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中華料理を通して見えてくるインド、パキスタン、ネパール(『第三の大国 インドの思考』より③)

文春新書の新刊『第三の大国 インドの思考 激突する「一帯一路」と「インド太平洋」』(税込・1,100円)は、在インド、中国、パキスタンの日本大使館に外務省専門調査員として赴任したアジア情勢研究の第一人者である笠井亮平さんが、現在のインド、さらには中国も徹底的に分析、解説した充実の一冊。世界の政治経済の動向や、今後の日本の進む道を構想し、ビジネスを優位に進めていくにあたっての情報や分析が満載です。

今回は、発売を機に、本書に掲載されたコラム「中華料理を通して見えてくるインド、パキスタン、ネパール」を公開します。

日本ではなかなか食べることが出来ない「インディアン・チャイニーズ」とは? なぜガラパゴス的な発展を遂げたのか?

独自の進化を遂げた、インディアン・チャイニーズ

中華料理ほど、世界各地に広まっている料理はないだろう。アジアはもちろん、アメリカ、ヨーロッパ、果てはアフリカまで、どこに行っても一軒くらいは店が見つかるものだ。
 ご多分に漏れず、インドにも中華料理はある。しかし、かなり独自の進化を遂げており、「インディアン・チャイニーズ(インド中華料理)」という新たなジャンルを形成している。筆者は中国の北京にも駐在していたことがあるが、その経験からしても、一見しただけでは中華と思えないような料理も少なくない。
 たとえば「レモンチキン」。レモン汁やチリパウダー、ターメリックなどでマリネした鶏肉をみじん切りにした玉ねぎと炒め、醤油やガラムマサラなど複数のスパイスで味を調えて完成という一品だ。また、「ゴビ・マンチュリアン」もインド中華の定番メニューだ。「マンチュリアン」と言っても満洲とは関係がなく、「中国」というほどの意味で、スパイシーで濃い茶色のソースで炒めた料理を指す。ちなみに「ゴビ」は「ゴビ砂漠」─ではなく、ヒンディー語で「カリフラワー」という意味だ。他にも、アメリカ経由で入ってきた「アメリカン・チョプスィ」、南インドの人気メニュー「ドーサ」を唐辛子メインの「シェズワン(四川)・ソース」で仕上げた「シェズワン・ドーサ」をはじめ、フュージョンを重ねた料理がいくつもある。

 念のため言うと、こうしたインド中華料理がマズいというわけではない。むしろ、日本人にはインド料理以上に口に合うのではと感じるほどだ。インド人も、都市部ではインド料理ばかり食べているわけではなく、こうしたインド中華も人気だ。東京のインド料理店の中にインド中華を出す店が数軒あるが、日本駐在中のインド人とその家族に支持されている。海外在住の日本人が「町中華」を懐かしむようなものと言えるだろうか。

印中関係の冷え込みが、ガラパゴス的進化を促した

これほどに独特なインドの中華料理は、どうやって形成されたのか。はじめてインドに中国系の移民が来たのは18世紀後半で、カルカッタ(現コルカタ)郊外に定住したと言われている。ここからしだいに中華料理が広まっていったのだが、その過程でインド人の味覚に合わせるべく、現地のスパイスが使われるようになったようだ。ちなみに、コルカタには現在でも小規模ながらインド唯一のチャイナタウンがある。
1962年の国境紛争以降は、印中関係は四半世紀以上にわたり冷却化した状態がつづいた。この間、本場の中華料理が入って来なかったことで、さらに「ガラパゴス化」が進んだ。「マンチュリアン」系の料理ができたのは七五年と言われており、まさに印中が「没交渉」だった時期と重なる。
 食材面で言うと、肉の種類が限られるという制約があった。インドでは総人口のうちヒンドゥー教徒が約80%、ムスリムが約14%を占めているのもあり、牛肉と豚肉という、中華料理では定番の食材が使えない。魚も、コルカタやパンジャーブといった一部の地域を除きあまり食べられていない。そうすると肉はどうしても鶏肉がメインになり、そこでバリエーションを増やす方向に進んだのではないかと筆者は見ている。

