【映画】「からかい上手の高木さん」感想・レビュー・解説

いやー、良かったなぁ。さすが今泉力哉という感じ。

さて、先に書いておくべきだと思うが、僕は『からかい上手の高木さん』という作品を観に行ったのではなく、『今泉力哉監督の最新作』を観に行った。『からかい上手の高木さん』については、設定は知っているし、コミックの絵柄も目にしたことはあるが、1話丸々通して読んだことはない。そしてコミックだけではなく、アニメ映画もドラマも一切観ていない。『からかい上手の高木さん』と名の付く作品は、永野芽郁・高橋文哉主演の本作しか観ていないということだ。

しかし、今泉力哉の作品を観る度に毎度感じることではあるが、「よくもまあ、こんな『普通には成立しないだろう大人の関係』を成り立たせられるものだ」と思う。僕がこれまでに観た今泉力哉作品は、『窓辺にて』『ちひろさん』『街の上で』『アンダーカレント』なのだが、そのどれもが、「大人同士のこんな関係、普通は成り立たないだろう」と感じるものばかりだった。

そしてその印象は、本作に対しても同じである。普通に考えて、「25歳前後の大人の関係性」としては、無理あるだろって感じてしまうような設定である。公式HPに、「淡すぎて、ピュアすぎて」と書かれているが、本当にその通りだ。淡すぎて、ピュアすぎて、「こんな関係あり得んだろ」と普通なら感じる。

ただ、まあ人にもよるだろうが、少なくとも僕は、「本作の高木さんと西片の関係性は成立している」と感じた。

そして本作の場合、それを成立させているのは間違いなく、永野芽郁と高橋文哉である。特に永野芽郁がめちゃくちゃハマってると思う。

以前観た、永野芽郁主演映画『マイ・ブロークン・マリコ』では、やさぐれている役を演じる永野芽郁がハマってなさすぎて驚いた。新境地と言えば新境地なのだろうが、個人的には永野芽郁を起用したのは失敗だったんじゃないかと感じてしまうほど、マジで合ってなかったと思う。

しかし、本作『からかい上手の高木さん』では、「これは永野芽郁にしか出来ないだろう」という絶妙な雰囲気を醸し出していた。原作のことを何も知らないので、永野芽郁が「高木さん」のイメージに近いのかは僕には分からない。ただ、「10年ぶりに再会した中学時代の同級生に、当時と同じフランクさでからかいを続け、その一方で、『暴力』になりすぎない範囲で常に好意を伝え続ける」みたいな雰囲気をナチュラルに醸し出せる人はそういないだろう。僕がパッと思いつく限りでは、あと浜辺美波ぐらいだろうか。

とにかく本作では、永野芽郁のハマりっぷりが絶妙だった。

そして、そんな「高木さん」のからかいに翻弄され続ける高橋文哉も見事だった。何が凄いって、ほとんどのシーンで「イケメン」には見えないってことである。いや、もちろん顔は高橋文哉なのだが、「かっこよさ」というのは顔だけではなく、仕草とか振る舞いとか喋り方とかそういうものも影響してくるだろう。そしてそういう部分を絶妙に調整することで、「イケメン感」を消し去っているところが見事だなと感じた。本作の場合、「西片」がイケメンに見えてしまうと、ちょっと話として成り立ちにくいので、高橋文哉の立ち居振る舞いも、本作のリアルさに寄与していると思う。

高橋文哉の言動で印象的だったのが、「話しかけられるだけでビクッとする」みたいなシーンが多かったことだ。これは高木さんとの関わりに限らない。島で体育教師をしている西片は、生徒から話しかけられる場面でもビクッとなったりするのだ。

そういう「自然と身体がそんな風に反応してしまう」みたいな部分もとても上手く演じていて、凄く良かった。

そして本作の場合、「そういう2人だからこそ、そういう関係性が成り立つんだよね」という部分をかなり頑張って描いていると思う。「頑張って」と書いたのは別に悪い意味ではない。何度も書いているように、高木さんと西片の関係性は「普通ならあり得ない」ので、その「あり得なさ」を少しでも減らすための努力をしている、という意味だ。

