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西日本レーダーと部落ディアスポラ

なぜ部落ディアスポラとして名乗るのか、その意味についてお話ししたい。

「部落にルーツを持つという括りで十分なのでは」と、多くの方は思われるかもしれない。
でも、土地に由来するはずの部落アイデンティティが、その土地を離れた後でも心を捉えることを証明するために、部落ディアスポラという考え方はあってもいいのではないかと考えている。

部落ディアスポラを名乗ることで、今までの運動の流れを止めることや、新しい政治主体として立ち上がろうなんていう意図はない。
むしろ、部落にルーツを持つ人の中の多様性と、これからの未来を想像するために、一つの可能性として、こんな人がいるんだよと知ってもらうことに意義があるんじゃないだろうか。
部落ディアスポラとして生活する人たちの「あるある話」の集積地として、このコミュニティを運営していきたいと考えている。

さて、関東で生活して長くなる私には、「西日本レーダー」が存在する。
関東で生活していると、日常会話に「部落」という言葉が登場することは極めて少ない。
けれど、部落問題は「西高東低」と言われるように、西日本では部落問題への取り組みが活発で、関心や問題意識も比較的高い。
例えば、初対面の相手の自己紹介で、「京都出身」「福岡出身」などと聞くと、「あぁ、出自による差別が残っている地域だな」と私の脳内では、瞬間的にその人の出身地がインプットされる。
しばらく後に、「◯◯さんって何県出身ですよね」と差別とは関係のない文脈で話を切り出すと、「よく覚えてますね!」と相手は好意的に受け止めてくれるが、若干の警戒レーダーを張っている自分としては、相手の出身地が西日本かどうかという点は、絶対に忘れるはずがないのである。

部落外で育った自分が、なぜ部落差別に敏感であるのか、それはきっと謎めいているに違いない。
けれども、差別の存在を知り、それが自分のルーツと重なっているという接合点を見出すことで、差別される可能性を自分の中に見出す。
マジョリティとして普段生きている自分は、被差別体験で日々苦悩しているわけではない。
それでも、マジョリティとして生きている中で、属性に基づく色々な差別を知り、自分のこととして深い悲しみで心を囚われることがある。
そうやって、マイノリティの差別者からの扱われ方を知る過程で、被差別者としての自分を見つけていくのだと思う。
部落差別の話を聞くと、「自分も言えば差別される」という立場を自覚させられ、なんとなく周囲から距離を取ってしまう。
そして相手が自分のことをどう思うかに敏感になり、姿を眩ましてしまいたくもなるのだ。
だからだろうか、自分にとって「心を開く」とは、自分のルーツを知ってもらえているかどうかみたいなところが、いつからか重要になっている。
この人になら、自分の内面的な苦悩を漏らしても大丈夫だ・・・そんな風に思えるまで、何度も大丈夫かな、大丈夫だよね、やめておこう、と思考をめぐらし、「いややっぱり言わなきゃ!」という瞬間を経て、カミングアウトすることになる。
とにもかくにも、疑心暗鬼になってしまうのだ。
それはそこそこに孤独で、自分のパーソナリティに影響してしまっている。

部落ディアスポラとしての経験とは、部落にルーツを持つということを忘れたり、消したり、振り返ったりしながら、生きることだと考えている。
そんな見えそうで見えない人たちの声を、聞いてみたいと思っている。


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