【映画】「ソウルの春」感想・レビュー・解説

いやー、これはホントに驚かされた。ただ、この「驚かされた」には少し説明が必要なので、まずは内容の紹介から始めよう。いやーしかし、これは凄いなぁ。公式HPによると、最終的には国民の4人に1人が劇場に足を運び、『パラサイト 半地下の家族』も上回る観客動員を記録したそうだ。まあそうだろう。本作の冒頭には、「実話をモチーフにし、フィクションを混じえた作品」と表記されたが、さらにその後で、「国民に秘されていた」とも記されたのだ。もちろん、その真相は書籍などで既に明らかにされていただろうが、こんな風にエンタメ映画に昇華されたことでより多くの人が知ることになったはずだ。まあホントに、凄い話である。

物語は、1979年10月26日の早朝から始まる。前線に配備されていた者も含め、軍人が一斉に集められたのだ。すわ戦争かと誰もが考えたが、そうではなかった。「独裁者」と評されたパク大統領が側近である中央情報部長に暗殺されたのである。国は戒厳令を発令、最大限の警戒に当たることとなった。

さて、この事件を受けて国民の間では「民主化」を求める声が高まった。そんな期待もあってのことだろう、大統領暗殺事件の捜査に国民の関心が集まっていた。しかし、暗殺事件の合同捜査本部長の就任した保安司令官チョン・ドゥグァンは、とんでもない野心を秘めた男だった。彼は陸軍内に「ハナ会」という秘密の組織を構築しており、彼に忠誠を誓う者が軍内に多くいた。そして彼は、大統領の死をきっかけに、さらなる権力を握ろうと画策するのである。

一方、イ・テシンは参謀総長であるチョン・サンホから首都警護司令官に任命された。多くの者がこのポストを狙っている中、当初イ・テシンはこの任命を断ろうとしていた。自分には相応しくないというのだ。しかし参謀総長は彼のことを「真の軍人」と考えており、「君のような無欲の人間に引き受けてほしい」と何度も説得する。そして最後には、半ば強引に首都警護司令官を引き受けることになったのだ。

そうしてイ・テシンが首都警護司令官に就任したのだが、彼と仲間には大きな懸念があった。それが「ハナ会」である。秘密組織のため実態が分からないが、陸軍内に相当のシンパがいると目されていた。またイ・テシンとチョン・ドゥグァンは軍人としてのあり方も含め対立していたため、状況次第では首都警護司令官であるイ・テシンの命令を聞かない者も出てくるのではないかと思われていた。

一方チョン・ドゥグァンは、様々な手を使って権力を手に入れようとする。主に参謀総長に取り入ることでどうにかしようと考えていたのだが、参謀総長もまた高潔な人物で、2億円の裏金を差し出された際も受け取らなかった。それどころか、チョン・ドゥグァンとその一派の動きが目に余るようになったため、参謀総長は彼らを”左遷”と言っていいような役職へと配置することに決めたのだ。

これで、チョン・ドゥグァンをトップとするハナ会は万事休すのはずだった。しかしチョンは諦めない。彼はあるとんでもない計画を立てていたのだ。

実は、パク大統領が暗殺された現場には参謀総長もいた。その後の捜査で、参謀総長は暗殺には関わっていないと判断されたのだが、チョン・ドゥグァンは捜査本部長の権限を使って「内乱幇助罪」で参謀総長を逮捕することにしたのだ。しかし、ただ逮捕しただけでは自分たちが危うい。だから、「大統領からの裁可」を得つつ、同時並行で「参謀総長の逮捕(実際には拉致)」を行おうと考えていたのである。参謀総長さえ排除できれば可能性は広がる。そう考えてのことだった。しかし一歩間違えば武力衝突となり、ハナ会の面々は反乱軍として逮捕されるだろう。一か八かの賭けだった。

実行は、組閣発表の前日、12月12日に決まった。彼らは当日、イ・テシンら3人を首席に呼んでおり、事が起こってもすぐに事態に対応できないようにしていた。そして自分たちの未来のために、すべてを賭けてチョン・ドゥグァンが大統領府へと向かい、参謀総長逮捕の裁可を得に行くのだが……。

というような話です。

さてそんなわけで、僕が一体何に驚いたのかの説明をしましょう。これは恐らく、多くの人にとって「ネタバレ」ではないはずですが、「ネタバレ」だと感じる人もいると思うので、何も知らずに映画を観たいという方はこれ以上読まないで下さい。

さて、僕が驚いたポイントは、「反乱軍が勝ってしまったこと」である。こう書くと、多くの人が「えっ?」と感じるのではないかと思う。「韓国が軍事政権下にあったことを知らないのか?」と。

