見出し画像

ノーファインダー(サンプル)

 一

「家の前の路地をよぉ、パタパタ走りやがる八百屋のオート三輪を撮ることから始まったのよぉ、オレの写真人生は! なんたってライカよぉ! ライカ! ライカ! ライカ! これがなきゃ始まんないねって思ったね、オレはよぉ! 沢田もキャパもライカだったろ? おまえよぉ、ソレにはちゃんと理由があんのよ! いいか、ライカってのはよぉ、とにかく囁くのよ。一眼レフのチンピラみたいによぉ、『バタン』だとか『シャカン』だとかのお下品なミラーアップの音の微塵もしないのよ、ライカはぁ。そこがレンジファインダーってヤツのスゴイとこよぉ。アサヒもニコンもキャノンも駄目よぉ! ライカ! ライカ! ライカよぉ! やっぱしよぉ! オレがガキの頃にはよぉ、ライカ一台あれば家が建つって言われてたんだぜ? 信じられっか? オマエみたいな若造に―」

 常連客で賑わう裏路地の居酒屋の店内で、大槻は周囲の迷惑をかえりみず、怒鳴るように喋っていた。

「これ見てみろよぉ!」大槻は威勢良く叫びながら、5本中3本の指が第2関節から無くなった左手を内田にさしだした。手には一枚の写真が持たれていた。

 大槻が言うには、南ベトナム解放前線の兵士の足を、至近距離から撮ったものだそうだ。

 モノクロでも、土や垢で汚れているとわかる素足に、黒いサンダル履きの無数の足達が草をかき分け歩いている写真だった。

「これだから撮れたのよぉ! 35㎜だぜ、35㎜! 35㎜のちょいとした広角レンズでこれを撮ろうっていったらよぉ、相手の息づかいや、匂いが嗅げるとこまで近づかないと撮れないぜ!」大槻は両手を広げ、自分とこの写真の中の解放前線の兵士とが、いかに至近距離で接していたかを説明した。

「見つかればアウトよ―カメラからは弾がでねぇからな。プレス証なんてもんはなんの役にもたたんわな。オレが大手の通信社の人間だったらまだ捕虜として使い道があったかもしれんが、なんつってもよぉ、こん時のオレはフリーなわけよ。しかも中年でよぉ、英語もできねぇ、ベトコンの言葉なんてもんはもっとだめよぉ! 知ってても『チョヨ~イ!』ぐらいなもんよ! ま、サイゴン辺りで女を口説くときだけはオレの外国語も捨てたもんじゃなかったけどなぁ」大槻は、写真をテーブルの上に置き言った。

 なぜ大槻が死の危険を冒してまでベトナムを目指したのか。内田は理由をよく知っていた。仕事のあと、毎日のように強制的に連行された焼き鳥屋で、内田は暗唱できるくらい大槻から自身の昔話を聞かされていたのだから。

 焼き鳥屋に入ってからの大槻の行動や言動を再現することだって、内田にはわけないことだった。

「マスター! かっちんかっちんに冷えたトコちょうだい!」と大槻が叫べば、瘠せて青白い顔をした焼き鳥屋の店長が、どの客よりも優先して大槻と内田の座っているテーブルに、ジョッキに入ったトリスを炭酸水で割ったトリハイを持ってきた。

 大槻はビールを飲まなかったのだ。

 ビールなどは貴族の飲み物であって庶民は密造酒のような安物ウィスキーを薄めて飲めばヨロシイ、というのが大槻の持論だった。

 大槻は、トリハイを一気にかっこむときまって「内田! バクダンてオメェ知ってるか? バクダンて言うのはよ、とにかくエゲツないアルコール酒のことよ。工業用からババアのションベンまで混ぜっくるめたような酒がな、戦後は本当に売られてたんだぜ! ここだって今は屋根壁があるけどよぉ、そんときゃホントに地べたしかなくてよぉ、オレはここでバクダン飲んで不安をうっちゃって、まあホントろくな青春じゃねぇわな―」と毎度同じ話を始めた。

「オレがおめえくらいの時にはよぉ、とにかく金が欲しかったのよ! 地位も名誉もクソッタレってんでね、まあホント金がほしくてよぉ。金になることならなんでもやったぜ! 殺しだってある程度喰うにこまらねぇだけの稼ぎがあったら、そりゃ喜んでやったろうね。でもな、そんときゃあよぉ、ホントの話、けっこう安かったんだぜ、殺し屋家業ってのは。まあだからオレはそっちのほうに転がることはなかったけどよぉ、まあそれにしても金が欲しくてな。とにもかくにもよぉ、オレはライカが欲しかったのよぉ! あれがあれば世界が変わると思ったね。戦前にシュミット商会かなんかの広告にライカが載ってたのよぉ。あ~ホント、ビビビッてきたね! あれは! ライカよ、ライカじゃねぇと駄目だと思ったのよオレはよぉ! とにもかくにもよぉ、世界が変わると思ったのよぉ、オレがライカを手にいれたのならよぉ―」

 酒が入った大槻は止まらない。

「オメェ知ってっか? 戦後の六本木っていうのはよぉ、進駐軍の町でよぉ、日本がアメ公に負けたとたん、それまで我が物顔で長靴をカツカツさせてた日本の将校さんらは消えてマッカサー様々なアメ公共の町になったんだぜ。そこでオレぁは見ちゃったのよぉ、ほんまもんのライカよぉ! アメさんの将校が兵卒にジープ運転させてよぉ、助手席からオレを撮りやがったのよぉ。別に頭にきたわけじゃねぇけどな、一応イチャモンつけねぇとオレにもメンツってもんがあらぁな。そんで言ってやったのよぉ『やいやい! テメエラァみたいなピカドン野郎に撮られる覚えはねぇぞ!』ってな。そしたらそのアメさん、なんか勘違いしやがってな、オレに1ドル札なんか差し出しやがってよぉ、バッキャロォ! こちとら金が欲しくて怒鳴ったんじゃねぇやってんで、ちゃっかりもらえるもんはもらっといたよ。それが縁でな、そのアメさんの家に出入りすることになったのよ。そのアメさんはリックさんて言ったんだけどなぁ、その人から写真のイロハを教わったのよぉ、オレぁはよぉ」

 二

 第二次世界大戦終戦後、しばらくしてライカを手に入れた大槻は、戦後のドサクサに紛れ開業した商業写真家家業が軌道にのっていたのにもかかわらず、アジアの小国ベトナムへと旅立ってしまう。

 1966年のことである。

 この頃のベトナムでは、日本人戦場カメラマンである沢田教一がまさに神がかり的な活躍をしていた。世界的報道写真賞であるバーグ国際写真賞受賞を皮切りに、世界中の報道関係者の憧れであるピッリツァー賞までをも沢田は受賞していたのだ。

 地位や名誉に興味はなく、ライカを手に入れて以来、金銭に対しての執着心もなくなった大槻を動かしたのは、沢田が受賞した写真のほとんどがライカで撮られたという事実だった。この頃になると、日本製のカメラもはばを利かせてきていて、なかでもニコンの『F』は、世界の報道カメラマン達から絶大なる支持と信頼を勝ち取っていた。にもかかわらずライカを中心に活動し続ける沢田に、大槻は心底シビレタらしい。彼は沢田に会うため、生まれたばかりの長女をただの一度もあやすことなくベトナムへと旅立ったのだ。

 ベトナムで沢田に会ったのなら、そこで彼に酒でもおごって、記念に写真でも撮って帰ってこよう。旅立った時の大槻の気持ちは、このように軽いモノだった。が、大槻の気持ちは大きく変わることになる。

 ネバッと肌にしがみ付いてくる重い湿気を含んだ空気。人や家畜が怒号の中を行き交う市場。米兵のジープに頼んで乗せていってもらった、ユエの古城の激戦痕。農村の道端に転がる南ベトナム開放前線の少年兵士の遺体。鼻腔にこびりついて、どこまでいっても離れない人の死臭。大槻が戦後の焼け野原で過ごした青春時代と、ところどころリンクしたのであろう。大槻はこの国に居座って、写真を撮ることに決めた。

 当時アメリカ政府は〝開かれた戦場〟をアピールしていた。

 ベトナム戦争も初期の頃は、首からカメラをぶら下げていれさえすれば、比較的簡単にアメリカ軍から記者証を入手することができた。この記者証さえあれば、〝チョッパー〟だとか〝定期便〟と呼ばれる、ベトナムのジャングル上空を我がもの顔で飛び回るアメリカ軍のヘリに乗りたい放題だった。もちろん死んでしまえばそこでおしまい、保証などない。そこで全てが終りなのだが。

 大槻はこのヘリに搭乗し、ベトナム内の戦場を撮り歩いた。

 名前も知らない小さな村。その村々に続く田んぼのなかの畦道。メコン川沿いの土手の上。

 大槻は、『クソッタレのド畜生野郎のライカ』と名付けた自らのライカを携え、あらゆるモノの匂いを嗅ぎ、見たくもないモノを見てきた。アメリカ軍の工兵隊が操る大型重機によって掘られた大穴に無造作に放り込まれていく大量の解放前線の兵士の死体。アメリカ軍の空港の滑走路脇にズラリと並べられた真新しい木製の棺。従軍していた部隊の斥候兵が突然「ポンッ!」と軽い音と共に宙に舞い上がり、辺りに紫煙と火薬臭が漂って、「ああ、アイツ地雷を踏みやがった―」という白けきった部隊の士気の様子。世界各国の先進国から届く救援物資の横流し。

