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【母の代筆】好物の背景にある物語

私の母は食いしん坊で、普通食が食べられる頃は、それこそ好きな食べ物、つまりは好物がたくさんありました。その中でも、90代という同年代の方々の中でめずらしがられたのは、どちらかと言うと和食より洋食好きというところです。母に食欲が無い時、デミグラソースのたっぷりかかったオムレツやオムライスを見せると、「食べちゃおうかな」と元気になって食欲が湧いてきていました。少し若かった頃、家族でファミリーレストランで外食をする時も、他の家族がみんな和食の定食的なものを頼む時にも、ひとりででもこってりとしたビーフシチューを頼んで、一緒に頼んだパンでお皿にのこったソースまでキレイに平らげていたりしていたものです。

私は、「どうしてそんなに洋食好きなの?」と母に時々聞きました。
母は、「小さい頃、おじいちゃんが良く食べさせてくれたのよ」と言っていました。そんな母が私のおじいちゃん、つまりは母の『父』について書いたメモを見つけたので、以下、残しておきます。ちなみに、祖父は他の家族は残して母だけ連れて、こっそりと東京に連れて行ってくれていたそうです。
当時の日本の統治下にあった台湾生まれで、東京の大学を卒業してから大企業に勤めたけど転職を繰り返した祖父は、世渡りはあまり上手ではなかったようですが、母をとても可愛がってくれる優しいところもあったようです。祖父は仕事の中で銀座の有名カフェの経営等に関わる事もあり、美味しいものを良く知っていたらしいので、さぞや母は当時、美味しい洋食を食べさせてもらっていたのではと想像します。


物心ついた頃の父は 不在がちだった
だが日曜日家にいる時の父は やさしかった
そしてよく私は映画や上野の美術館、そして東京の銀座など
連れていってもらい 帰りには もういやだと言うくらい
いろいろなごちそうを 食べた記憶がある
戦争中の父は もうこの戦争は負けるとか はらはらする様な事を言い、
食事の買い出しもあまりしないで 最後頃 仕方なく親戚へ
買い出しに行ったような気がする
終戦後は繊維会社に勤め その後は景気が良く
色々衣類等が手に入り 月に何回か旅行に行っていた

母の手書きの古いノートから引用

そして母は、バナナも大好きでした。このことは母のノートのメモにはありませんでしたが、祖父のアルバムの中にある台湾で撮られた曾祖父の写真の背景に、たわわに実ったバナナが写っているのを、幼い頃に見たからと良く
言っていました。

母が言うこの曾祖父の写真は、今私が見ても背景のバナナが際立って目立っていて、他の真面目で地味目な肖像写真の数々より強烈なインパクトがあります。そしてその庭を前に立つ曾祖父のおしゃれな白い夏用の服装からも異国だな、南国だな、という印象を強く受けます。大昔、母は多分異国生活の憧れを持ってこのアルバムの写真を見て、幼心にその時期の高級食であったバナナを自由に食べられる庭を持っていた曾祖父を「すごいなー」と強く尊敬したのではないでしょうか。何故なら最近までも母に「ほら、バナナだよ。ひいおじいちゃんの台湾の庭にあったんだよね」と言って差し出すと、その辺のスーパーマーケットで特売で買ったバナナでも、大変貴重そうに両手で持ち美味しそうに食べてくれていたからです。そして母が一時、短期的に危篤に近い状況後、他の食べ物も水分も自分から積極的に摂らなかった時期でも、バナナだけはなんでだか食べられるという、母にとっての奇跡の食べ物になったのではないでしょうか。”台湾にいたひいおじいちゃんが、バナナの前で写真を撮っていてくれたおかげで母が元気になっているんだな”と、私はいつも有難く思っていました。
[原文は縦書きです]



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