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せめて28日後のゾンビでありたい

通院日。病院に着いてから保険証や診察券など一式忘れていることに気づいた。最近、こういうことが多い。

以前の自分ならあり得ない。そういうミスでもしようものなら切腹上等。市中引き回しもやむなしという気持ちだった。

鬱状態だからできないという人もいるけれど、僕の場合はちがうんだ。単純にやることが増えすぎた。自分と関わる人が増えすぎた。脳のリソースがそれに奪われているんだと思う。

ドラクエでパーティを組めるのは4人まで。ほかの仲間が戦いに参加しないのは、処理落ちを避けるためだと思う。僕の脳の性能はそんなもんなんだ。

昔ならば、完璧主義すぎてなにかに取り組んでもひとつミスをすれば、完璧になにもやらないことを選んでいた。完全に成功するか完全に失敗するか。オール・オア・ナッシング。

ドカベンに出てきた犬飼知三郎のゼロの神話を体現したくなる。完全試合。完全人生。右か左か。右翼か左翼か。中道はあり得ない。それは無翼であり無欲につながる。君もそうだろ。Don't you?

でも、いまの僕は、ゼロの神話にこだわらなくなってきたように思う。悪く言えば、乱打戦に近い生活を送っている。ミスも多いけれどそれなりにチャンスも得ている。まだ、体調面で不安なことが多いけど、それが少し減れば生きやすくなるんじゃないだろうか。

医者にパニック発作が頻繁に起きることを相談した。この発作が本当にやっかいでいままで平気な行動に心臓がどきどきする。それで疲れ果ててしまう。心身ともにしんどい。からだが鉛のように重い。運動しても改善しない。歩いてもゾンビのようだ。せめて、28日後のゾンビでありたいものだけどね。

というわけで、フィリピン留学は延期することにした。当初、五月中旬に行く予定だったけれど。でも、冬になる前にいきたい。冬は僕を全力で殺しにくる。鼻の手術をする必要もあるし、本の出版の企画書を多くの出版社に見てもらわないといけない。そんなことを話した。

僕がゾンビ映画になぜか惹かれるのは(好きではない)、ひきこもっている自分をそこに投影するからだと思う。自分は感染していない生存者。でも、どんどん追いつめられていく。勝ち目なんてない。いっそゾンビになったほうが楽だと思う。あるいは銃口を自分の頭にむけるか。

ゾンビというのは、僕にとって普通の人(社会を占める大多数の人)の比喩。彼らに同化するかだれもいない山村に逃げ込むか。選択を迫られる。食料もいずれ尽きる。これなんてまさに8050問題の象徴だ。


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