「残りの人生は、カツカツでもいいから喰えていければいいと思った―」ベトナムでの取材も1年を過ぎた頃、大槻はそう思った、と内田によく話した。

 ベトナムから帰国し、東京のスポーツ新聞社に勤めだした大槻のもとへは、再度商業写真家として独立してみないかという話が何度となくきた。

 広告代理店から雑誌の編集者、それに大手芸能プロダクション。旅立つ前に作っておいたコネが、日本に戻ってきてからも変わらず残っていたのだ。今では考えられないことだが、当時写真を撮るということは、特別な技術をようする仕事だったのである。

 ベトナムに旅立つ前の大槻は、当時大卒の初任給が2万や3万の時に、ゆうに100万円を越える大判カメラに高級中判カメラである八ッセルブラッドのボディと、そのレンズシステムまでをも所有していた。これらの大きくプリントを引き伸ばすことができるカメラでの撮影は、今では考えられないほどの大金を稼ぐことができた。主な仕事は、広告写真に雑誌の表紙のモデル撮影。3日もスタジオにこもれば、現代にして数百万という大金が転がりこんできた良い時代だった。

 大槻の遺影の前で手を合わせていた内田には、かつての大槻とのやりとりがハッキリと聞こえ、そして見えた。

 下品で、大声で、粗野で、大酒のみで、けれど写真の腕は〝超〟が10個ついてもたりない腕前。シャッターを押す右手の人差し指と、レンズのピントリングを回す左手の親指と人差し指だけで食っていけた時代の人。何もかもが過去のことなのに、やたらとそれは鮮明なイメージで内田の頭の中に広がった。内田にとっての20代は大槻とともにあったのだ。

 特別感じやすい年頃でもなかったが、あのバイタリティ溢れる大先輩は、内田の脳の皺の一本一本に着床し動かない、といったとこなのだろう。猫の手も借りたい忙しさのなかでも、内田の脳裏には大槻の幻がときより姿を現しては消えていたのだった。

「アオザイを着た姉ちゃんはよぉ、とにかくケツがパツんパツんでよぉ。ソッと触れただけでもオレの手がボンとフッとんじまうくらいの弾力があったぜ、あれは―」酔いが回り目がすわった大槻は、きまってベトナムの女性の話を始めた。そしてクタビレた皮のポーチから一台のライカを取り出し、話はカメラのほうに流れていったのだ。この時彼が居酒屋のテーブルの上に放り出したライカは、彼が戦場で使用していたものではなく、誰それとの博打のカタに頂いたというモノだった。大槻はこのライカを撫で回しながら、呂律の回らない不確かな口調で、毎回同じ台詞を言うのだった。

「なぁ内田~、テメェと一緒に歳をとってくカメラの一台くらいはいつも持ち歩いた方がいいぜぇ~。オレの場合はローライにしよぉとおもうんだけどよ~、どう思うよ? おぅ? なぁ~内田~」

 この台詞のあとの内田の返しも、いつもきまった台詞だった。段々酔いつぶれていく大槻に内田は言った。何故ライカじゃなくてローライなのか、と。答えが返ってきたことはない。内田が質問をし終える頃にはいつも、大槻は飲み屋の机の上にうつぶせて鼾をかいて寝いってしまっていたからだ。

 三

 内田が今の新聞社に入社して一番最初にやった仕事は、大先輩である大槻のアシスタントだった。

 大槻は、彼より25歳上のベテランで、フリー時代にはベトナム戦争に従軍していた命知らずの腕利きカメラマンだった。激しく動くものの写真、例えば大学のラグビーの試合とかの撮影では、彼の右に出る者など、どこの新聞社の写真部をさがしたっていなかった。

 スポーツ写真を撮るときによく使われる超望遠レンズのピントの合う範囲は、紙のように薄い。動きのない静物でさえ、手動で瞬時にピントを合わせるのは至難の業なのだ。けれど大槻は、どんなに激しくもみ合う選手達にでも、瞬時に、確実に、ピントを合わせることができた。

「おまえがオレの同期なら、オレより腕のいいカメラマンになってたよ」と、定年をむかえた大槻は、送別会が開かれた居酒屋で内田に言った。その大槻がつい先日、75歳で死んだ。人伝いにそれを聞いた内田は、この日、大槻の家へとタクシーを走らせてきたのである。

 内田は過去に何度か、大槻の自宅に訪れたことがあった。都心から車で⒖分と立地的には優れた古い民家だった。自転車ですら入り込めない路地の中へと身体を半身にして染み込んでゆくと、道路は土を固くかためただけの未舗装の道に変わってゆき、写真でそこだけを切り取ったのならば、ここが21世紀の都心の中心付近と誰が思うだろう、という場所に大槻の自宅はへばり付くように建っていた。

「お茶が入ったので、よかったらどうぞ―」遺影に向かって目をつむり手を合わせていた内田の背中に向かって女性が言った。内田は合わせていた掌を離す前にもう一度強く念じるように手を合わせ、顔を上げ、目を開け、遺影を見つめた。それからゆっくりと正座をしたままの姿勢で、女性の声がした方に向き直った。身体の線が細く、目尻がツンと釣り上がっている気の強そうな女性だった。

「すいません、いただきます―」内田は、女性の顔から畳の上に置かれたお盆の中の湯飲みに視線を落とし言った。

「どうぞ―」女性は、ワザととぼけた口調の返事をした。

 畳の目を見ながら、熱いお茶を一口すすった内田は、視線をあげた。内田の斜め前で正座している女性の視線は、無関心を装い、けれど隅々まで内田を観察していた。

「あの、新聞社では、ホントに、大槻さんにお世話になっていました。改めまして、内田と申します。この度は―」と内田が決まり文句を言い終わる前に、「内田さんのことはね、父からよく伺ってましたよ」と、女性が割ってはいった。

「今日聞いたんです。大槻さんが亡くなったこと―」内田はまた視線を畳の上に落とし言った。

「はあ、そうですか―」

「どうしても、お仏壇に手を合わせたかったので―」

「いえいえ、わざわざありがとうございます―」

 内田は、女性の言葉に合わせ大きく頭を下げた。畳敷きの和室の隅に置かれたトヨトミ社製の石油ストーブの上の薬罐からは、沸騰したお湯の水蒸気が勢いよく吹き出していて、部屋の中にある音は、それだけだった。

 内田は、頭を上げ終わると同じに、「ご馳走様でした」と言い、立ち去る事を決めていた。が、内田より先に、女性の方が話を切り出してきた。

「よくフィルムを入れ忘れたカメラで現場に向かってたんでしょ? ウチダさんて?」

「え?」

「父がよく話してましたから―。あとなんだっけ、そうそう! 電車やタクシーの中に取り終えたフィルム全部忘れてきたり、なんだかそそっかしい人だったんですよね、ウチダさんて―」

「ああ~、そういうこともありましたね。新人の頃は誰にでもあることですよ―」

「でもあなたは特に酷かったって、父がよく言ってました―」

「そうですか」思わず内田は吹き出した。自分の若い時の失敗を、まさか今日始めて会った人間に言われるとは思っていなかったからだ。 

「大槻さんの、娘さん、ですよね?」内田は聞いた。

「ええ―」女性は小さな声でこたえた。

 妻を早くに亡くしていた大槻の身辺の世話を、近所に嫁いだ長女の彼女がやっていたことは、まだ新聞社で働いていた頃の大槻から聞いて、内田は知っていた。

「変な遺影でしょ? それ―」大槻の娘は、仏壇に視線をやって言った。

 普通、仏前の写真は、正装した故人の顔写真であるが、大槻のモノは違った。遺影の中の大槻は、ライカを縦位置に構え、右目をファインダーに押しつけ、白く濁った左目の眼球を鋭く輝かせていた。一見すると、鏡にむかってのセルフポートレート、つまり自分で自分を撮影した写真に見える。が、これは内田が撮影したものだった。同じ太陽の下で汗をかき、同じ北風のなかで凍え、同じ時間を長く共有していたからだろうか。大槻の遺影を眺めていた内田の頭の中には、次から次へと、元気だった頃の大槻の姿が浮かんだ。

 四

 話は1年前に遡る。内田が埼玉県にある球技場に、サッカーのプロリーグの撮影にいっている時だった。競技場内のマスコミ席にカーボン製の大型三脚を備えつけ、800㎜の超望遠レンズがつけられたカメラをセットし、ファインダーを覗き込みピッチを観察し、この日の撮影のプランを頭でイメージしている時、内田の携帯が短い間隔のバイブの振動で着信を知らせた。内田はファインダーを覗きながら携帯にでた。

