【映画】「グッド・ナース」感想・レビュー・解説

とにかく映画が始まってからしばらくの間、「物語の中心軸」が一体何なのか、まったく理解できなかった。恐らくこれは、アメリカ人とそれ以外の人とで感覚は違うだろう。この映画は、「実話に基づく物語」である。間違いなくこの事件は、全米中で大きく報道されただろう。だからアメリカ人はこの映画を、「あの事件の映画だ」という感覚で観るはずだ。しかし僕たち外国人は違う。そしてそれ故に特異な雰囲気を醸し出す作品に仕上がっているのだと思う。

そういう意味で、もしこの映画を観ようと思っている人がいるのなら、特に情報を知らないまま観に行った方がいいだろう。僕がこれから書く感想も、なるべくネタバレをしないように書くつもりだが、そういう情報さえ知らずに観た方が、「何がなんだか分からない」という不穏な雰囲気を感じられて面白いのではないかと思う。

物語の中盤ぐらいまで、何がどうなっているのかさっぱり分からないまま展開するが、そういう状態でも面白さを感じられるし、ラストに至る展開で明かされる真実には、なかなか驚かされる。

この映画の良かった点は、「事件そのもの」に焦点が当たっているわけではない、ということだ。物語は、人間に向けられている。「壮絶な分かり合えなさ」を痛感させられる者の葛藤と、「ナチュラルに境界線を飛び越える者」が放つ凄まじい異様さが体験できる。

映画は、どの程度実話を基にしているのか分からない。ただ、主人公の1人がエイミー・ロークレンというのだが、エンドロールで「スペシャルサンクス エイミー・ロークレン」と表示されたので、「エイミー・ロークレン」という女性が実在していることが分かる。となれば、エイミーに関する描写はかなり事実に沿っているのだろうし、であれば映画全体もかなり実際に忠実に描かれていると言えるかもしれない。

そして、そうだとするなら、なかなかに驚くべき物語である。

内容の紹介をしよう。
舞台は2003年、ニュージャージー州にあるパークフィールド記念病院。ICUの夜間看護師として働くエイミーは、シングルマザーとして2人の娘を育てている。子どもとなかなか一緒にいてあげられず、お互いに寂しい気持ちを抱いているし、子どもたちに満足に物も買ってあげられない現状を嘆いてもいる。
さらに彼女は、心筋症を隠しながら、ICUの夜間看護師という激務をこなしているのだ。彼女は病院で働いているにも拘わらず、その事実を病院に伏せているばかりか、勤務先とは別の病院で診察を受けるほどだ。
何故か。エイミーはこの病院で働き始めてまだ日が浅い。アメリカの仕組みなのか、ニュージャージー州の仕組みなのか、あるいはこの病院の仕組みなのかは分からないが、とにかく彼女は1年以上働かないと有休ももらえないし、保険にも入れないのだそうだ。
彼女は既に、心臓移植が必要なほど病状が悪化している。医者からは、もしものことがあった時のために、長女にだけは病状を伝えておいた方がいいとアドバイスされる。それほど状況は悪いのに、未保険のまま手術を受ければとんでもない高額の支払いを覚悟しなければならなくなる。今でさえ、未保険のまま受けた1度の診療の支払いが980ドルだ。手術となれば、いくら払わなければならなくなるか分からない。
勤務先に心筋症だと知られれば、間違いなく解雇される。だからこそエイミーは、病気を隠して働いているのだ。
病院は、経費削減に躍起になっているのだが、そんな中、ICUの夜間看護師として新たに男性1人が採用された。チャーリー・カレン。優秀な看護師だと噂だ。エイミーは初日からチャーリーに話しかけ、仲良くなる。さらに、心筋症の苦しさに耐えている場面を目撃され、「あと4ヶ月働けば保険に入れるから黙っていてほしい」と頼み、協力を申し出てくれた。チャーリーも、別れた妻の元に2人の娘がいるが、元妻と折り合いが悪く、なかなか娘に会わせてもらえない。そんな状況もあって、エイミーの2人の娘ともすぐに仲良くなり、エイミーは、これまで1人で抱えていた苦労をチャーリーと分かち合えるようになったことで一層チャーリーを頼もしく感じるようになる。
ある夜、2人が出勤すると、310号室のアナ・マルティネスが死亡したと聞かされた。あまりの唐突な死にエイミーは驚く。
そしてその7週間後、パークフィールド記念病院から警察に不審死の通報が届く。病院に向かったブラウン刑事、ボールドウィン刑事は、よく分からない状況に困惑する。会議室には、危機管理担当のリンダ・ガランに加え、顧問弁護士と市議もいた。不審死の可能性があるのはアナ・マルティネス。病院側は薬の特異な副作用による死だと判断しているが、保健局の指示で通報したという。遺体は既に火葬され、検視は不可能。さらに、ICU職員への尋問に、リンダが同席するという。
なんなんだ、この状況は……。
というような話です。