そりゃあ、どうしたって2人の関係性を受け入れない人は出てくるだろう。それは例えば、「男女の友情なんかあり得ない」という原理主義者が一定数いるのと同じような話だし、別に彼らの関係性を受け入れなければならない理由もないので別に良いと思う。

しかしその一方で、今泉力哉は常に、「あり得ないように見えることだって、あり得るかもしれない」という展開を観客に見せようとしているように思うし、彼自身もそういうことを信じたいと思っている人なのではないかなと思う。

一昨日、「情熱大陸」で今泉力哉が取り上げられていた。事前にそのことを知らなかったので、テレビを点けていてたまたま知ったという感じだ。もちろん、メインとして映し出されていたのは『からかい上手の高木さん』の撮影についてだった。その中で今泉力哉は確か、「恋愛は答えがないから面白いし、ずっと撮っていられる」みたいな風に発言していたと思う。

この「答えがない」という言葉を広く捉えれば、「何でも正解になり得る」ということだし、だからこそ今泉力哉は、「『普通じゃない関係性』をどうやって成立しているように見せるのか」みたいな戦いを常に続けているように感じられた。そして本作も、まさにそのような延長線上にある作品と言っていいだろう。

その「情熱大陸」で映し出されていた話で興味深かったのが、本作『からかい上手の高木さん』のあるシーンの会話を、役者と一緒に考えたというシーンだ。大関という女子生徒と町田という男子生徒のやり取りで、実際に撮影を行ってみると、自身で書いた脚本に納得がいかなくなり、役者とブレストするような形でセリフを考えることにしたそうだ。そして、大関・町田を演じた役者に即興でそのシーンを演じさせ、それを見ながら今泉力哉が思いついたセリフを耳打ちし、さらに即興のやり取りを続けさせる、みたいな場面が映し出されていた。

その「2人の即興を見ながら今泉力哉が思いついたセリフ」というのが、実に良かった。そのシーンについて具体的には触れないが、「ありがちなセリフ」だけで埋めてしまうと、特に町田の方の動機が見えにくいシーンになってしまう。映画的には必要なシーンなのだが、そのシーンを組み込もうとすると、登場人物たちの気持ちの動きに無理が生じてしまうような、そんなシーンなのだ。

しかし、新たに今泉力哉が加えたセリフは、町田の動機をくっきりさせ、そのことによってそのシーンの必然性が明確になるような、そんな感じのものだった。元のセリフがどういう感じだったのか、「情熱大陸」内で流れたのかどうか記憶がないが、町田が口にするあのセリフが収まるべきところに上手く収まったという印象が強いシーンだった。

しかし、白鳥玉季は良いなぁ、と見る度に思う。大関役を演じていた女優だ。僕が初めて白鳥玉季を見たのは、映画『流浪の月』だったと思う。本当にビックリした。何がどうとは上手く説明できないが、物凄く強い印象を放つ人だなと感じたのだ。

そしてその後も、ドラマ『いちばんすきな花』や本作『からかい上手の高木さん』などで見るようになったのだが、とにかく「不幸そうな役」が合う。僕が見ている作品でたまたまそういう役というだけかもしれないが、あんなに可愛い感じの顔をしているのに、不幸な役を演じて全然違和感がない。この点は、永野芽郁とはかなり大きく違うと言えるだろう。なんとなくだが、新垣結衣的な雰囲気があるかもしれない。新垣結衣も全体的に、暗かったり不幸だったりする役が合う。まあそれは、新垣結衣本人の性格が反映されているみたいな部分もあるだろうけど。

さて、永野芽郁の話に戻すが、本作で永野芽郁が演じる高木さんは、普通だったら違和感を覚えるだろう喋り方をする。「~~だよね!」「~~だよ!」みたく、語尾の「ね」や「よ」に強いアクセントを持ってくる感じの喋り方で、日常の会話でこんな喋り方する奴はいないだろう、と思うような感じではないかと思う。