「オレだ! オマエの師匠だ!」相手がこう叫ぶと、内田は急いでファインダーから目を離し、電話に集中することにした。

「大槻さんですか?」

「おうよぉ!」

「どうしたんすか?」

「おう、今日わざわざオマエに会いに社に行ったらよぉ、若いニイちゃんが『ウチダは今外出中です』なんてすまし顔でぬかしやがったからゴタゴタ言わず連絡先教えろって言ってやったらこの番号を教えやがってあの若造は―、まあどうだ、元気でやっとるか?」

「はい、元気です! 大槻さんこそますますお元気そうで!」

「まあ~ダメだな、オレァ~もう―」

「またまた―」

「おう、それよりよぉ、今日オマエにオレが会いにいったのは他でもねぇ、オレの写真を撮ってくれぇ!」

「写真? ぼくが大槻さんのですか?」

「他になにがあんだよ! バカヤロウ!」

「あ、いや、別にそれは構いませんが―なんでまた?」

「ライカよ、ライカを手にいれたのよぉ!」

「前からライカは持ってたじゃないですか。自慢のM3を―」

「アレとはまったくの別物よぉ―」

「レアものですか?」

「ああ、スンゲェやつだぜ、これは―」

「ほぉ。どうスゴイんです?」

「オレがベトナム時代に使ってたヤツが流れ流れてオレの掌におさまっているのよぉ」

「えっ! マカオで売っ払ったっていう例の?」

「な、ビックリするだろ?」

「なんでわかるんですか?」

「調印してたって言ったろ?、カメラの底蓋に。ベトナム時代のアメリカ兵の間でよぉ、ジッポーのライターに洒落た文句を調印するのが流行ってたのよ。オレもそれにならって当時使ってたライカにラテン語で調印したのよ。『クソッタレのド畜生野郎!』ってな」

 大槻がこのライカを売却した理由を、内田はハッキリ覚えていた。

 嵐のような締め切りをなんとか乗り切ると、きまって大槻は内田を飲みに誘った。酔いがまわった大槻は、店中に響き渡る大声で、毎回同じことを、この日始めて思い出したように内田に聞かせた。

 ベトナム時代の大槻は、日本を代表する戦場カメラマンである沢田教一のようなピッリツァー賞をものにするほどの写真は撮れなかったが、外国の通信社を通じて知り合った日本の新聞社の特派員を酒で潰し、丸め込み、その男が勤めていた会社、つまり現在内田が勤めている新聞社に晴れて入社できることになったのだ。そうと決れば、危険に憧れ、野心に燃えてやってきたベトナムなんかはもうどうでもよくなり、心の底から安定が恋しくなった大槻は、さっさとベトナムをあとにしてしまうのである。が、その帰途にブラリと寄った香港はマカオでつかまった。

 マカオのカジノには『大小』(たいすう)というギャンブルがある。親が振る3つのサイコロの目の合計数を予測し、10~17(大)、2~9(小)かを当てるという単純な博打である。が、博打というものは単純であればあるほど熱くのめり込んでしまう特性があるらしい。大槻はこのカジノで瞬く間に一文無しになってしまったのである。

 彼は近日、新聞社の面接のために日本に帰らなければならなかった。体裁だけの面接とはいえ、すっぽかしていいわけがない。せっかくつかみとった月給暮らしが泡と消えてしまうのである。とはいえ、新聞社の面接の期日は迫ってくる。困った大槻は、ベトナム時代の相棒を、名も知らないイギリス人に投げ売ってしまったのだった。

 五

「あの遺影の中のカメラの名前を知っていますか?」内田は、仏壇から大槻の娘に視線を戻し言った。

「フフ―」大槻の娘は釣り上がった目尻を緩ませ微笑みながら言った。「『クソッタレのド畜生野郎のライカ』、でしょ?」

 内田は目尻に皺をつくったにこやかな表情で肯いた。

「なんでそんな名前になったか知っていますか?」

「知ってますとも―」大槻の娘はそう言うと、ゆっくり立ち上がり、仏壇横の桐のタンスの前に正座し直し、一番下の引き出しを開けた。

 タンスの中を覗き込む彼女に、障子越しのガラス窓から入ってくる弱い光が当たると、髪がほんのり茶色に染まっていることがわかった。

「これでしょ?」大槻の娘は、紫の風呂敷に包まれたモノを内田の前に差し出し言った。「どうぞ開けてみてください―」

 内田は、言われるがままに自分の前に置かれた風呂敷包みを開けた。中からは、ブラックペイントのライカM3がでてきた。

 内田はライカを手に取り、自分の頭の高さまで持ち上げ、ライカの底蓋を上目で見た。底蓋には外国の文字でなにやら文字が刻まれていた。見たことがない綴りだった。

「これってラテン語でしたっけ?」

「父はそう言ってましたけど―」

「たぶんこれで、そうやって読むんですよね?」

「ええ、たぶん―」

 内田はカメラを逆さまにし、自分の膝の上におき、底蓋によく光があたる角度を見つけると、そこでもう一度、底蓋の文字を見た。刻まれたところだけ、カメラの下地の金属が顔をだしていて、ところどころ文字に沿って青いカビが浮いていた。

「どうぞそのカメラをお持ちください―」内田がカメラの底蓋に顔を近づけ文字を見ていると、大槻の娘がそう言った。

「いやいや、ぼくにはとても―」

「古いカメラは使いこなせませんか?」

「いえいえ、使えますとも。でもそういう意味じゃなくて。このライカはやっぱり家宝としてこの家に置いとくべきですよ!」内田は早口で慌てて言った。

「父にはコレクションの趣味はなかったんです。全て実用の人でしたから。絶対使って欲しがっていると思います」

「でしたらアナタが使えばいい。ぼくにはもったいないです。大槻さんのライカを使うのは―」

「ワタシね、写真を鑑賞するのは好きなんですけど、撮るのはどうも―」

「だったらぼくが教えますよ」

「いえ、いいんです。教えてくださっても、どうせワタシ写真を撮ることなんて興味ないですから―」

「あの、すごく簡単なんです。いいですか、このライカには露出計がついてないですから、シャッタースピードも絞り値も、全て自分で決める必要があるんです。でも、ホント、簡単なんです。いいですか、青空が広がる昼間は、感度100のフィルムでシャッタースピードは125分の1、絞り値はf11からf16の間です。ああ、そうそう、これは順光で写す場合ですけど、まあ、今言った通りやればたいていのものは良く写ります。で、次は」

「あのぉ~、本当にいいんです。ワタシ、本当に写真を撮ることに興味ないし、これからも興味が湧くことはないと思いますから」大槻の娘は、視線を畳の上に落とし、悲しそうに言った。

 話を遮られた内田も負けじと話を続けた。

「いや、でも、覚えていても損なことはないですよ、陰がでない曇りの日は―」

「三段落としですよね?」大槻の娘が問いにこたえるようなタイミングの良さで言った。

「え?」と小さく声を上げた内田は、目を開き口を開けビックリしている。

「感度400のフィルムを装填しているときは〝千パチ〟が基本でしょ? つまりシャッタースピード1000分の1に、絞り値はf8。明かりのある室内は、5段から6段落として撮影するんですよね?」

「あ、はい―」内田は呆気にとられている。

「いやっていうほど父から教えられましたから。ウチね、3姉妹なんですよ。男の子が1人もいなかったんです。ワタシが長女で、一番気が強かったもんですから、それでたぶん父も教えたんだと思います」

「ああ、そうだったんですか―」

「小学生の頃から、アサヒペンタックスの6×7とか、シノゴとか、ニコンのFとか、とにかく色々なカメラで写真の撮り方を教わりました。半強制的ですけど―」大槻の娘は首を少し左に傾け、目を細めた笑みを浮かべ言った。

「ああ、それはスゴイ―」新聞社のプロカメラマンである内田は、シノゴと呼ばれる大型カメラでの撮影をほとんどしたことがなかった。一応大学の写真学科に属しているときに実習で触ったことはあったが、本当にその程度で、今現在使いこなせるかといえば自信がなかったので、大槻の娘のこの発言には本当にビックリした。

「他にも沢山のカメラがありますよ。見ていきますか? 気に入ったのがあれば、どうぞお持ちになってくださっても結構ですから―」

「いえ、あの、大丈夫です―」

「なにが大丈夫なんですか?」大槻の娘はからかうように笑いながら言った。

「いや、あの、長い時間お邪魔いたしました!」内田はそう言うと素速く立ち上がった。が、馴れない正座を長時間したせいだろう、足が痺れて思うように真っ直ぐ歩けない。二三歩進んだところで、家の柱にしがみついてしまった。

「大丈夫ですか?」

「あ、はい―」

「その場にお座りになったほうが―」

「いえ、この態勢が楽なもんで」

「ああ、だったら、それで―」大槻の娘は顔に笑みを浮かべて言った。

 五分は柱に掴まっていただろうか、ようやく足が自由に動かせるようになった内田は、気まずさもあったのだろう、大槻の娘に無言で会釈をすると、そそくさと玄関に向かった。玄関で立ったまま革靴を履いている内田の背後から、大槻の娘が声をかけた。

「あの、これ―」

 きつめの革靴の踵部分を外に引っ張って靴と格闘していた内田は、急いで声の方に振り返った。と同じにバランスをくずし、玄関にへたりこんでしまった。完全に尻餅をついてしまっている内田を見た大槻の娘は、口に手を当て声を上げて笑った。

