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【昭和的家族】母が専業主婦を選んだ理由

私の母は、昭和7年生まれで、商業学校を出てから県庁で事務職として15年弱働いていた。当時、女性が長く仕事ができる職業としては公務員や学校教員は人気だったようだ。

そんな母と、2歳年上の父が出会ったのは職場だったそうだ。結婚に至る迄の細かい経緯は恥ずかしがって二人とも詳しくは教えてはくれなかったけれど、母によると、当初父は母の友達を気に入って、母はその友達を父に紹介したけれど振られてしまい、可哀そうと父を慰めているうちにいつの間にか付き合う事となったとのことだった。

母の母、つまりは母方の祖母は50歳で病気で他界した。母がまだ20歳頃のことだ。その後母は2人姉妹の姉が嫁ぎ、母の父、つまりは私の母方の祖父と暫く2人暮らしをしていたそうだ。そんな環境の母を父は受け入れ、祖父とも同居し、数年の間に母は3人の子供を産み、暫くは県庁の仕事を続けながら子育てをしていた。当時もう仕事を引退していた祖父は、母の子育てを全面的にサポートしてくれていたそうだ。私が最近、実家の古い荷物を片付けた時、丁寧な小さな字で育児記録を毎日メモしていた祖父のノートが数冊出てきた。そんな祖父の献身的な協力はあったけれども、3人目の子供がまだ小さい頃に母は仕事を辞めて専業主婦になる道を選んだとの事だ。

「例えば土曜日、学校の授業が早く終わって子供達が早く帰って来る時、手作りのサンドウィッチを出したいと思って、それで仕事を辞めることにしたの」と母は私に母の退職理由をいつもこう話していた。私はその割に、”母が手作りのサンドウィッチで学校から帰る私達を歓迎して待っている”という姿を全く見た覚えが無く、母の退職理由の説明を聞くたびに、”なんだかしっくりこないな”と違和感があった。

確かに母は私が幼稚園の時に一度か二度、とても凝ったサンドウィッチのお弁当を作ってくれた事があった。まるで外国のキャンディの包みのように綺麗にラップで包装された数種類のサンドウィッチは、色とりどりの細目のリボンで飾り付けられていて、お弁当箱を開けた私はあまりのカラフルさに暫しサンドイッチを食べずにじっとお弁当箱の中身を見つめていた。そんな私のいつもと違う動作に気づいた周囲の友達や先生からさんざん褒められ、私が得意になった。

それでも私の記憶の中の母は、創意工夫で色々な料理を作ることはあっても、そもそも料理をすること自体はあまり好きでなかったのではないかと思う。何故かと言うと、父や私を含む他の家族や親せきの誰かが料理をしてくれるとなると、とても喜んで「どうぞ!」と台所を受け渡し、さっさと別の作業をしにどこかに消えていたからだ。母が誰かと一緒に料理を作ったり、作り方を見ていたり、誰かから料理を習うという姿をあまり見かけなかった。そんなこんなで私自身も母から手料理を教えてもらったことがあまりなかった。私が「手伝うよ」と言うと、「ありがとう!お願いねっ!」と言うと母はいつも直ぐその場から即座に姿を消していたからだ。

だからこそ本当に母はサンドウィッチを作りたいから専業主婦になりたかったのか、私の中ではいつも疑問だった。


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