非モテ陰キャが15年かけてモテ男になった②

中学時代が一番いじめられた。毎日自〇を考えるほどに苦しかった。もう書けないぐらいにいじめの内容があるため、また別途で詳細については書くかもしれない。

ぶさおは小学校時代に、県内にたった一つだけA中学を受験した。(都会に住んでいる人にはわからないと思うが、ぶさおの住む田舎では、受験する価値のあるような偏差値50以上の中学はたった一つだけであった。それがA中学である。)ぶさおは受験勉強をしていたがあっさりと受験に失敗し、地元の公立中学に入ることとなった。

【中学時代】
地元の公立中学校に入ると、ぶさおのいた小学校から約100名と、もう一つの小学校から約80名が混ざり合い、180名の中学となった。
通常、不良はせいぜい一学年3人程度であったのだが、ぶさおの入学した年度は小学校があれていたこともあり、不良グループがなんと12人という規模になってしまっていた。
12人いるとなると、クラス分けも困難だったのだろう。一クラス必ず3人ほどの不良仲間が集まり、各クラスにいじめのターゲットが生まれるようになった。
そして、何を隠そう、この私ぶさおこそが、全クラス代表のターゲットだったのである!!!顔は醜く、背は誰よりも低く、メタボリックシンドロームで運動もできない、会話もできない(中学校1年生のころは、学校での1日当たりの発言は2~3回だったと思う)そんなぶさおを、ボールペンで刺す、顔をなぐる、背中を蹴る、机に彫刻刀で悪口を彫るなどのいじめで苦しめるようになった。

ぶさおは、ここで「僕はなぜいじめられるんだろう、復讐してやりたい、ボコボコにしたい」という気持ちが全身にたぎった。ぶさおはかろうじて勉強だけはそれなりにできた。最初の中間テストで、学年5位であったためそれは確信に変わった。ここでいじめに対して考えたことが2つある。
1つは、「今仕返しして、一時の喜びを得るよりも、後々まともに判断できる能力や年齢になってから仕返しをしていこう。」と考え、ひとまずその場での抵抗をすることはやめた。殴られれば逃げ、彫刻刀で彫られればやすりで机を削った。
2つ目は、「今評価される運動や顔、ファッションや体形や会話などに振るのは、現時点でぶさおが最低レベルにいるためコスパが悪い。今できている勉強に全振りして、将来学歴と高収入は確実に取ろう。」と考えた。そして、『医者』の二文字が頭に浮かんだ。医者であれば、高学歴、高収入、安定性、社会的名誉、やりがいなどを持っている。いや、持っていなくても「持っている」と思われるだろう。それ以上のわかりやすい、最強の職業はないと。

こうして、ぶさおは友達もおらず、苦しみに満ちた日々の裏側で塾に週3日通い、一生懸命勉強をした。明日も殴られて、辱められて、早くこの世界からいなくなったほうがいいんじゃないかと毎日夜は不安で、涙で枕を濡らした。それでも、『医者』の二文字を思い出して、耐え忍んだ。「何年もかけて復讐をすることがきっと快楽だろう。今ひと時、耐えろ。」と自分に言い聞かせた。

なお、中学校で1日に殴られなかった日は、中学校1年の5月から卒業式までを通して、『たった3日』であったと記憶している。殴られなかった日の夕日の美しさは、今でも記憶に残っている。

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