「すいません、すいません―」

 どうしたらいいか分らない内田は、やはりよく分らないまま何度も謝っていた。

「あの、これ、カバン忘れてます―」

「あ、ホントだ! すいません、すいません!」

「あの、それと、申し遅れましたが、私、ヨウコっていいます。またお暇のときにでも父の顔を見にきてやってください。子供達が学校から帰ってくるまでの時間は、たいていワタシこの家にいますので、いつでも気軽にお茶でも飲みにきてください―」

 態勢を整えカバンを受け取った内田は、ヨウコから差し出された靴べらを使い革靴を履くと、なにかに追われるかのように大槻の家を飛び出していった。

 六

 大槻の家を出た内田は、路地を通り抜け大通りに出ると、そこでタクシーをつかまえ社に戻ることにした。

「グングン伸びていってますね―」内田が乗り込んだタクシーの運転手がバックミラーをチラっと見ながら言った。

 内田は、運転手が何のことを言っているのかがわからなかったので「ん?」と少し大きな声で聞き返した。

「アレですよアレ!」中年の運転手は、ハンドルから左手を離し、左手の人差し指を助手席の窓の方に向けた。

 内田は、運転手が指す方角に目をやった。ああ、あれが噂の、と内田は思った。2008年に建設着工された第2の東京タワーである東京スカイツリーが、2010年は2月の黒い雪曇に覆われた空に突き刺さるようにそびえ立っていたのだ。

 東京都港区にある最初の東京タワーの建設は、その存在自体が、あの忌まわしい第二次世界大戦による敗戦を過去のモノにするだけのエネルギーに満ち溢れていた。まさにこれからの日本の高度経済成長を後押しするだけの力がみなぎっていたのだ。それに比べ平日の東京スカイツリーのなんと閑散としたことか。

 若者の活字離れと言われてからもう何年が経つだろう。かつて最初にそう言われた若者達はいまや立派に社会の中核を担う年齢になってきている。

 若者は若者の背中を見て育つ一面がある。活字離れの連鎖は、読まない文化を日々育てている。

 新聞が昔のように売れなくなってきているのは事実だ。内田が勤める新聞社の発行部数も年々減少している。追い打ちをかけたのは、アメリカに端を発した世界的不況による、新聞広告をだす企業の減少だった。それにインターネットの存在もある。

 読者は気になる分野のニュースをクリックするだけで、〝今〟必要としている分だけの情報を手に入れることができる。良くも悪くも、現代はそんな時代である。わざわざ寝起きで萎んだ目を走らせて、新聞の小さな文字を追い、自分が求める記事を探す必要などなくなったのだ。インターネットを使えば、情報は欲しいときに欲しいだけ手に入る。わざわざ新聞を家の外のポストに取りにいく必要もないのだ。

 広告にしてもそうだ。新聞に広告をだすということは、不特定多数の多彩な分野に精通した者に宣伝できる一方で、本当にそのものが必要であるとされる者に対しての直接性に欠ける。

 法律事務所を例に考えてみる。

 広告代理店は、予め債務者が流れてくるであろうWEBサイトをリサーチしておき、そこに法律事務所の広告を貼れば、債務者に対しよりダイレクトにアプローチすることができる。しかも広告を貼ったページから直接法律事務所のサイトに飛べるメリットは大きい。テレビや新聞に広告をだす行為は、知名度や信用を得るためにまだまだ強力な方法ではあるが、それにしてもインターネットでの広告は力強いものがある。

 去年の夏、内田が勤めるスポーツ新聞社にも不況の波が目に見えて押し寄せてきた。

 リストラである。

 親会社である大手新聞社の夕刊廃止に伴う記者余りが理由だった。内田が勤めているスポーツ新聞社にはもともと夕刊などない。いつの時代も、弱い者が真っ先に切られる運命なのである。

 写真の腕は抜群で、取材も記事もなんなくこなす内田は、なんとか生き残ることが出来た。そのかわり仕事が増えた。これからは写真も撮って記事も頻繁に書かなければならなくなったのだ。

 七

 内田が東京都江東区にある社に着いたときには陽はすでに傾いていた。

「ち、寒いなぁ」内田はタクシーから降りるとどうじに呟いた。独り言と共に吐き出された息は、白く、ぼあん、と広がった。

 内田が配属されている写真部は、ビルの6階にある。内田は、40代も中盤にさしかかった頃から、時間が許す限り階段で移動することにしていた。初めのうちは3階の途中くらいでもう息が上がっていたが、今では平然と自分が所属している部署に入っていけるだけの体力がついた。階段をあがりながら、つくづく積み重ねが大事だと毎日のように内田は思うのだった。

 7年前に新築された自社ビルの中にある写真部のオフィスは、まるでカフェテリアのような丸みを帯びた空間の中にあった。内田が新聞社に入社した1980年代初頭の新聞社のオフィスは、狭苦しい室内にダルマストーブが置いてある木造校舎の古い小学校の職員室そのものといった感じで、洗練さとはかけ離れていたが、それはそれで落ち着いた空間ではあった。

 それぞれの記者に与えられた机は、角の尖ったステンレス製の無機質だったモノから、角が丸い木目調のモノに変わった。椅子にしてもそうだ。昔の小学生が、先生の目を盗んでは友達を乗せて廊下を走りまわったコロ付きの椅子など、この有名デザイン事務所に空間から調度品までを一括して依頼されたオフィスのどこをさがしたって見当たらない。今あるのは、人間工学に基づいた、背もたれの角度から、肘置きの角度まで、ありとあらゆる場所が調整可能な高級事務チェアーだけだった。

 まだまだ真新しい自分の机の上に、内田はカバンを置いた。

「おいウチ!」内田が入社したときからの先輩記者であるデスクの村上が内田を呼んだ。

 内田は、席につこうとしていた中腰の姿勢からめんどくさそうに態勢を整えると、村上のもとへと向かった。村上は、自分の前にダラしなく立っている内田の顔を、右手の親指の付け根でメガネを直しながら見上げ、内田と目が合う直前に言葉を発した。

「なあ、ウチ―、今年はオマエ野球の方はいいよ。そのかわり、あの売れない作家に週1回書かせてた枠よ、これからオマエがやれや!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! オレがいかなかったら誰がやるんですか? いまでもウチのカメラマンの人数ギリギリじゃないすか?」

「おう―、写真は他から買うことになった。その方が経費削減になって色々と安上がりなんだとさ」

「社の機材だって、何千万もかけてデジタルに総入れ替えして何年も経ってないじゃないですか!」

「うん。だからな、カメラマンはあんまし必要ないんだとよ。しょうがねぇだろ、上が言ってきたんだから―」

「若いやつらは?」

「ああ、あいつらは報道の使いぱしりにまわすよう言われたわ―」

「本当の本当に、スポーツ新聞社が、自分とこでスポーツの写真をとらんのですか?」

「上にも他所にもカメラマンは腐るほどいるし、機材の性能はあがった。説明書に付属してくる基本操作方だとかが載った薄い冊子の内容だけ頭にいれとけば、誰でも写真が撮れる時代なんだとさ―」

「村上さんは反論しなかったんすか! スポーツ写真は職人技です。機材がフィルムからデジタルに変わったってそれは同じです。断言できます!」

「それはそうだけどよ―」村上は腕組みをしながら眉間に皺を寄せ言った。「ま、とりあえずオマエはさっき言った枠の記事と写真を撮ってくれればいいわ。自分の好きなようにやってくれ―」

「オマエがやれって、何書けばいいんすか?」内田は口先を尖らせて言った。

「なんか企画して、単発的な特集でもやれや―」

「例えば?」

「まあ、好きなようにやれ―おまえが持ってきたモンならなんでも通してやるからよ―」

 村上は机の隅を睨み付けたまま黙った。

 切羽詰まっているのは会社の経営だけではない。現場をまとめている管理職達も相当まいっているのだ。内田は黙ったまま、村上の前から去っていった。

 内田は、もう家に帰ることにした。まだ少しやっておこうと思った仕事もあるにはあったのだけれど、この日はもう家に帰りたかったのだ。早く家に帰って酒でも飲もうと、思ったのだ。

 八

 自宅にもどった内田は、まず携帯電話の着信の有無をチェックした。大槻の家にいる間、無礼があってはいけないと思い、携帯をバイブなしのマナーモードにしていたのだ。内田はいつも携帯電話を入れている煤けたブルーに染め上げられたシャンブレーシャツの胸ポケットに手をやった。が、携帯がない。ズボンのポケットにも、この日羽織っていた革のジャケットのポケットの中にもない。慌てた内田は、ダイニングの椅子の上にほっぽり出した、大槻の家に忘れそうになったカバンを手元に引き寄せた。このカバンは、2年前の内田の誕生日に妻から贈られたポーターのREVESEというトートバッグで、開口部がとても広く、視認性がよいカバンなのだが、内田は目で探す作業をする前に、カバンの中に手を突っ込み、無造作に中のモノを掻き回した。

