【映画】「リッチランド」感想・レビュー・解説


うーん、という感じの映画だったなぁ。と書くと誤解されそうな気がするので、まずはその辺りの話から。

本作で描かれているのは「リッチランド」というアメリカのある街である。ここは、「ハンフォード・サイト」と呼ばれる場所の近くにあり、ハンフォード・サイトで働く者たちが居住する街として作られた。たった一晩で2万5000人が住む街が出来た、みたいな紹介がされていたと思う。

ではハンフォード・サイトでは何が行われていたのか。それが、プルトニウムの生産である。長崎に落とされた通称「ファットマン」のプルトニウムは、ここハンフォード・サイトで作られたものが使用されているという。

というような内容の映画なのだが、僕はそのような内容に対して「うーん」と感じたのではない。確かに、日本人としてはかなりモヤモヤさせられる内容ではあるのだが、違和感を覚えたポイントはそこではないのだ。

本作はドキュメンタリーなのだが、「何故それを映す?」みたいな被写体がとても多い。歌を歌ってるとか(まあ、その歌詞に意味があるようなのだが)、詩を朗読しているとか(まあ、その詩の内容に意味があるらしいのだが)など、個人的には「何故それを映す?」と感じるようなシーンが多くて、全体的にちょっとあまり良い印象では受け取れなかった。

ただ、これは仕方ない部分もあるだろうとは思う。

アメリカにおいては、当然と言えば当然ではあるのだが、このハンフォード・サイトは「アメリカの誇り」のような存在であるようだ。住民はもちろん、街の業績を誇っているし、作中ではケネディ大統領がリッチランドを訪れて人々に感謝している場面を映した映像も使われていた。今では国立歴史公園に指定されており、観光客も多くやってくるのだそうだ。

そして、そんな場所だからこそ、「アメリカ人にとっては馴染み深い土地」なのだと思う。そして、恐らく本作はアメリカで作られた映画だと思うので、「アメリカ人がアメリカ人に向けて本作を作っている」とすれば、我々外国人が知りたいような情報(さすがに基本的な情報は作中でも説明されるが)は省かれてしまうのかもしれない。

さて今、「アメリカ人がアメリカ人に向けて作っているとしたら」という話に触れたが、本作を鑑賞する上でもう1点難しいと感じる部分があった。それは「監督(制作陣)が何を目的にこのドキュメンタリー映画を撮影しているのか分からない」という点だ。これも、作品そのものの欠陥というよりは、「アメリカ人にとっては当たり前だから省かれた部分」ではないかと僕は思っている。

さて、映画を観ながら僕が感じていた仮説についてまず触れよう。

そもそも僕は、うろ覚えな知識ではあるが、本作鑑賞の前の時点で、「年配のアメリカ人は原爆投下を肯定しているが、若い世代には疑問を持つ人が出始めている」みたいなことを知っていた。感想を書いている今、ネットでざっくり調べたところ、「アメリカの若者の半数以上が『日本に謝罪すべき』と考えている」みたいな記事も出てきた。凡そ、僕の認識は間違っていないだろうと思う。

そして、本作では時折カメラを回している人物が被写体に質問をする箇所があるのだが、その声がなんとなくだが「若い女性」のものに感じられた。撮影者と監督はまた別かもしれないが、いずれにしても僕はなんとなく、「映画『リッチランド』は、割と若い監督が作っているんじゃないか」と感じた。

そしてそれらの推測を踏まえた上で僕は、「原爆投下に疑問を抱く若い世代が、原爆投下の象徴として今も残るリッチランドの街やその住民を撮影することで、違和感を炙り出そうとしているのではないか」と思いながら観ていた。この捉え方が合っているのかは、今もよく分からない。

ただ本作には、僕のこの見方を補強するようなシーンがあった。リッチランドにある高校に通う学生たちが車座になって話をする場面だ。なんとこの高校、通称が「ボマーズ(爆撃機)」なのである。というかそもそも、リッチランドの街のシンボルが「Rの文字からキノコ雲が噴き出ている」とものであり、これがそのまま高校の校章にもなっている。この校章は、「不適切な校章トップ10」に選ばれたこともあるそうだ。

そして若者たちは、この校章に対して強く違和感を覚えているという感覚を口にする。本作では冒頭から、恐らく4~50代以上だろう人たちばかりが映し出され、リッチランドや原爆投下を肯定するような意見ばかり流れるのだが、それらをすべてひっくり返すかのように、若者がリッチランドの根幹を否定しているのである。

そしてなんとなくではあるが、これこそが監督が描きたかったこと、主張したかったことであるように感じられた。あくまでも僕の勝手な印象だが、冒頭からずっと描かれていく「リッチランドに住む大人たちの意見」には、監督(制作陣)が肯定的ではないような構成・編集に僕には思えたのである。

ただ、あくまでもこれは僕の仮説に過ぎない。実際のところは、「アメリカでリッチランドがどのように受け入れられているのか」や「アメリカ人の原爆投下に関する様々な意見」を踏まえた上で、「リッチランドの生活ぶりを淡々と映し出すことによって、アメリカ人には何が伝わるのか」を理解する必要があるし、それは僕にはハードルが高い。

まあ色々と理屈はこねたが、ちょっと僕にはしっくりこない作品だった。

観ながら「軍艦島」のことを想起した。まあ、似ている部分もある。「仕事のために作られた居住区であること」や「その仕事が命と隣合わせの危険なものであること」などだ。しかし、軍艦島はたぶん政府が意図的に作ったものではないはずだし、また、現在は居住区としては存在していない。

実はリッチランドも、第二次世界大戦が終わったら解体される予定だったそうだ。しかし、冷戦に突入してからも核の重要性は衰えず、必然的にプルトニウムが必要になったので、そのまま存続したそうだ。映画の中では、「仮の住処だったはずの場所がふるさとになった」みたいな風に説明されていた。

また、ハンフォード・サイトは元々先住民が住む土地だったそうだが、米軍が強制的に接収し、9基もの原子炉が作られたのだという。その際も、「長くは使わないから、終わったらこの土地に戻ってくればいい」みたいに言われたそうだが、あっさりとその約束は反故にされたというわけだ。

ハンフォード・サイトには現在も立ち入り禁止区域が設定されている場所があり、かなりの汚染度だそうだ。そして、その立ち入り禁止区域外では今、世界最大の環境浄化計画が進行しているという。汚染された土地は、10億年経っても人が住めるようにはならないだろうと言われているようだが、せめてその周辺は豊かな環境を整えようというわけだ。

ちなみに汚染の話で言えば、父親がハンフォード・サイトで働いていたという女性の話が印象的だった。父が亡くなった後で同僚から聞いた話だそうだが、当時は防護装備など一切つけることなくプルトニウムの生産に関わっていたのだそうだ。上層部が知ってて身に付けさせなかったのか、それとも単に知らなかったのかはよく分からないが、いずれにせよ、リッチランドの人々が口にするような「素晴らしく誇らしい仕事」ではなかったと捉えるべき話に感じられた。

個人的にはちょっとなぁという感じの映画でしたが、クリストファー・ノーラン監督作『オッペンハイマー』のその後の物語という捉え方をするとまた違った見方になるだろうし、日本とは違った立場から「原爆投下」に語る人々を見る機会もそうないと思うので、観てみるのもアリだと思います。


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