしました。


橋本和加子→竹中万季

ありがとうございます!お返事を書くことにとても時間がかかってしまいました…

メールではなく「往復書簡」という形でこうして誰かとやりとりするのって言葉と向き合う時間だったなと、これまであまり言語化してこなかった自分にとってはとても良い機会でした。メールだったら書いてそのまま「送信」とするところ、これでいいのかな?本当にこうかな?って書いては消してを繰り返しながら行ったり来たりしてました。このやりとりが広く読まれるものであること(これってすごいことですね!)も大きかったかもしれません。

植物園での『トレイル』楽しかったですよね。足をお運びいただけて嬉しかったです。見に来て頂けることが一番伝わることだなと改めて感じます。日々の生活のなかでそうやって思い出していただけていることが嬉しいです。

『一匹のモンタージュ』リクリエーションでのトークで万季さんがおっしゃって下さった「個人的な自分自身の感情や出来事と、遠くで起きてることが、すごく繋がっているような感じがしました。」という言葉がとても印象に残っています。私自身、パフォーマーとしてこのように立てたらいいなと思うことがいくつかあって、そのひとつに遠くで起きていることの想像力を手放さないままクリエイションのなかで私(とあなた)といったとても小さな単位のなかで起こった/共有した何か(それはとても些細なことだったりします)もどちらもひとしくある状態で立つことというのがあって、万季さんの言葉を受けて、上演を通して観客である万季さんにも近しい感覚が伝わっていたことがとても嬉しかったしそういった受け取り方ができる万季さんすごい!と思いました。

「わかりやすさ/わかりづらさ」について、このことはずっと考え続けています。“あること”を語るときに、いくら言葉を尽くしても語り尽くせないことって沢山ありますよね。わたしはその複雑さやわからなさを出来るだけそのままの状態で上演の場に提示したいと思っています。ごまかしてわかった気になったりするときは大体うまくいってなくて、そんなときはちょっと立ち止まって、心細くても自分の持てる誠実さをもって運動を続けながら、一人で所有するのではなく全体にシェアできる形で、たくさんの他者が集まる上演という場で“あること”を提示できればいいなと思っています。大きな言葉に括ったりわかりやすくすることで複雑さや本質が失われない表現。それには無数のやり方や手つきがあってバストリオがやっていることのひとつにそのことへのトライがあるのかもしれません。研究所のような感じでたくさん試して、そのなかでたまに奇跡みたいな時間が生まれたりします。

「同じ日の日記」は素晴らしい取り組みですよね!コロナ禍で私はあの取り組みにとても救われました。あの頃、私は人生初の一人暮らしをはじめたばかりで、そのタイミングでの自粛だったので誰もがそうであったように人となかなか会えずに家にこもり不安や寂しさを感じていました。そんなとき、それぞれの居場所で生活を送っている人たちが、それぞれの日々を思い思い綴っている言葉に触れ、この閉じた部屋で過ごしている時間の延長線上に確かな温度を持った人たちがいることを感じれて固まっていた心がほどけました。それに、みんな全然違う日々を過ごしてて、本当に些細なことも、不安さも、かっこつけずにそのまま並んでて、その緩やかな集まりに心地良い連帯を感じました。me and youの活動で大切にされていることとバストリオのそれが重なる部分を私も感じていて、別のやり方で切り拓かれているme and youの態度にはいつも励まされています。

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