 右手の小指がザラザラする布に触れた。それを人指し指で押してみると、布のなかには何か堅い物が入っていた。内田は、カバンの中を覗き込んだ。紫色の布が、カバンの底で鎮座していた。大槻の娘であるヨウコが、内田が玄関で革靴と格闘している間にでもいれたのだろう。テーブルの上に取り出した風呂敷包みを開けると、中からは大槻のライカがでてきた。

 内田はライカを手に持った。肉厚でズシリとしていた。カメラの上部についているシャッタースピードを変更するためのダイヤルを回してみた。次に、フィルムを巻き上げるためのレバーを親指で手前に引いてみた。2つとも違和感なく、当たり前に作動した。とても50年以上前に作られた代物とは思えない精緻さだった。

 内田は、呼吸を止め、ファインダーを覗いた。ファインダーの向こうには、長方形に切り取られた鮮明な視界が広がっていた。右手の一指し指で、シャッターを押した。シャッ、と小さくライカは囁いた。内田がいつも使用しているデジタル一眼レフカメラの何倍も、シャッター音は静かだった。

 内田は、ファインダーから右目を外すと、ライカを両手で撫で回しながら眺めた。ブラックペイントのボディの塗料はところどころ剥げ落ちていて、地の真鍮が山吹色に輝いていた。このブラックペイントのライカは、22万台製造されたM3型のうち、3000台ほどしか正規に作られなかった貴重な品だと、大槻から嫌というほど聞かされたことを、内田は思い出した。

 始めは握りやすいデザインだと思っていた左指の人差し指の腹の部分に当たる窪みは、よく見てみると、シボのついた革製のカバーが、何かによって鋭く削ぎ落とされていて、中の真鍮にまで傷は及んでいた。明らかにカメラのこの部分に外部からの強い衝撃があったことが分かる。

「大槻さん荒っぽかったからな~」内田は、窪みの部分をさすりながら呟いた。

 内田は大槻のライカをテーブルに置き、眺め思った。

 確かにライカの作りは素晴らしい。けれどライカなどは神話だ。ライカが発売された当時、撮影機材の主流は木製の大型カメラで、ライカ以上にコンパクトなカメラがなかっただけであり、小型高性能のデジタル一眼レフカメラが数万円で手に入る現代となっては、もはやもてはやす意味を失っている。ネームバリュー。つまりブランド戦略といったところか。女性にとってのブランド品と同じで、それを所有している優越感。気持ちの問題であって、ライカをもっているから綺麗に撮れる様になるわけでもなし、写真が劇的に上達するわけでもなし、と。

 内田は、自宅の北側にある自室の小型の防湿庫に大槻のライカをいれた。

 電気制御により年中同一の湿度を保てる防湿庫は、湿度の変化に弱いカメラ機材を長期保管するための道具である。大槻のライカM3のように1954年、つまり半世紀前に製造されたカメラやレンズを長期保管するに至っては、ほとんど必須といってもよい道具である。

 内田の家の防湿庫には、もう使われなくなって何年も経つ撮影機材が詰まっていた。それは全てフィルムカメラだった。内田が大学生時代に手に入れたニコンの『F』は、いつかは世界を駆け巡るフリーの報道カメラマンを目指していた内田青年にとっての最大の思い出の品でもあった。共にかいた汗が多かったからだろうか、防湿庫から取り出されたニコンは、内田の頭の中を駆け巡り、次から次へと思い出を想起させた。

 新聞社に入社して始めて持たされたニコンの『F2』は、筋トレ用の鉄アレイのような金属の塊で、それを首からぶら下げ、―しかも望遠レンズと広角レンズが咄嗟に使えるようにと、常に2台のカメラを持ち歩いていた―当時の上司の命令のまま、文字通り全国を飛び回った。大きな事件の裁判がある日には、前日の夜中に裁判所前にはりつき、翌日の昼過ぎに発表されるであろう判決をまった。また、本業であるスポーツ写真も撮って撮って撮りまくった。

 内田が業界に飛び込んだ1980年代前半の日本の花形スポーツといえばプロ野球だった。演出された泥臭さや汗臭さとはまだ無縁の時代だった。人々が今ほど地べたと離れていない時代だった。当時から抜群の人気を誇った読売巨人軍の主力選手のほとんどが、多摩川の河川敷にあった本当に小さなグラウンドの練習生からのし上がった者ばかりの時代だった。

 スポーツカメラマンという仕事は、打者がブン回したバットに白球が当たる瞬間をとらえるのは当たる前。三塁手や遊撃手を急襲するライナーが選手のグラブに収まる瞬間を撮れてあたりまえの世界だ。

 もちろん入社1年目の内田にそんな職人技などない。大槻に怒鳴られ、デスクに怒鳴られ、夏の夕方には、虫を捕獲するために高速で超低空飛行を繰り返すツバメの姿を300㎜の超望遠レンズで追いかけ、しかもカメラは三脚に固定せず、手持ちで撮る訓練をした。

 自動的に被写体にピントを合わせてくれるオートフォーカスなどはあることにはあったけれど、仕事として使うにはまだまだ性能が追いついていない時代だったから、もちろん手動での作業である。当時内田が使用していたニコンF2は、ボディだけでも1キロ近くあり、超望遠レンズを装着すれば3キロなどではきかない重量になった。ツバメを無我夢中で追いかけていると、当たり前のように陽は暮れる。光がなくなれば、当然フィルムでは撮影ができなくなる。今のデジタルカメラの超高感度性能などは、夢のまた夢の世界だったのだ。

 トレーニングを終えた内田の日課は、社に戻りその日のうちに、今しがた自分が撮ったツバメのフィルムを現像することだった。暗室にこもり現像液に印画紙をひたしたとき、自分の右手が小刻みに震えていることに内田は気づいた。何日も、長時間連続で重い機材を振り回していたものだから、内田の腕の筋肉は常に痙攣するようになっていたのだ。

 ひ弱で風邪ばかりひいていた幼少期の内田は、度々風邪から肺炎をこじらせては死の淵を彷徨った。3人兄弟の末っ子であった彼には、2つ上と5つ上の兄がいた。2人の兄は、地元では名門とされる少年野球チームの主力選手であり、それが内田の自慢でもあった。身体が弱かった内田を鍛えねばと、彼の両親は内田も野球チームに在籍させた。が、長くは続かなかった。彼に根性がなかったわけではない。彼の、骨細の身体があっという間に悲鳴を上げたのだ。入部してわずか三ヶ月後には、松葉杖なしでは歩けなくなっていた。

 オスグット病という主に成長期の子供におおくみられる軟骨に炎症をおこす病気になったのだ。内田がかかった医師は、まず最初に野球をやめるようにと強く言った。そうすれば、数ヶ月のうちに症状は軽くなり、まず日常生活を送るには困らないと言い切った。が、野球をやめても内田の足の痛みは治まらなかった。和式トイレの便座にしゃがみこむ程度でも内田の両膝は激しく悲鳴を上げたのだ。

 当時、自家用車を持っていたのは、仕事で車が必要な自営業者か、裕福な家庭に限られていた。自家用車を持たない内田の両親は、考え迷った挙げ句、タクシーで内田を学校に通学させた。これは小学3年生から4年生までの1年間続いた。自分の家庭がけして裕福ではないことを知っていた内田は、タクシー通学にひどく落ち込み、自分の身体の弱さを酷く憎んだ。元気の良いクラスメイト達からは「成長痛の社長さん!」とからかわれた。

 身体になんらかの異常をきたす度に、内田はこの時のことを思い出す。強くなりたかった。肉体的にも精神的にも。とにかく弱音だけは吐かない、と心に強く誓っていた。

 暗室作業は時に深夜過ぎまで及んだ。もちろん次の日も朝から仕事が待っていた。現像液に浸した印画紙にうっすらと黒と白が浮びあがってくる瞬間が内田は好きだった。これを見ていると全てのイヤなことが吹き飛んでしまった。疲れていることすら忘れて頭を真っ白にして作業に集中することができた。

 新人の一番の仕事は、とにかく先輩達から毎日怒鳴られることだったから、この暗室が内田の唯一の逃げ場だったのだろう。現像液が渇いてきてすっかりモノクロの画像が定着したプリントを凝視すると、今の今まで内田に味方をしてくれていた暗室作業が牙を剥いた。100枚とって100枚ともがピンぼけなんてことは当たり前で、中にはツバメの尻尾さえとらえられていないプリントも多数あった。

 結局、内田が9割の確率でツバメを撮れるようになるまで、入社してから3年の月日をようした。

 プロ野球のオフシーズンとツバメがいない冬は、高校の野球部に頼み込んでは撮影の練習をした。数百キロのスピードで巡航している東海道新幹線の流し撮りもいい練習になった。

 1つの被写体を追いかけ撮影を続けている内田に、ある感情が湧いてきた。目に見えることいじょうに被写体のことを知りたいと思い出したのだ。彼は図書館に通いツバメの生態、種類などをつぶさに調べ上げた。新幹線の型式、時刻表も頭に叩き込んだ。撮るという行為は相手の表面だけを切り取る行為ではないことに気づいた彼は、自分の可能性に嬉しくなった。図書館で調べたことは、なるべく頭の中にあるうちにノートにまとめた。この時内田は、出来るだけ自分の言葉で書くことを心がけた。写真の向上とともに、文章力も上達していった。

