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今年の秋雑感

つい最近読んだ、桜庭一樹さんのエッセイ「東京ディストピア」によると、歴史と呼ばれるものには2種類存在し、

一つは、正史(せいし)という、国家によって編修される歴史。

それに対する稗史(はいし)と呼ばれる歴史は、庶民の手によって書かれた日々の綴り。

桜庭さんの生活変化に絡めた、2020年の情勢を綴られたこの日記。
もちろんこちらも稗史の一つですが、非常に克明で、読み進めるにつれ、忘れていた記憶も次々掘り起こされ、何かの資料として役立つような立派な歴史書みたい。

私も何か書き残しておけばよかったな、とぼんやり考えた少し後、矢継ぎ早に飛び込む情報と重苦しい雰囲気に耐え兼ね、テレビを消したり、やはり気になって再びつけたりというあの頃を思い出した。
なので、ここまで詳細に記録することは、簡単ではなかっただろうな…

皆さんのnoteも、個人の気持ちや生活が詰まった、稗史という立派な歴史。
私の日常駄文も、多分稗史の端くれ、と思いたい。

自分のことと言えば最近は、買い物ついでに、公園や河原に立ち寄る機会が増えました。
高くなった青空に映える、赤や黄色に染まる木々や落ち葉を眺め、一瞬で過ぎる短い秋の日を楽しんでいます。
心地よい気温に包まれながらも、今しか目に出来ない色彩に出会える、この季節が大好きです。

かと思えば、その足でスーパーに入ると、今月も相変わらず値上げの嵐で、もはやアイスクリームもワンコインで買えなくなったというマイナーダメージを受けたり(子どもか)。

プレミアム率の高い地域商品券が発売された時、購入金額から浮いた分で何を買おうか浮かれていたけど、あ、そうか、こういったことに本来は使うべきなのかと現実に引き戻されるのです。

私の歴史なんて、こういった小さなアップダウンの繰り返し。

今月初めて目にした(気が付いた?)、電気料金明細書に記載されていた「託送料金相当額」って、何だろう。

連休中に会う予定だった友人が、ご家族と共に体調不良となり、数年ぶりの紅葉狩りが中止となってしまいました。
同年代で、お互い体に色々不調が出てくる時期でもあり、積もる話もしたかったので、とても残念。

だけど、お互い思いやれる存在がいるということを再確認できた、機会でもありました。

彼女曰く、食料品を事前にストックしていたことで非常に助かったと言っており、改めて貯蔵の大切さと、重い症状にかかった際の、身動きの取れないリアルな辛さを教わりました。

2年前に比較すると、新感染症に対する不安が若干やわらいで、多少の心構えは出来てはいるつもりではあるものの、まさかその短い間にも、別な天変地異が起こるとは。
いくつになっても未来って、本当に予測がつかないものです。


生きていくにつれ、何だか先細りみたいな出来事ばかりで気が滅入ることもありますが、もっと若い人は、日本で生きていくってこんなもの、と思っているのかな。
どうなんだろう。

もしそうならば、世の中って、そんな自覚のない忍耐に支えられ、皆が随分助けられている気がするよ。


気温が下がり始めた先月から、衣替えをしたり、押入れから毛布を取り出したりと、少しづつ長い冬への準備を進めています。

時期早々かとも思いましたが、自家用車の定期点検のついでに、10月下旬に冬用タイヤへの交換も同時に行いました。
そうしたら何と、早割ということで、作業代が1,000円もオフに。
車に乗ってもう何十年と経ちますが、こんな制度があったとは、つゆ知らず。
早めに交換してもタイヤがすり減るだけ、と周りにはバカにされましたが、早めに行動すると、いいこともあるのですね。


今朝ふと庭に目を向けると、雑草の合間に、秋だけ姿を現すエノコログサ。
昨日まで黄金一色だったのに、ふさふさの黄金と、紫色に変わった葉のコントラストがとても綺麗。
こんな色づきをするとは、これも初めて知ったことで、生き物の冬の準備は様々なんだと気付かされます。


猫の目のように、くるくると日々変わる、すり減るような人の営みと、癒しを与えてくれる、毎年変わらない自然の姿。

私達は、二つの対照的な世界を行ったり来たりする毎日を過ごしていますが、その中からも、小さいながらも、喜びを地道に見つけいかなくては、と思いながらも今日も生きています。

その一つ一つをかき集めたら、誰とも比べられないけれど、自分にとってはかなりの大きさの幸せになるに違いない。

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