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大きいパパへ

お元気ですか。
そちらにも、雪というものは降っているものなのでしょうか。
皮膚が弱かった大きいパパ。乾燥すると痒くなっちゃうから、気をつけてね。

アメリカに来てから3年目に入りました。
今でも時々、泣けてくることがあります。
こないだ、夢を見ました。
大きいパパが泣いている夢でした。

「ごめん。死んじゃった。」と言って泣いていました。
私も泣きながら「ごめん。ごめん。ごめんなさい。」を繰り返していました。
私は今でもこれまでのことを悔やんでいます。
これからもずっと。


母からはよく、「両親に厳しくしつけられた」と聞かされていました。
弟ばかりを可愛がって、母には厳しかったと聞きました。
叱られる時は、棒で叩かれたと言っていました。
反省させる時は、暗い屋根裏に連れて行かれて閉じ込められたと聞いていました。


幼い私には、「母をいじめていた人」に映ってしまいました。
私はとても浅はかだったんです。
母から聞かされたことだけを鵜呑みにしていました。
自分で考えようとしなかったんです。


次第に、会いにいかなくなりました。
「未来香(あすか)は元気にしてるのか。」って何度も母に聞いていたことも、
時々しか顔を出していないのに
「学校で忙しいのに会いに来てくれて嬉しい」と周囲に話していたことも、
私は知りませんでした。


亡くなる前日、大きいパパはずっと、母ではなく私のことを見つめていました。寝たきりになって、話せなくなってしまった大きいパパに、私はどうして私のことを見つめているのか聞けませんでした。


聞けなかったんです。
私はその時、あまりにも遅すぎることに気がついてしまったから。
「大きいパパ」と言って見つめ返して、笑って、手を握ることしかできなかった。
頭を持ち上げて、私の顔をずっと、ずっと見ていましたね。
なかなか会いに来ない冷たい孫のことをそれでも愛おしく思ってくれていたのでしょうか。
最後にしっかり焼き付けておこうと、そう思っていたのでしょうか。


葬儀のあと、親族で写真を見ていました。
キリッとした生真面目な顔で映る写真が多い中、
小さな私を抱っこするあなたの顔はどれもとても優しくて、幸せそうでした。
私は今でもその時のことを思い出すたびに人目を憚らずに泣いてしまいます。


大きいパパ。私は未熟でした。
母から聞いたことだけであなたを見て、
自分の目で見ようとしなかったんです。
あなたが向けてくれた愛情に気づこうともしなかった。
あなたがどれだけ私のことを愛してくれていたのか、最後の最後に気がつきました。


何度も何度も繰り返し同じ夢を見ます。
大きいパパ、今、私はすごくあなたに逢いたいです。





あとがき


「後悔してからでは遅い」という言葉を何度も何度もどこかで見かけました。
あまりにも聞き慣れすぎて、飽きてしまうようなセリフ。
あまりにも当たり前すぎて、あまりにもありきたりな言葉のように感じてしまい、この3年間誰にも「後悔している」と言えなかったことを素直に綴りました。


私は子供の頃から「おじいちゃん」ではなく「大きいパパ」と呼んでいました。おじいちゃんと呼ばれるのが嫌だという大きいパパの希望だったそうです。
大きいパパはとても厳格な人で、私と話す時以外に笑ったところはあまり見たことがありません。子供の頃、いつも遊びに行くと横になってずっと険しい顔でテレビを見ていました。母と話す時も談笑しているところを見たことがありません。


私はなんだかんだで「愛のかたち」は一つしかないと思っていたんだと思います。
それも、とてもステレオタイプな「愛」の概念を持っていた。
考えているようで、考えていなかった。
知っているつもりで、何も知らなかったんです。
厳格な人だからといって、笑わないからといって、人と談笑しないからといって、それが彼の愛情深さと何の関係があったというのだろう。


大きいパパはあーちゃん(おばあちゃん)に対しても母と同じような態度をとっていました。亭主関白で、ごはんも黙って食べ、やはり談笑することもない。それでも大きいパパはどこへ行くにも彼女を連れて歩き、あーちゃんが認知症にかかり寝たきりになった時もずっと、ずっとそばで面倒を見ていました。あーちゃんのために買いに行った靴下や下着、パジャマは花柄や可愛い色合いのもので、彼なりに色々考えて買ったんだなと。


「こうなる前に、海外に連れて行ってやりたかったな。」と表情一つ変えずに放った言葉が今も胸に残っています。今になって、一つ一つの言葉に、行動に、愛があったのだと気がつきました。


「愛」というものは決していつでも目に見えて優しくて、暖かくて、柔らかくて、甘いものではなかったんです。


「不器用な愛」という言葉もよく聞きますけど、私は結局のところ、その言葉の真意を分かっていなかったのでしょう。

大きいパパを失って初めて、「愛」とは何かを学びました。
私はずっと、これからも思い出しては泣き、謝り続けるのだろうと思います。
そして、自分が今信じている物事の概念の全てを問い正しながら、一日一日を過ごしてゆくのだと思います。






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