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子供の頃の遊びって全く覚えてないよね。

  7本目、8本目は『20世紀少年』の第1章、第2章。こちらも年末年始のWOWOW映画スペシャルでやってて、録画をしていました。もちろん、3章も録画しているのですが、とりあえず、時間の関係で2章までしか観ていません。そのうち3本目も観るでしょう。

 この映画は大学生のときに映画館で観ました。この映画のために、漫画を全巻揃えて部室においてみんなで読みました。というのもこの映画のプロモーションが「ほーら、原作にこんなにそっくりでしょ」てきな感じだったのです。

 で、浦沢直樹の漫画は当然楽しいし、映画もなかなかたのしめた記憶があったのですが、当時、というか最近でもこの映画に対して世間では、あんまり良い評価ではないと思います。

ただ、僕は、今ほど漫画原作を全面に打ち出すような作品が少ない中、大金をかけてここまでのクオリティーの作品を作っただけでも凄いし、漫画を読まないような人にも浦沢直樹の名作を忠実に届けただけでも物凄く価値のあることだと思います。

 まだ第3章まで観てないので、第2章までのところで、思ったことを。

 第1章の肝は「子供の頃のことって覚えてないよね」です。主人公のケンジが同窓会を通じて、色んな話を聞いて、「そういえば昔秘密基地で日本を守るって遊びしてたなあ」ってのを少しずつ思い出していくですよね。で、この手の映画で「そんなに覚えてないか?」って感想をしょっちゅう観ますが、僕は覚えてないです。小学生の時間割とか、昼休み何時から何分間だったとか、友達の顔とか、何して遊んでいたとか、ほんと断片的です。なにかのふとした瞬間に「あ、そういえば近所の空き地が広大な駐車場に突然なったおかげでローラーブレード流行ったなあ」とか思い出すんですよね。

で、今、大人になって起こっている事件が、実は子供のころの遊びに酷似している、から、「これは俺たちがたちあがらなきゃ」ってなる。ワクワクするよね。自分がこの立場だとするとたまったもんじゃないけど。

で、第2章までのながれは、この「たかが子供の頃の遊び」で、やってる側はその場の流行でなんとなくやってるんですが、そんなクラスの1軍達の楽しそうな遊びにホントは混ざりたいのに、混ぜてって言えないプライドの高い僻み性質の子供がいるんですよね。この子にとっては「俺のほうができる」という思いや「入れてもらえなかった悔しさ」という思い、これは大人になっても忘れられない屈辱の思い出として、刻み込まれてるんですよ。「俺の方が正しかった」というのを大人になって証明するという、サクセスストーリーにもなるこの考え方が悪い方に出ていくという展開なのよね。

そういえば、僕が子供の頃はすでに「ドラゴンボールごっこ」であったり、「ポケモンのゲームボーイ」であったり、なんか既存の誰かに与えられたストーリーの中で遊んでたなあ。もう少し小さいころは布団の中にもぐって、そしたらそこが宇宙船で、人形遊びみたいなのもしてたような気もするけど。「小さい頃に感覚でなんとなく作ったストーリーが現実になってしまう」というこの設定自体が、もう世代的に受け止められなくなっているような気がします。小学生でゲームという作られた世界に潜り込め、月九のドラマを観るような生活をして、オリジナルのストーリーをみんなで共有する機会なんてもう皆無なんじゃない?で作ってたとしても、WEB上やら、スマホで写真やら、なんか簡単に形に残っちゃう。「思い出すことの楽しみ」ってのもなかなかいいもんだと思うのよね。

この映画を観て、僕も昔のことを思い出そうとしたんだけど、中学生のころすら、全然ダメ。部活とかならなんとかくらい。高校の終わりらへんからmixiがあるので、その日記を読めば。つまりこれが僕らのタイムカプセルなのよね。アメブロだったりフェイスブックだったり。なんか寂しいよね。

自分の昔の「オリジナル」の遊びやストーリーはどれくらいあったか、どれくらい思い出せるか、それを今思い出してどう思うか、そんな思いでこの映画観てみるとなかなか楽しめると思いますよ。

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