いや、それはもちろん知っていた。いや、「もちろん」と言えるほどは知らなかったと書くべきだろうか。「韓国が軍事政権下にあったこと」は知っていたのだが、それがいつの時代の話なのかちゃんと知らなかったのだ。本作では冒頭で1979年の物語だと表記されるが、その頃にはもう軍事政権下ではなくなっているような気がしていたのだ。

僕が生まれたのが1983年なので、僕が生まれる少し前の出来事だ。そしてそんなタイミングでもまだ韓国が軍事政権下にあったというのは、ちょっと僕には信じられなかったのだ。というわけで、映画を観終えてちゃんと調べてみたところ、韓国では1961年から1993年まで軍事政権下にあったようだ。1993年って、かなり最近じゃないかと思う。そんな最近まで軍事政権下にあったとは思わなかった。

そしてだからこそ僕は、「最後にはイ・テシンが勝つ」と思いながら観ていたのだ。「反乱軍が勝つはずない。だからここから、何か逆転があるはずだ」みたいな感じで最後の最後まで観ていたのである。そして最終的に「反乱軍」が勝ってしまったことにメチャクチャ驚かされたのだ。

先ほど「このことを書くと『ネタバレ』になる人もいる」みたいな書き方をしたが、恐らく僕より若い世代には、「韓国が軍事政権下にあった」という事実をそもそも知らない人もいるんじゃないかと思う。だから、そういう人が本作を観たら、僕と同じように「反乱軍が勝っちゃうの? マジで?」みたいな感想になるんじゃないかなと。物語のセオリーから言ったら絶対にイ・テシンが勝つはずなんだけど、そうはならなかった。まさにこれは「実話を基にしているから」こその展開だし、だから、僕のように詳しい知識を持たずに本作を観た人は、同じように驚かされるんじゃないかと思う。

冒頭で記された通り、「フィクションも含まれている」ということなので、どこまでが事実かは分からない。密室で行われていることも多いので、そういう描写はフィクションとして描くしかなかったのではないかと思う(ただ、当時の騒動に関わったハナ会のメンバーが、後にノンフィクション作家の取材に応じて証言しているみたいなこともあるかもしれないから、そうだとしたらある程度事実ベースと言えるのかもしれない)。ただ、イ・テシンとチョン・ドゥグァンの人物描写は概ね事実に沿っているんじゃないかと思う。そしてこの2人は、凄まじく対照的だ。

イ・テシンはまさに「軍人の鑑」とでも言うべき人物で、いつどんな場面でも「圧倒的な正しさ」を放っている。それでいて「正しすぎて近づけない」みたいな感じでもなく、ちゃんと目の前にいる人間を見ながらやるべきことをやっていく。さらにその上で、ここぞという場面では自分の信念をどうやっても揺るがせにしないという押しの強さもあり、「こんな上司がいたら頑張って働くだろうなぁ」と感じさせる雰囲気がビンビンに出ていた。

一方でチョン・ドゥグァンはとにかく酷い。酷いなんてもんじゃなく酷い。己の権力のためにしか物事を考えておらず、状況を打破するためなら口八丁の嘘もつく。「手段に関係なく、勝った者こそが正義なんだ」という価値観しか持っておらず、勝つためならとにかく手段を選ばないえげつなさを常に放っている。

あまりに対照的な2人である。そして結局、チョン・ドゥグァンという「悪」が権力を手中にしてしまったという事実に絶望的な気分にさせられてしまう。本当に、嫌な世の中だ。

本作では、後半は丸々「12.12軍事反乱」の様子が描かれる。そして、どこまで事実かは分からない(映画的な演出が含まれているかもしれない)ものの、作中では随所に「あと一歩」という状況が描かれる。「あそこであいつがあんなことをしなければ」「あの時あいつがあんなことを言わなければ」みたいなことが本当に多かった。確かにチョン・ドゥグァンが勝ったのだが、本当にギリギリのところで、このクーデターが失敗に終わる可能性も十分にあったと思う。

ただ、イ・テシンにとって不利だったのが、「参謀総長が連れ去られてしまったため、指揮系統が混乱した」という点だろう。軍の組織のことはよく知らないが、「参謀総長の逮捕の裁可を大統領に求める」のだから、陸軍内において相当の地位にいることが分かるだろう。イ・テシンを首都警護司令官に任命したのも、チョン・ドゥグァンらを左遷させる人事を決めたのも、すべて参謀総長である。