『第三の大国 インドの思考 激突する「一帯一路」と「インド太平洋」』
笠井亮平 著

◎目次

まえがき 3
序章 ウクライナ侵攻でインドが与えた衝撃 15

第一章 複雑な隣人 インドと中国 25
蜜月から対立へ/転機となったチベット問題/印中国境紛争への道/対ソ接近に活路を見出したインド/パキスタンという「ワイルドカード」/米中和解がもたらした「事実上の印ソ同盟」/「米中パキスタン」対「ソ印バングラデシュ」/遅れて来た経済自由化/核保有をめぐるインドのロジック/印米急接近と実質的な核容認/「BRICS」発足とモディの登場/印中新時代にもくすぶる国境問題/「政冷経熱」の印中/人口インパクトで台頭するインド/二〇四七年までの先進国入り
【コラム①】「インドのマキャヴェリ」が説くマンダラ外交

第二章 増殖する「一帯一路」ーー中国のユーラシア戦略 67
それは習近平のアルマトイ演説からはじまった/ベールを脱いだ「一帯一路」/中国の強国化と「一帯一路」の登場/ヨーロッパとのコネクティビティ強化/「アジアインフラ投資銀行」と「シルクロード基金」/「一帯一路」をめぐる懸念/反発を強めるアメリカ/ヨーロッパでは「港湾」と「中東欧」に進出/日本でも提唱されていたシルクロード開発構想/日本はどう向き合ってきたか
【コラム②】『三国志』と現代中国の指導者、そしてユーラシアの勢力図

第三章 「自由で開かれたインド太平洋」をめぐる日米印の合従連衡 107
二〇〇七年の安倍総理「二つの海の交わり」演説/「インド太平洋」を作り出したのはどの国か?/「自由で開かれたインド太平洋」とインドの思惑/「お蔵入り」になった二〇一三年の「インド太平洋戦略」演説/日本外務省のイニシアチブ/どうしても必要だったインドの支持/インドから見たインド太平洋/「クアッド」に向けた胎動︱日米豪印の連携/コロナ禍で実現したクアッド首脳会合と四か国海軍演習/英仏独が「インド太平洋」に関心を強める理由/バイデンが進める「インド太平洋経済枠組み」/「インド太平洋」は禁句︱中国の拒絶
【コラム③】インド北東部と日本ーーインパール作戦の舞台から開発の焦点に

第四章 南アジアでしのぎを削るインドと中国 153
グワーダルーーベールに包まれたパキスタンの港湾都市/中国の支援で進むグワーダル港開発/交通、水、テローー発展の制約要因/「一帯一路」の要としての中国・パキスタン経済回廊/中パ経済回廊の実態は/ハンバントタ港開発で「債務の罠」に陥ったスリランカ/空港やコロンボ港も︱ハンバントタだけではないスリランカの中国依存/デフォルトまで追い詰められたスリランカ経済/ヒマラヤ山脈を中国の鉄道が縦貫する日/インドが「一帯一路」から距離を置く最大の理由/「一帯一路」と相容れないインドの「核心的利益」/チャーバハール港開発計画︱アフガニスタン、中央アジアへのアクセスも狙う/国際政治に翻弄されるチャーバハール港
【コラム④】中華料理を通して見えてくるインド、パキスタン、ネパール←本稿

第五章 海洋、ワクチン開発、そして半導体ーー日米豪印の対抗策 203
インド洋をめぐるインド独自のイニシアチブ/インド洋開発の切り札か?ーーアンダマン・ニコバル諸島開発/南太平洋での米中勢力争い/インドの新型コロナワクチン開発/次のパンデミックを見据えたワクチン開発協力体制/ペロシ訪台で際立った台湾の重要性/半導体のサプライチェーンにインドは加われるか
【コラム⑤】宇宙大国・インド

第六章 ロシアをめぐる駆け引きーー接近するインド、反発する米欧、静かに動く中国 231
「実利」優先のインド外交/「特別で特権的な戦略的パートナーシップ」の構築/インドのロシア産原油「爆買い」/インドの原発建設もロシアが支援/「いまは戦争の時代ではない」ーーモディが苦言を呈した背景は/ロシア・ウクライナ双方と関係が深い中国/インドとロシアの間にくさびを打ち込めーー中東版クアッド「I2U2」
【コラム⑥】インドのスターリン︱いまも残る「ソ連」、「社会主義」、「共産党」

あとがき インドと中国が争う新時代の国際秩序形成 256
主要参考文献 261


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