 すっかり昔のニコンに見入っていた内田は、突然我にかえり「ああ、携帯、携帯―」と呟いた。

 内田は、手に持っていたニコンを防湿庫に戻すと、再びダイニングに戻り、机の上のカバンの中を凝視した。最悪、大槻の家にでも忘れてきたと思われた携帯電話は、カバンの底の隅にあった。さっそく二つ折りの携帯電話を開き、着信とメールの有無の確認をした。社からも、別居中の妻からも、着信、メール共になかった。

 着信の有無を確認した内田は、一仕事終えた気分になった。もう今日は飲んで寝よう、と思った。

 内田は冷蔵庫を開けた。

 卵とハムと牛乳、それに缶ビールと瓶ビールが目に入った。ハムが入った白いソフトプラスチック製のパックの下に、もう一つ白いパックが見えた。賞味期限が2日過ぎた砂肝が入ったパックだった。内田は砂肝をフライパンで炒めることにした。

 中火で表面が軽くきつね色になるまで炙り、最後は塩と胡椒で味を調えて終り。今日の主役であるビールは、透明な瓶越しに見える黄金色が美しい『corona』にした。

 一口目を、砂肝かビールかどちらにするかで迷った挙げ句、内田は砂肝を選んだ。コリコリとした食感と塩辛さが楽しい砂肝を、一口放り込んではビールを喉に流し込んだ。3つに1つの割合で、ダマのままの胡椒や塩が砂肝についていたけれど、それもビールで流し込めば、たちまちのうちに良い塩加減になった。

 一応スイッチを入れたテレビからは、名前も知らない若い女性タレントのカナキリ声が聞こえていた。どうせ見たくもないのだから、テレビなんか消してしまおうと内田は思ったのだけれど、ビールを3本開けたあたりから、もうホントどうでもよくなってきて、それよりも睡魔が襲ってきたからと、内田は服も着替えず、靴下もぬがないまま、寝室に向かい、そのままベッドに倒れこんだ。

 九

 内田が勤める新聞社の後輩であるユースケは、埼玉県にある私立セイトク学園へと取材にきていた。セイトク学園は全国屈指のサッカー強豪校である。

 毎年年明け早々に開催される、全国高校サッカー選手権に毎回のように出場を果たしているこの学校は、毎年2月にその年に最上級生となる2年生を筆頭とした新チームが発足する。

 今回ユースケの取材の目的は、この新チームの実力を調べ、旧チームとの戦力比較をすることであった。

 10代の時の1歳は、途方もなく大きい。と、取材5年目にしてユースケは気づいた。新チームの中に、1年生からレギュラーを勝ち取っているスーパースターが何人いようともこれは変わらない。彼等は動きはフレッシュだし、やる気はみなぎっている。しかし、元気が空回りしていることは否めない。ようするに動きに無駄が多く、精密さに欠け、チームとしてのまとまりに欠けているのである。

 すでに顔見知りになっているユースケがグラウンドに入ると、いつユースケの姿を見つけたのか、所狭しとグラウンドを駆けめぐっていた選手達はその場で直立不動になり、まだ垢抜けない新キャプテンの号令に続き、全選手がユースケに向かって「こんにちは!」と一斉に叫びながら頭を下げた。総勢100人を越える部員達による挨拶は校舎にぶつかり、反響し、やっとおさまる迫力だった。この迫力に負けじとユースケも大声で挨拶を返し、選手達に頭を下げる。

 彼が下げた頭を上げ終わるのを直立不動の姿勢で見届けた選手達は、今までとかわりなく練習を再開しだす。その統率のとれた挨拶は、何度見てもシビレる光景だった。

 小さな頃から本の虫で、どちらかといえば運動から逃げて育ってきたユースケは、始めて彼等からこの挨拶をうけたとき、まるで軍隊みたいで個性に欠けていると心で批判した。が、そんな思いはすでに遠い過去のモノになっていた。

「ユ~スケ君!」くるぶしまである青色のベンチコートに身をまとった小柄な中年男性が、顔をクシャクシャにした笑顔でユースケに近づきながら言った。

「あっ! どうも監督! 今年もお世話になります!」ユースケは深々と頭を下げながら言った。ユースケはこの監督を、1人の人間として尊敬していた。青少年達を正しい道へと導く伝道者と心の底から思っていたのだ。

「おい~、今年はちょっと取材が遅いんじゃないの? うちは期待されてないのかな?」

「いえいえ! いつもこれくらいの時期ですよ! ぼくが来るのは―」

「ホント~?」背の低い監督は、ユースケの懐に飛び込み、ユースケの顔を見上げ言った。

「ホントです! ホントです!」

「ま、いいや。君が不誠実なのは有名だからね―」

「やめてくださいよ~」

「冗談冗談。それより、どう、他の学校の様子は?」

「そ~ですね~、どこもドングリの背比べって感じですかね。どこか1つの学校だけが飛び抜けてるってわけではないですね、まだ―」

「やっぱりうちも駄目?」監督は目尻をしわくちゃにして笑っていたが、眼球は笑っていなかった。

「そ~ですね。いや、きたばっかしで、ちゃんと見てないもんですから―」

「まあそうだよね―」

「パッと見で申し訳ないんですが、やっぱりセイトクは4年前のチームの印象が強すぎますね。あのときのようなインパクトはないかな、と。サッカーの〝サ〟の字も分からなかったぼくでさえ、アノ代のチームは最初からスゴイと思いましたから―」

「お~、らしいこと言うようになったねぇ、君も―」

「ええ、担当しだして5年目ですから―」

「ま、ぼくは、今年で、25年かな、監督やりだして―」

「あ、はい、まだまだですね、ぼくなんて―」

「いやいや、なかなか分かってきてるんじゃない、最近―」

「いえ、まだまだ勉強不足です―」

「ま、ゆっくり見てってよ!」

「あっ、はい!」ユースケは、今年のチーム方針を監督に聞こうと思っていたのだがやめた。尊敬する監督が、自分に他校の情報を聞いてくれただけで満足してしまったのである。取材する側としては、常に公平でいるつもりでも、この学校は、この監督は、ユースケにとって特別なのであった。

 今日は、練習を最後まで見て、新チームのキャプテンに話を聞こうとユースケは決めていた。

 グラウンドでは選手達が、練習の最後の仕上げである短距離ダッシュを繰り返していた。横一列に並んだサッカー部員達が、30メートル程の距離を全速力で、何回も何回もダッシュしていた。もう20往復は走っているだろう。けれど、練習が終わる気配はまったくない。全部員の顔が息苦しさで歪んでいた。膝に両手をあて、肩で息をしている者には、グランド脇で目を光らせている監督からようしゃない檄が飛んだ。

 1人でも力を緩めて走ろうものなら、プラス10本追加される。いっそう意識が飛んでぶっ倒れた方がマシな世界。連帯責任。個人の責任が組織に及ぼす影響の自覚。ここで培われるものは社会人になってから大いに役に立つものだと、ユースケは思った。

 スポーツが苦手ということで、運動部から逃げ続けた学生時代の自分を、ユースケは恥ずかしく思っていた。自分より10歳以上も若い彼等を見ていると、自分の高校生時代とはなんだったのだろうとさえ思えてくる。年々その思いは強くなっていっていた。

 入社2年目の24歳の時、先輩記者に連れられ始めてセイトク学園サッカー部を訪れた時の印象は、古い伝統にしばられた縦社会で、威圧的で、社会との協調性に欠け、実社会とは乖離している非常識的な組織としか思えなかったことをユースケは覚えている。

 1年と2年は丸坊主。3年生は辛うじてのスポーツ刈り。部室からグラウンドまでの10数メートルの道のりでさえ、下級生達にとっては過酷な修練の場であった。最上級生達は常に手ぶらで、2年は自分の荷物だけを持つことが許され、1年は自分の荷物プラス3年の荷物をも持って移動しなければならなかった。しかも、常に小走りで移動し、止まることは許されず、立ち止まる際にはその場で足踏みを続けていなければならなかった。

 1年生が、3年、2年よりも一秒でも遅くグラウンドの土を踏もうものなら、その1年は向こう一週間ひたすらダッシュと腕立て伏せの日々を過ごすことになった。

 練習は、夏なら朝の5時半から、冬は朝の6時から始まった。受業終了後はもちろん練習で、1年は上級生の誰よりも早く部室にかけつけ、その場で横一列に整列し、頭を深く下げたまま上級生を迎える必要があった。そんな光景を目にする度にユースケは驚いた。なんて非生産的で無意味な刷り込みをしているのだろう、と。これでは正しい意見であっても、年上に意見を言えない人間を育てるだけだ、と強く思った。サッカーという競技に、ここまで強い上下関係が必要なのか、と当時のユースケには疑問だった。しかしセイトクは全国屈指の強豪チームであることに疑いの余地はなかった。校長室に飾れた数々のトロフィーに、全国制覇を達成したときの優勝旗のレプリカが、それを証明していた。