公式HPの内容紹介には、僕が「書かない方がいいかな」と判断した事柄についても普通に書かれている。まあそうだろう。映画製作側は明らかに、「事件について観客が知っている」という前提で作っていると思うので、「ネタバレ」の判断基準が異なるのだと思う。

ただ、先述した通り、事件のことを知らなければ、物語の中心軸がなんなのか全然理解できないという印象になるだろう。もちろん、「きっとこうなのだろう」という疑いは早い段階で持つことが出来るのだが、僕が理解不能だったのは病院側の対応だ。病院は、アナ・マルティネスの死を遺族を含めた誰一人不審死だと思っていない状況の中で、何故か警察に通報し、しかし自ら通報しているにも拘わらず捜査にはとことん非協力的なのだ。病院の行動原理が全然理解できなくて戸惑った。もちろん、後々大体分かるが、しかしやはり「何故警察に通報したのか」は今も謎のままだ。通報しなければならない必然性がどこにあったのか、結局分からないままだ。

これも先程触れた通り、映画全体は「事件そのもの」よりも、エイミーとチャーリーの2人に焦点が当てられる。とにかく、チャーリーを演じたエディ・レッドメインが素晴らしい。どこかで見たことがある顔だなぁと思ったけど、『リリーのすべて』『イントゥ・ザ・スカイ』『シカゴ7裁判』など、僕が好きな映画に出ている人だ。

とにかく彼の、「なんだか分からない異様な雰囲気」は凄まじい。映画を最後まで観ると、その「異様さ」がこの映画には絶対に必要だったと理解できる。「理解」というものの一切を拒む存在感を、エディ・レッドメインが見事に醸し出していると思う。

また、エイミーを演じたジェシカ・チャステインもとても良かった。特に、彼女が心筋症の症状で苦しむ場面は、自分でもビックリするぐらい、僕自身も顔を歪めてしまうくらい、その「痛み」に共感してしまった。他人が苦しんでいる様を見て、なんだか自分まで苦しくなってくるような状況に陥ることがあるが、まさにそれと同じような状況が、彼女の演技によって引き起こされたのだ。自分でも本当にビックリしたが、エイミーがあまりに痛そうで、映画館の座席で僕自身も顔を歪めてしまっていたのを覚えている。

また、エイミーはある時点からある凄まじい決断を下し、行動することになるのだが、その決意の凄まじさにも打たれてしまった。あらゆる意味で常軌を逸したと言える状況に置かれたエイミーが、様々な葛藤の中で、「理論上はそうすべきだが、普通に考えればそうは行動できないだろう」という道を突き進むことになる。一般人にとっては想像に余りある状況であり、その決断の凄まじさには圧倒されてしまった。

ラストの展開も、どこまで現実のものなのか分からないが、そのあまりの意味不明さから、「これがフィクションだったら成立しないだろう」と感じさせられるようなもので、そんな風に考えて僕は、きっとこの無茶苦茶な展開も実際に起こったことなんだろうと思う。

実話だという重みと、役者の演技の凄まじさに圧倒される映画だった。

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