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【今日コレ受けvol.069】正しい、の無限ループ

朝7時に更新、24時間で消えてしまうショートエッセイ「CORECOLOR編集長 さとゆみの今日もコレカラ」。これを読んで、「朝ドラ受け」のようにそれぞれが自由に書くマガジン【今日コレ受け】に参加しています。


「行儀のいい文章を書かない。ハナマルをもらう文章を目指さない」

昨夜、通っていた「ライター道場」のおまけ講義があった。その課題総評で、講師であり、尊敬するライターの大越裕さんがおっしゃった言葉だ。言わば、全員への赤字。

うーんまさに。
仕事ではない文章を書こうと思うと、つい行儀が良くなる。無意識に、「正しいことを書かないと」という姿勢になっている気がする。

でも、それって誰のため?
というかそもそも「正しい」なんて、時代や国、地域、家族単位でも違う。
「目には目を、歯には歯を」というハンムラビ法典の教えだって、当時はきっと「正しかった」のだから。

では、正しさの代わりに何を入れるのか。
大越さんは、「詩情」と「ユーモア」だとおっしゃった。
いわばグルーブ。自分がエモいと、面白いと思ったことを入れるということか。

どこまでも私見。でもそれこそが誰かの共感を呼び起こし、「いい文章」になるのだろう。

なら、いい文章とは?
わたしにとっては、読み応えがあり、感情が揺さぶられ、なんらかの気づきが得られる文章を指す、かもしれない。これもあくまで私見だけれど。

歌で考えると分かりやすいのかも?
たとえば、「もう恋なんてしない」は槇原敬之さんのヒットソングだが、あの歌を聴くと自分自身の失恋の記憶が共鳴する。嫌でも。
聴くたびに、カサブタの下の思い出にダイブせずにいられない。そこには確かに、詩情が感じられる。そして毎回、「言わないよ絶対〜♪」でつい、ふふふと笑ってしまうのだ。

あんな歌を歌う(書く)には、どうしたらいいのか。


おそらく、自分が何にエモさを感じ、何を面白いと思うのか。そこに敏感である必要があるのだろう。自分を、自分の感情を徹底して観察するしかない。

日々起こった出来事をしっかりと味わい、何を思ったのか、何に気づいたのか、逐次分析する。
そして書く。

その繰り返しこそが、「正しい文章」というナゾの檻から開放してくれるカギなんだと思う。


あれ。でもこれ、また「正しい」匂いがする文章になってはいないか?

冒頭に戻る。

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