 ユースケのセイトク学園への印象がかわりだしたのは、彼等の試合を取材したときからだった。全員サッカー。まさにこの言葉がピッタリだった。個人技に走る者など誰もいず、フォーメーションが崩れそうになれば、すかさず誰かがフォローに入る。阿吽の呼吸で、フィールド全てを使い切る夢のようなボール回しからのシュートは、現実に相手のゴールネットを揺らした。的確な掛声と、テレパシーにも似たアイコンタクトは途切れることなく、敵からの波状攻撃を何度でも未然に防いだ。

「とにかく1点取れば勝てる。ウチは点を取られないのだから―」

 セイトクの取材を任されて2年目。監督が始めてユースケに言った言葉である。この言葉通りのことが、当たり前にできるチーム。それがセイトクだった。あんなに無意味だと思えた上下関係の厳しさすら、意味があることだとユースケは感じたことを覚えている。

 十

 グラウンドにチャイムが響き渡った。ユースケは携帯電話で時刻を調べた。17時5分前だった。冷たく乾いた北西風が強く、天候は真冬そのものではあるが、2月も中旬になると随分と陽が長くなるものだなとユースケは思った。あと一ヶ月もすれば桜の開花報告があらゆるメディアの見出しにでてくることだろう。

 練習はいっこうに終わる気配はない。グラウンドでは、練習の仕上げと体力づくりをかねた近距離ダッシュが繰り返されている。もう、軽く100は超えているだろう。踝まである青いベンチコートを着た監督は、サッカーコートの隅っこに立ち、フードを頭から被り、冬の強風に耐えながら、練習する選手達を見守っていた。

 少しづつ、西の空が色づいてきた。風はますます強くなっていった。監督とグラウンドの選手達の様子が同時に見えるようにと、サッカーコートの真ん中付近を陣取って取材をしていたユースケは、あまりの風の冷たさに心が挫け、どこか風が当たらない場所はないかと辺りを見渡した。

 グラウンドに備えられたナイター設備に、光が燈っていることにユースケは気づいた。彼らはいったい何時まで練習するのだろう、と部外者であるユースケが、一番怖気づいた。

 グラウンドを照らす光が太陽光から、完全に人工の光にかわっても、グラウンドの選手達はダッシュを続けていた。何人かフラつきだす者がでてきたが、それでもお構いなしで、練習は続けられた。

「チッ、こんなはずじゃなかったんだけどな~。なかなか倒れんね~」グラウンドに隣接する校舎の出っ張りに風裏を見つけたユースケの横に監督が寄ってきて言った。「最初が肝心ていうでしょ? アレってホントなんだよ。今グラウンドにいるアノ子らは、別に新入生じゃないからなにが〝最初〟が肝心かが分かんないでしょ? それがね、新チームってヤツは不思議でね、今年卒業していく3年が幅を利かせていたときには大人しかったヤツがさ、新チームになったとたん俄然やる気だしちゃって、ものすごいガッツを見せる時があるの。もう、なんていうか目を見張るんだよね、その光景は。ぼくは一番好きなんですよ、そういう子が出る瞬間を見るのが。ほら、今年はアノ子がいいですよ。去年まで5軍にいた子です。ぼくが知ってるのはそれくらいで、苗字も名前もスッとでてこんですわ。ああいう雑草がアスファルトの地面を突き破ってでてくる瞬間がなんともいえないんですわ。毎年―」

 ユースケは、監督が指差した先を凝視した。グラウンドにいる100人以上の選手達は、みな必死で、誰か一人が飛びぬけてスゴイということはなかった。が、ユースケは監督に話を合わせるため「あ~アノ子すごいな~。さっきから一番頑張ってますよね!」と適当なことを言った。

「どの子?」監督は、待ってましたとばかりに、間髪いれずユースケに聞いた。

「いや、あの、背が高い子です―」

「どの子~? 近頃の子はみんな背が高いよ~」監督は横目でやらしくユースケを見ながら言った。

「あ、すいません―」

「なんで謝るの?」

「あ、いえ、ぼくが勝手に勘違いしてたみたいです―」

「あっそ。まあ、わかんないことはすぐに聞きなさいね。なんでも一人でどうにかしようってヤツは、絶対に組織に迷惑をかけますから」

「あ、はい―」

「ちなみにね、ぼくがさっき言った子はね、アノ足を引きずってる子だよ」

「え? アノ子ですか? 一番限界っぽい、ですけど?」

「まあ運動能力は低いはな、ありゃ。でも使い道はあるんですよ、ああいう駒は。ああいうのを一から育てていくんですよ」

「伸びますか? アノ子?」

「う~ん、同情はされる」

「はい?」

「チームの結束に必要なんですよ、ああいうのが」

「あ、はい―」

「集団を操るには、共通の敵を作ると操りやすいでしょ?」

「ええ、まあ―」

「でもね~、そういうのはもう時代遅れだよね。選手達が厳しい監督やコーチを嫌っても、それは対立になるだけで、チームとしてはマイナス。だったらライバルチームを作ればいいんだけど、結果がでる前に公式戦であたって勝っちゃったら、もうそのあとはホント見るも無残に気がぬけちゃうでしょ? だからね、仲間のためっていうのが一番いいみたいだね、最近の子はさ」

「ああ、なるほど」

「アノ子ね、膝が悪いのよ。中学時代はそりゃあもう、九州地方でサッカーやってる連中の間じゃ知らない子がいないってほどの攻撃的なフォワードだったんだけどね。手術しちゃったんだよな、一回―」

「まだ完治してないんですか?」

「いやいや、もう3年も前のことだよ。彼が中学三年の時だもん。でもね、一度でも膝をやったらもう一発だね! もうそこでおじゃんですわ!」

「手術してもですか?」

「手術しなあかんてとこまでいっちゃうのが最悪なのよ。手術がどんなに完璧でも、まあ一発だわね、膝をやっちゃったらさ―」

「はあ―」

「というわけで、今年のウチの悲劇のヒロインは彼に決定だ!、よかったよかった。これで無事今年も全国にいけそうですよ!」

「はあ―」

「お~い! あがれ!」監督はグランドの選手達に向かって、大声で言った。ダッシュの途中であったにもかかわらず、選手達はその場に静止し、監督の方に向かって気をつけをすると、主将の一礼に続き、全選手が監督に向かって一斉に頭を下げた。

「ユースケ君、なんかあったら職員室にきて。ぼく20時過ぎまではいると思うから。じゃあ―」と監督はユースケに告げると、一人で歩いていってしまった。

 監督が視界から消えたのを見届けた選手達のほとんどが、その場に崩れ落ちた。ただ、さっき監督が指摘した足を引きずりながら走っていた子だけが、両膝に両手を乗せ、肩で息をしながら立っていた。

 十一

 一周200メートルのトラック3つ、楽々とはいってしまうほど広大なグラウンドいっぱいに広がり柔軟体操を終えたセイトクの選手達は、最上級生から順に部室へと戻っていった。

 ユースケは、練習を終え部室に戻る最上級生達の集団を目で追った。

 最上級生達の後ろでは、一年生が最上級生達の背中に向かって、地べたに頭がつくすれすれまで頭を下げたままの姿勢で立っていた。〝グラウンドと上級生に捧げる御辞儀〟と呼ばれるこのチーム特有の伝統は、下級生の視界から、全ての最上級生達が消えるまで続いた。

 全ての選手達がグラウンドからいなくなるのを見届けたユースケは、部室へと向かった。部室の外では、気を付けの姿勢を保ったままの下級生達が、横一列で並んでいた。

「え~っと、ミヤガワ君て中にいるかな?」ユースケは、一年生に聞いた。

「はい! 部室の中におられると思います!」

「あ、ありがとう」ユースケは迫力に押されながらも、一年生に礼を言い、それから軽く部室のドアをノックした。

「はいっ!」と、緊迫した声と共に部室の引き戸が開いた。いつなんどき誰が来てもいいように、最上級生の礼儀も徹底していた。

「あ、ちょっといいかな? えっと監督さんから許可は得てるんですけど、今年の新チームの主将の―」

「ミヤガワですか?」

「あ、そうですそうです。それでミヤガワ君ておられますか?」

「自分がミヤガワです!」

「あ、どうも始めまして、新聞社で高校サッカーを担当しているアワオと申します。あの、こんな立ち話でなんなんですが、さっそくというか、あの~、いくつか質問してもよろしいですか?」

