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【今日コレ受けvol.081】自力で歩けばハナマル

7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。


母から、「保険の書類にサインが必要だから」と言われ、実家に帰っていた。死後の保険手続きの話もされて、
「ああ、終いの準備をしているのだなあ」と感じた。

寂しさと不安と、ありがたみがないまぜなような気持ちになる。でも、こういう話を聞いておくのも、子のつとめなのだろう。

子のつとめ……。
放蕩娘を自認するわたしだが、ほかに娘としてやらないといけないことは、なんだろうか。

一番はきっと、介護。
そう遠くない日に必要になるかもしれない。
兄、姉は遠方に住んでいるので、そのときが来てしまったら私の出番だろう。不安もあるが、腹をくくってがんばるつもりだ。

新型コロナの流行で断られているが、旅行にも行きたい。もっと母との時間をつくらないと、きっと後で後悔する。


一方で、母の立場としての自分を考えてみる。
もし将来介護が必要になったら、絶対に息子の世話になりたくない。息子が大人になる頃には、介護は全部ロボットの仕事になっていてほしい。 
なぜか。
いつまでも、彼と対等でいたいからだ。

今も小学生の息子に「お世話している」という感覚はなく、日々教えられてばかりだ。おそらく、かなりフラットな親子関係だと思う。
「成人するまでの衣食住の提供」
「彼のやりたいことが実現するよう、可能な限り応援する」
この2つは親の役割と思うが、あくまでも役割で、どっちが上なワケじゃない。
歳を重ねても、そのままの関係性でいたいのだ。

だって、人間関係のつまづきはだいたい、依存したり、されたりするところからはじまるんじゃないだろうか。


唯一わたしが息子に求めるのは、「成人したら、自分の足で歩いていく」ことだけだ。そしてそれは、わたしが自分自身に求めることでもある。

最期の最期の一瞬まで、自力で歩く。這ってでも。それさえできれば、人生ハナマルなんじゃないかと思う。


もしかしたら、母もそう思っているんじゃないだろうか……?

いつか介護がはじまっても、どちらが上ではない、対等の関係でいられるように。
最期まで、自力で歩いていける道を探る。

それこそが娘の、いや長き友人としての、一番のつとめなのかもしれない。

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