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なぜ鳥のフンは描かれたのか

 この作品には青鷺、ペリカン、インコが登場する。
 そしてその鳥たちのフンがリアルに、汚く、描かれている。
 物語に意味のない汚物は、観客に不快感を与えるのみであり、作品の価値を貶めかねない。

 だとすれば、描かれたのには何か理由があるはずである。

 鳥のフンは何を意味するのだろうか


 青鷺が塔に入り込むシーンに嫌悪感と違和感が残る。
 何故なら、穴の壁には青鷺の糞尿がこびりついてたからだ。
 必要以上に多く、汚く、リアルだ。
 そもそもアニメでは省略され、描かれないはずであり、現実でもここまでこびりつかないのではないか。

 そして、眞人の部屋に入り込んだ青鷺が窓から出ていった後の壁にも、かなりの量のフンと体液が残されており、しっかりと汚く網膜に記録される。

 明らかに意図された表現であることが確信となり、違和感と嫌悪感を抱えたまま物語はどこかに向かう。


 下世界の海辺で眞人を揉みくちゃにしたペリカンたちは、キリコに追い払われる。
 そこには落ちた羽と共にフンが、やはりただ汚く残っている。

 しかし、それ以降は排泄物は映されない。

 眞人が魚を包丁で内臓を傷つけて血みどろになりながら生命を奪うシーンでは、気持ち悪さが漂うが汚さはない。

 そして眞人がトイレに行くシーンが多い。
 あたりまえだが、人間は排泄をトイレでする。

 眞人がキリコの家で夜中にトイレに行くと、死に際の老ペリカンに出会う。焼けただれ死を望むペリカンに汚さは感じない。ただ悲しいほど醜い。


 下世界ではインコ兵たちの排泄シーンは描かれない。人間のように暮らす彼らは排泄をトイレでしているのだろうか。


 眞人たちと一緒に実世界に帰ってきたインコ兵たちは元の鳥の姿に戻り、羽ばたきながらフンをする。

 空を見上げ鳥の群れを美しいと呟く夏子の顔には、汚い鳥のフンがついてる。

 フンの描写はこの瞬間のために汚くリアルに描かれていたのである。
 鳥のフンが存在しない美しい世界は、現実の世界にはない。
 その誰もが知っている真実を最初から描いていたのだろう。

 鳥のフンは、世界を構成する一部であるが、アニメの世界では省略される。
 それは人間の善意なのだろうか、それとも悪意なのだろうか。
 人は汚物を避け、悪意から眼を逸らす。
 人は美しい世界だけを受け入れ、善意のみを正しいものと評価する。

 このアニメ作品では、フンの汚さは、世界の美しさと対等に扱われ描かれている。

 美しい鳥が汚い排泄をしているのではない。
 人間がそう思い、そう扱う。

 善意と悪意もまた、人間がそう思い、そう扱っているだけである。

 世界からすれば、善意も悪意も、インコもフンも、人間も石ころも、構成物のひとつでしかなく、そこに意味は無い。

 だからこそ悪意を持てる人間だけが汚く美しいこの世界に意味を感じ、行動に意味を持たせることができるはずだ。

おわり 

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