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【続 保護猫、凶暴につき】 


前回の【保護猫、凶暴につき】は











2022年
3月17日 14:29

 門田はローズヒップの茶をとっていた。お茶請けに東欧のあたりの焼き菓子をポロポロとかじっては部下からの報告を待つ。野いちごのフレーバーの蜜の塗られた焼き菓子はどこか懐かしく、門田は幼少期のことを思い出した。

 神戸の祖母の家に遊びにいくと、テーブルに置かれたひまわりをかたどったようなボウルに色とりどりの焼き菓子が用意されていた。レモンの香りのクリームを挟んだビスケット、ココア色のクッキー、実家では見ることのない上等なもの。その中にこれと似た味のものがあったのだ。大きな駅で働いていた祖父が貰ってくるものなのだろう。もう訪れることのないその場所に思いを馳せるとそこには猫の姿がある。庭には多くの猫がやってきては窓から部屋の中を除いていた。時折屋根の上を走り回る音が聞こえ、夜には大きな声が聞こえた。そんな思い出だ。

 微睡む門田を起こすようにスマートホンが振動した。部下の森下からだ。呼吸をひとつおいて通話を始めた。「落ちました」森下はそう告げ、空気と酸素が分離するような間が生まれた。「そうか」門田は短く返事をした。

14:16

 二丁目公園を取り囲むように警察が張り込んだ。公園の奥に置かれた土管の中にその猫がいるとの情報を聞きつけた県警の保護猫科が動いたのだ。一年間追い続けた猫である、何度も交渉と説得を重ねるもその度に人間側はあしらわれてきたのだ。

「お久しぶりです、聞こえますか?保護猫科の森下です。今日は再度お願いがあってきました」

 土管から10mほどの距離をとり森下が穏やかに話しかける。土管の中の猫が反応した様子はない。

「猫さん、どうか話だけでも聞いていただけると光栄なのですが。あちら、あちらの花岡さん一家がですね、どうしても猫さんを保護したいと再度申しています」

「誰にゃ!花岡さん知らないにゃ!」

「猫さん、花岡さんはお庭によくカリカリを出してくれてるあのお宅の人達です。時々食べているでしょう、あの上等のカリカリを用意してくれてる一家です」

 土管の中でごそっとした音がした。ゆっくりとした今までにない音だ。

「花岡さん一家がですね、どうしても猫さんと暮らしたいと願っているんです。どうかお顔を見せていただけませんか」

「知らにゃい!」

 14:30

「猫は、猫の様子は?」

「とても落ち着いています。現在はカゴではなくダンボールの中です。カゴは不要であると言っています」

「状況は飲み込んでいる、と?」

「おろらくは」

14:20

「知らにゃにゃ!ほっといてほしいにゃ!」

 土管をペシペシと叩く音が聞こえた。このままではまた交渉が決裂してしまう、そう考えた森下は深呼吸をして意識してゆっくりと穏やかに話を続ける。

「猫さん、もちろんです。もちろん猫さんがどこで暮らしどのように生きるかは猫さんが決めるべきです。でもです、猫さん、落ち着いて聞いてほしいんです」

「しつこいにゃ!ほっといてほしいにゃ!やんやかやんやかうるさいにゃ!」

 もう一度土管をペシペシと叩く音が響き渡ると公園の空気が一瞬静まり、それと同時に花岡家の少年が声を出した。

14:31

「思い出してくれたのか」

「はい。おそらく」

 門田はゆっくりと息をはいた。長かった。そして間に合ったのだ。

「花岡家の長男が名前を呼びました。そして反応がありました」

 通話がやや乱れると門田が会話を切り上げた。

「わかった。よくやったな。今から向かう」

14:23

「もも!」
 
 少年がその名を呼んだ。土管に時間が吸い込まれていくように風が吹いた。


🐈‍⬛ 🐈 🐈‍⬛


オレンジのだいだいのおひさま
あったかかったにゃ
ゴロゴロして
いつもなでてくれたのにゃ
お母さんもお父さんもあったかいおててだったにゃ
おさかなおいしかったにゃ
お父さんがとってきてくれたおさかな
わたちはむしをとってきたにゃ
お母さんがモモをむいてくれたにゃ
おいしかったにゃあ
もものきせつにおうちにきたからももってなまえをくれたのにゃ
わすれていたにゃあ

わたしはももですにゃ


🐈‍⬛ 🐈 🐈‍⬛


14:26


 森下は土管のそばにダンボールを置いた。キウイフルーツの絵の描かれた箱だ。すると土管の中からももがのろりと出てきて遠くにいる花岡家の人々を見た。

「刑事さん、わたしはここですにゃ」

 ももは胸を張り森下を見つめた。

「いい箱ですにゃ。わたしはここに入ればいいのかにゃ」

「はい」

 するとももは前足を上げて遠くにある保護用の籠を指して言う。

「あのカゴを下げてくださいにゃ。わたしはへいきですにゃ。にげたりしないにゃ」

 花岡家の3人が近寄ってきた。ももは穏やかな表情でそれを迎えた。少年がおそるおそる手を差し出すとももは鼻の先をその手にそっとつけた。


14:45


「ももさん、改めまして。門田と申します」

「にゃ」

「ももさんにはこれからダニやノミのチェックと病気の有無などの検査をしてもらいます」

「にゃ」

「それから少し遠くまで移動することになります。花岡さん一家と車で移動します。なにぶん距離がございますので」

「しってますにゃ。じぶんであるいてきたのにゃ」



 花岡家の車がももを乗せて病院へ向かう。門田はそれを見届けると、目を合わせずに森下の肩をポンとたたき現場を後にした。昔のことまで思い出して春なのに湿っぽいや、そんなことを感じる自分もずいぶんを歳をとったのだと実感して車のドアに手をかけた。小さく静電気の音が鳴る。

🐈 🐈‍⬛ 🐈


「お母さん、ももちゃんだよ、わかる?やっぱりそうだったよ」

「本当だ…ももだ…ごめんねすぐに見つけてあげられなくて…」

 ももはスマートホンに映る母の姿をしばらく不思議そうに眺めていた。

「お母さん、わたしもいままでごめんなさい。今から病院に連れていって問題がなかったらすぐに一緒に帰るからね。ももの検査をしっかりしてから帰るからね。一週間もあれば帰れると思う」

「おーい、もも!どこいってたんだー、おぼえてるか、父さんだぞー!」

「お母さん、お父さん。ごめんなさいにゃ。かってにでていってごめんなさいにゃあ」

 病院に向かう道はピンク色の花がたくさん咲いていた。どこまでも続くその先に真っ青な空があって、その上にオレンジ色の大きな空が広がっていて、窓の隙間からどこか懐かしい甘い香りがしてきた。あたたかくて、どこか恥ずかしいような気持ちの入り混じった風がももの鼻に広がる。ダンボールに敷かれたくたびれたタオルにその顔を埋めると、ももはとても嬉しい気持ちになって背中を丸めてうとうととして、少しの間夢を見た。ふかふかの芝、ひんやりとした土、そんな庭でたくさんの家族と遊ぶ、そんな夢を見た。














【完】






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