見出し画像

【昭和的家族】TVを観る姿

私は得意ではないけれど、絵を描くのは昔から好きだ。中学校の時は、今でも親友である幼馴染の友人が立ち上げ部長をしていた美術部に誘われ、副部長をした。しかしながら、この美術部は自分達で絵を描く時間よりも、土日にみんなで近所の美術館に絵を見に行ったり、放課後にお互いの悩み相談のおしゃべりをしたり、歌や踊りを練習したり(特に熱心に練習していたのはピンクレディーだった)、みんなで一斉に気合を入れたらもしかしたらインドのサイババのように一人位は椅子ごと持ち上げられるのではないかと練習してみたり(全く上がらなかった)相当自由な部活だったので、私の絵は殆ど上達しなかった。

社会人になってから、その中学時代美術部長をしていた幼馴染の友人にまた誘われて、半年程東京の原宿にあるデザイン学校の夜学に通った事もある。通学は面倒でも私がその学校に通うと決めたのは多分、中学の美術部時代に”他の事をしすぎて絵の練習があまりでなくて残念だった”と潜在的に思っていたからと思う。ついては今回はちゃんとデッサンを練習しようと、私は自分の生活の中でその練習の対象となる人や物を改めて探した。そして父がテレビを観る時、いつも居間のソファーの同じ場所で、腕を組みテレビ番組(大抵は1時間ものの時代劇)を観る間中、微動だにしない事に気が付いた。

私は簡単に父に、TVを観る邪魔はしないので絵の練習台になって欲しいと伝え、それから何度も父をモデルにデッサンの練習をした。出来は正直大した事はなかったけど、久しぶりに絵の道具を取り出し使う良い練習にはなったのかと思う。通った学校の修了書は無事もらえて、私はお礼の代わりにいくつか描いた父のデッサンの内、一番普段の父に似ているかなという表情の作品を、丁度家の中で見つけた壊れた時計の台紙と貼り替え父にプレゼントした。父はそんなに嬉しそうでもなかったけど、「ありがとう」と言って私からのプレゼントを受け取ってくれた。

月日が経って、父が大きなケガをして、実家からいなくなってしまった時、物置小屋に何か他の物を探しに行った私は、私が昔プレゼントした父のデッサン画のついた時計の箱を見つけた。父の字で白い紙箱の横側に「時計」とマジックで書いてある。蓋を開けると懐かしい父のTVを観る姿があった。

その時、私は自分が描いた絵が恥ずかしいとか一切思わず、その壊れた時計が付いた父の絵を居間の一番目立つ壁側のテーブルに飾った。いつも実家にいた父の姿が、急にいなくなった事に違和感を覚えていたからと思う。私の絵はそこまで本当の父に似ていないとは思いつつ、父の絵を飾ることでなんとなく少し自分のわさわさする気持ちが落ち着くように感じた。

そしてあれから7年程経った今でも、私は父の絵を現在の居間の一番目立つところにまだ飾っている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?