ただ、それにも拘らず、それが「違和感」として浮き出ないのが凄いなと感じた。どうしてそんな受け取り方になるのかはなんとも分からないが、やはりそれは永野芽郁が上手く演じたということなんだろう。

また、「西片と喋る高木さん」と「生徒と喋る高木さん」は雰囲気が違い、どちらもとてもフラットなのだけど、生徒と喋る時にはやはりそのフラットさも少し抑えている感じだ。その辺のバランスも上手かったと思う。特に、高木さんと町田が喋ってる雰囲気は、結構好きだ。

さて、あといくつか気になったシーンについて触れて終わろう。

まず、映画のほぼラストの盛り上がりと言っていいだろう教室のシーン。ここは、多少カット割りはあるが、かなりの長尺をワンカットで回していて、だから、その時の2人の空気感ごと閉じ込められている感じがあって凄く良かった。しかも、「高木さんと西片が過去経験したことのない関係性のフェーズに入り込んでいる」という緊張感みたいなものがスクリーンを通じて客席にも届いている感じがした。それまでの2人の「一筋縄じゃいかない感じ」もずっと観てきた観客としては、ワンカットで画変わりなく進む映像を観ながら、「これどうなるんだ?」とドキドキさせられてしまう。

あと、西片がある生徒から相談を受けるシーンがあるのだが、ここでの西片の振る舞いもとても良かった。この場面で西片は、「先生にどうしてほしいみたいなことってある?」と生徒に聞いており、「もし自分が教師だったら同じような言い方してるだろうなぁ」と感じさせられたのだ。

先程説明もなく使ったが、本作では「暴力」という単語がちょっと印象的な使われ方をしている。そして、「相談」への対処もまた「暴力」になり得る。しかし西片は、不登校状態の町田に対する振る舞いからも明らかではあったが、「自身の振る舞いが『暴力』にならないように」という意識をかなり強く持っていると思う。だからこそ、生徒からの相談に対しても、「『暴力』にならないように」という意識で向き合えたのだと思う。

世の中には本当に、「良かれと思って」という言葉を錦の御旗にして「暴力」を振るう人間が多くいる。これは別に「殴る・蹴る」みたいな話ではない。「誰かを不快にする行動」すべてを「暴力」と呼ぶのは少し乱暴すぎると思うが、少なくとも僕は、「想像力を発揮したとは思えない行動」は、たとえそれが結果として良い帰結を導いたとしても、それを「暴力」と捉えたいと考えている。

「想像力の無さ」が一番の「暴力」というわけだ。

さて、この「暴力」という捉え方で今泉力哉作品を振り返ってみると、「自分の言動が『暴力』にならないように」という「想像力」が強すぎる人たちの物語を描いているという感じがする。そのような「想像力」はある種必然的に「生きづらさ」を引き連れてくるし、本作でもやはりそういう要素は描かれていると思う。

江口洋介演じる教頭先生が、「人と人とが関われば、どうしても傷つけるし、傷つけられてしまうものだ」と口にする場面がある。確かにその通りだし、「だったら、あんまり考えても仕方ないよね」と言ってズカズカ突き進んでいく人もいるだろう。でも僕はやはり、「どうせだったら傷つける側になりたくないよね」という理由から考えすぎてしまう人の方が好きだし、恐らく今泉力哉も同じなのではないかと思う。

さて、最後にメチャクチャどうでもいい話を書こう。本作は香川県の小豆島で撮影されたそうなのだが、実は僕はつい最近、香川県の豊島という島にいた。調べてみるとなんと、豊島の隣が小豆島のようである。だからなんだよ、って話なのだが、なんとなく作中で映し出される海の風景に見覚えがあるような感じがしたのは、僕が少し前に豊島を訪れたことがあるからかもしれないな、と感じた。

そんな「島の雄大な自然」も楽しめる作品で、個人的には本当に、とても良い作品だった。やっぱり、今泉力哉、好きだなぁ。

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