だからそんな人物が逮捕(実際には拉致)されてしまったために、陸軍内では指揮系統が乱れに乱れる。特に、参謀総長が不在の場合に代理を務めるらしい参謀次長がとにかく酷かった。恐らく、この参謀次長が色んな場面で横槍を入れてこなければ、チョン・ドゥグァンらのクーデターは成功しなかっただろう。参謀次長はとにかくイカれているように見えた。もちろん、本作はイ・テシンを分かりやすく英雄的に描く構成になっているし、だからもしかしたら、史実とは違って参謀次長を悪く描いたという可能性もあるかもしれない。しかし、参謀次長のような訳のわからん指示をする人物がいなければチョン・ドゥグァンらの計画が成功しなかったことは間違いないので、やはりこの辺りの描写も割と事実に沿っていると考えるのが自然ではないかと思う。

さらに、本作には国防長官も登場するのが、こいつもまあ酷い。国防長官は国軍のトップなのだが、クーデターが起こってもその所在は知れないし(結果的にそれは悪くはなかったのだが)、姿を現したら現したで何もしないし、というかむしろ邪魔ばかりする。国防長官も参謀次長と同じく余計なことばっかりするし、それがなければチョン・ドゥグァンらの計画は成功しなかったはずだ。マジで酷かったなぁ、こいつら。

そんな中でもイ・テシンは、可能な範囲で最善を尽くし続けようとするのだが、結局正義は打ち砕かれてしまった。繰り返しになるが、普通の物語だったらイ・テシンのような人物は絶対に負けない。「必ず勝つ側の人間」的な描かれ方をしているのである。だからこそ余計に驚かされてしまった。こっち側が負けてしまうんだな、と。

映画全体の感想としては、まず冒頭からしばらくは状況を把握するのが難しい。軍人ばっかり出てくるし、その中で誰に注目すればいいか分からないからだ。ただ、イ・テシンとチョン・ドゥグァンに焦点が当てられるようになると、俄然物語は理解しやすくなる。

また、状況の把握の難しさは、「12.12軍事反乱」が始まってからもどうようだ。陸軍内で「イ・テシン派」と「チョン・ドゥグァン派」に分かれて争うわけだが、クーデターが始まるまでの物語内では登場しない者ばかりなので、誰が誰で誰とどういう関係にあるのか分からない。まあこの辺りはきっと、韓国の人でも正確には分からないだろう。そもそもが複雑な話なので、その辺りはある程度理解を諦める必要があると思う。

あとはとにかく、「ソウル市」を舞台にまさに戦争が勃発しそうな雰囲気になっていたことにも驚かされるし(夜中だが、もちろん市民も見ている)、何よりも、「とっくに覚悟なんか出来てる」と呟いたイ・テシンが用意していた飛び道具にも驚かされた。なるほど、だからあそこであのシーンがあったのかと納得したぐらいである。

さて最後に。ハリウッド映画でも韓国映画でも「自国の恥となるような史実を基にした映画」というのは結構あると思うのだが、日本映画ではあまり思い浮かばない。いや、もちろんあるんだろうし、僕が觀ていないだけだと思うのだが、ただ、本作『ソウルの春』が韓国で4人に1人が観るほどの大ヒットを飛ばしたことを考えれば、「日本国内で、恥部と呼ぶべき歴史を舞台にした映画が大ヒットするだろうか?」と感じてしまう。ドキュメンタリー映画ではそういうテーマの作品もあるとは思うが、エンタメ映画ではなかなかないだろう。例えばだが、「地下鉄サリン事件」や「オウム真理教」を真正面から扱ったエンタメ映画は無い気がするし、これからも生まれない気がする。

恐らくこれは、「何かに忖度してそういう映画を作らないようにしている」というわけではなく、シンプルに「日本国民が歴史に興味がない」ということなのだと思う。少なくとも映画の制作側は、「恥ずべき歴史を描いた映画なんかヒットしない」と考えているのだろう。そんな風に考えると、国民の民度の差を感じさせられて少し恥ずかしくなる。

「日本は素晴らしい国だ」みたいなナショナリズム的な発想もいいが、どんな国にだって「汚点」はあるはずで、そういう「恥部」に光を当てて改めて関心を促すみたいなことも、映画が持つ1つの力と言ってもいいんじゃないかと思う。

そういう作品が日本映画でパッと思い浮かばないことは残念に思えるし、それだけで判断できるものではないにせよ、アメリカや韓国との「大きな差」を感じさせられてしまった。

そんなわけで本作は、ちょっと凄まじすぎる作品だった。何にせよ、これが史実であることに驚かされるし、フィクションも混じっているだろうが、その中で描かれている人間ドラマもとても良かった。メチャクチャ男臭い、っていうかほぼ男しか出てこない映画だが、2時間半ずっと惹きつけられる、なかなかにとんでもない映画だった。

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