「はい! 大丈夫です!」

「あ、はい! では質問させていただきますね。え~、新チームとしての目標はなんでしょうか?」

「はい! まずは、先輩方との練習試合に勝つことです!」

「先輩との試合? ああ、毎年恒例のOBチームとのね―」

「はい!」

「どう、勝てそう?」

「いや、正直わからないっす! ほとんどの先輩方が大学に進学されてもサッカーを続けられているので―」

「うん、まあそうだよね―」

「はい!」

「君が尊敬する人って誰かな?」

「元ブラジル代表のリバウドです!」

「あっ、ごめんごめん。言葉がたりなかった。セイトクの先輩でさ、いたら教えて欲しいな」

「あ、はい。え~っと、カサイ先輩ですかね―」

「カサイ?」

「はい―」

「一軍の、選手、だっけ?」

「あ、はい、一軍でした―」

「え~っと、いつの代の人だっけ?」

「2年前です。自分らが1年の時、3年でした―」

「あ~! はいはい! いたね! 元ミッドフィルダーのカサイ君ね!」

「はいそうです!」

「へ~。なんでカサイ君なの? だってアノ代ってさ、ここ数年で唯一全国いってないじゃん。カサイ君にしても最終的にはレギュラーじゃなかったでしょ?」

「いえ、あの、でも、サッカーは上手いんで、カサイ先輩、達は―」

「あ~そうだよね、君達は四年前までのセイトクの黄金時代を見てないもんね―」

「あ、いや、テレビで観てました」

「あ、そう―やっぱグラウンドで、間近で見てる方が感情移入するよね―」

「いえ、あの、でも、ホント、サッカーは上手いんで、カサイ先輩達は―」

「うん。でも全国いけてないからね―」

「あ、はい―」

「で、カサイ君もいるの? 今度やるOBのチームには?」

「いや、カサイ先輩はまた別のチームでやってます―」

「ああホント―そのチームともやるの?」

「監督のお許しがあればやってみたいです!」

「どこの大学なの、カサイ君は?」

「いや、あの、カサイ先輩は大学に進学されていないっす!」

「へ~、そうなの。まあ、すぐ負けちゃったから推薦とかもらえなかったのかな―」

「・・・・・・」

「じゃあどっか社会人チームにでも所属してるんだ、カサイ君は―」

「いえ、あの、草サッカーです―」

「はっ?」

「カサイ先輩の地元の方だけで結成されたチームだそうです―」

「ああそう―。それは監督の許可もいるわ、試合するにも」

「ええ、はい―」

「で、いつやるつもりなの?」

「OB戦は、今週の土曜です!」

「あ、ごめんごめん、また言葉が足りなかった。正式なOBとじゃなくて、カサイ君達のチームと?」

「監督の許可さえとれればいつでもOKなんですけど―」

「まだ話してもないの?」

「はい―」

「へ~。で、許可はもらえそう?」

「たぶん大丈夫だと思います。ウチの出身者が1人でもいれば、そのチームとは練習試合をしないといけないすから。ウチの伝統なんです、それが―」

「ははは! 先輩は神様ってヤツね!」

「いえ、神以上です!」

「・・・・・・、まったく。じゃあさ、そのカサイ君達との試合が決まったら日時を教えてよ! たぶんぼくが取材にいくと思うから、その時はヨロシクね!」ユースケは自分の携帯番号が記された名刺をミヤガワに渡した。

「あ、はい! でも、こういうことは監督さんに直接言われたほうが。自分には対戦相手を決める権限も、新聞社の方に対戦日時を連絡する権限もないので―」

「あ、ホント? じゃあぼくから試合のこと切り出してみようか? 監督に―」

「え、自分から聞いたって言うんですか?」

「うん、そりゃそうだよ。君も一緒にくればいいよ―」

「あっ、はい、わかりました―」

 十二

 ユースケとミヤガワは、サッカー部の監督がいるであろう職員室へと向かった。

 ユースケは、職員室の引き戸を軽く二度ノックしたのち、「失礼します!」と職員室中に響く大声で言った。

「お~、ユ~スケく~ん! 待ってたよ~!」職員室の窓側に設置された応接用の革のソファーにドカンと腰を降ろしていた監督が、愛想よく言った。「ナニナニ? なんか聞きたいことでもあるの?」

「いえ、ちょっとミヤガワ君に面白い話を聞いたんで―」

「みやがわ~、オマエ新聞屋さんに何言っただ~?」

 ユースケの後ろで頭を垂れて隠れるように立っていたミヤガワは「いや、別に、あの―」と慌てて口を開いた。ユースケはミヤガワを援護すべく、すぐに話を切り出した。

「セイトクの新チームとですね、OBとの試合を取材させていただきたいんですけども―」

「あ~はいはい、今週の土曜のね。どうぞどうぞ―」

「あ、いや、そっちじゃないんですよ―」

「ん?」監督の頬は釣り上がり笑っていたが、目は笑っていなかった。

「あの~、カサイ君達のチームとの試合をですね、取材させていただきたいんですけども―」

「カサイのチーム? おぃ! ミヤガワ!」監督は急に怒鳴り声を上げた。

「はい!」ユースケの後ろで直立不動になっていたミヤガワは、全身を震わせながら返事をした。

「おまえこの新聞屋に何言っただ?」 

「い、いえ、カサイ先輩を尊敬してると―」

「違う! んなことは聞いとらん! 誰がいつ、何時、何分に、カサイ達のチームと試合するって言ったんだよ!」

「すいま―」ミヤガワの声は、最後まで聞き取れないほど縮こまっていた。

「ミヤガワァァ! ウチのチームは誰のチームだぁ?」

「監督さんです!」ミヤガワは、声を裏返しながら、ムリヤリ大声を絞り出した。

「だったらなんでオマエが対戦相手を決めれるんだよ? おん? 答えてみろ?」

「か、監督、ちょっといいですか? あの、ちょっとぼくの言葉がたりなかったんです。あのですね―」ユースケは監督とミヤガワの間に割って入っていった。

「アンタはいいわ! ちょっとどいといてくれ!」いつもは目尻に皺を寄せて細くしている監督の眼球が、今は大きく見開かれていた。その大きな目で睨まれると、誰でも一瞬たじろいでしまいそうだった。

 言葉を失ったユースケは、その気まずさを何かに転換させようと後ろを振り返った。革のソファーにふんぞり返った監督のことを、目を見開いて、顔を硬直させ、頬を青く染めたミヤガワが正座をして見上げていた。

 ユースケは前を向き直すと、「監督、ちょっとでいいんで聞いてください!」と言った。口を半開きにして、「はぁ~?」と人を小馬鹿にした表情で監督はユースケをゆっくり見上げた。

「あの、ワタシがですね、ホントクダラナイと思われるでしょうけれど、ミヤガワ君に憧れの先輩はいるかっていう質問をしたんですね。それでミヤガワ君がカサイ君の名前をあげまして、ワタシが勝手に恒例のOB戦は2回あると解釈してしまったんです。つまりですね、カサイ君率いるOBチームと、いつものOBチームとの試合がすでに決まっていると、ワタシが本当に勝手に解釈してしまっていたんです―」ユースケは早口で、もっともらしい適当なことを言った。

「ミヤガワ!」

「はぃ!」

「カサイは今どこでやっとるだ?」

「先輩の地元の人間だけでチームを作ってやっておられると言ってました―」

「名古屋でか?」

「はぃ!」

「ほぉぉ~。なんだアイツはまだ未練たらしく蹴球やっとんのか」監督は片方の頬を吊上げ言った。「で、やりたいんか? おまえらは?」

「はっ?」

「バカヤロウ! カサイのチームとだよ―」

「あ、はい! 試合してみたいです!」

「二桁で勝て―」

「え?」

「カサイ達に二桁で勝たんかったら一軍は総入れ替えするからその覚悟でおれ―」

「はっ!」

「ミヤガワ~」

「はぃ!」

「おまえからカサイに連絡とっとけ―」

「はぃ! 日時はどうしますか?」

「アイツらがこれるときにでも来させろ―」

「平日でもですか?」

「二度言わせんな! いつでもいいって言ってんだろうがぁ! 平日の午前中でも午後でも夜でもいいよ! ウチにはナイター設備があるんだから―」 

「はぃ!」

「新聞屋さん―」監督はゆっくりと丁寧な口調で、けれどとても馬鹿にした感じでユースケを見て言った。「これでよろしいですか?」

「あ、はい―。ありがとうございます」ユースケは自分の頭が膝につきそうなくらい腰を折り曲げながら頭を下げ言った。

「じゃあ、正式な日時が決まったらミヤガワからアンタに連絡させますわ。そんでさ、前にアンタからもらった名刺なんだけど、とっくに捨てちゃったもんだで、連絡先教えてよ」

「あ、はい!」ユースケは素速く姿勢を直すと、上着の裏ポケットから名刺入れをだし、中から一枚取り出すと、それを両手で監督に差し出した。片手でユースケの手から名刺を引ったくった監督は、それをユースケの後ろで正座しているミヤガワに向かって投げつけ、「おい、カサイの馬鹿たれと試合をする日が決まったらここに電話したれ」と言った。

「ユースケ君、他になにか聞きたいことはある?」監督はいつも通り目尻を皺くちゃにした笑顔でユースケを見上げ聞いてきた。

 ユースケは、「いえいえいえ―」と小声で言いながら首を小刻みに何度も振り、そして、「今日は無礼なことをしてしまい本当に申し訳ございませんでした」と、何度も頭を下げた。監督のユースケに対する態度はさっきとは打って変わった温厚さで、右手を顔の前で何度も振りながら謝る必要などないよ、とユースケに言った。それでもユースケは、何度も何度も監督に頭を下げ続けた。

※サンプルを最後までお読みいただきありがとうございます。本編の続きは、以下のAmazonサイトにて99円で発売中です。よろしくお願いします。

 ↓  ↓  ↓

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC-%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%B3-ebook/dp/B00C816N0U/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1467323803&sr=8-1&keywords=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?