【映画】「キャロル・オブ・ザ・ベル」感想・レビュー・解説

映画のタイトルになっている『キャロル・オブ・ザ・ベル』は、歌の名前だそうだ。一般的には「クリスマスキャロル」として知られているらしく、僕も、曲名にはピンとこなかったが、作中で何度も歌われたその歌は、聞き覚えがあった。どうも、映画『ホーム・アローン』の中で歌われたことで世界中に知られるようになったそうだ。

この『キャロル・オブ・ザ・ベル』という曲、実は元々ウクライナの民謡だったそうだ。『シェドリック』という民謡で、これに「ウクライナのバッハ」と呼ばれた作曲家が編曲を施し、英語の歌詞をつけたものが『キャロル・オブ・ザ・ベル』なのだそうだ。

その辺りのことを知らずに観たので、映画のあるシーンの意味が、この曲の背景を知った今ようやく理解できるようになった。

映画の主人公の1人は、ウクライナ人のピアノ講師の女性なのだが、彼女はある場面で「子供たちに何を教えていたんだ」と追及される。そこで彼女は、「ウクライナの民謡などを」と答えるのだが、ソ連人である相手から「馬鹿なことを」みたいな反応を受ける。そのソ連人の反応はつまり、「『ウクライナ』なんて言う国は存在しないんだから、『ウクライナの民謡』も存在しないんだ」という意味である。

『キャロル・オブ・ザ・ベル』という曲は今も、「ウクライナ語、ウクライナ民謡が確かに存在したのだ」という明確な証としても歌い継がれているそうだ。

しかしこの辺りのことは、「ウクライナという国が存在する」という事実が当たり前の僕らには、なかなかイメージしにくいだろう。

この映画の舞台は「ポーランド、スタニスワヴフ」と表示される。そしてその後で、「現ウクライナ、イヴァーノ=フランキーウシク」とも表記される。僕は、「ウクライナが元々ソ連と同じだった」という事実は知っていたけど、「現ウクライナの土地の一部が、元々ポーランドだった」ということは知らなかった。この辺りのことはやはり、なかなかニュースを見ているだけでは理解できない。

「ウクライナ人」という呼び方が、映画の舞台となっている1939年時点で存在しているわけで、ということは「ウクライナという国がそれ以前に存在していたが、一旦無くなってしまった」のか、「当時もウクライナという国は存在していたが、映画の舞台になっているのがポーランドだった」のか、あるいは「民族の名前として『ウクライナ』が存在する(「クルド人」のように)」なのかという感じだと思うが、その辺りもなかなか分からない。

とにかく僕に理解できることは、「この映画には、『ウクライナという国には住んでいないウクライナ人』が登場する」ということだ。

とここまで書いたところで、公式HPに「ウクライナ」の年表があることに気づいた。1917年に「ウクライナ人民共和国」が成立したが、その後1922年に「ウクライナ社会主義ソビエト共和国」として一方的にソ連に併合されたようだ。その後、1939年にソ連がウクライナを占領した、という感じらしい。その辺りが、映画で描かれている舞台というわけだ。その後、1991年にソ連が崩壊したことで、ウクライナが独立宣言を行った、ということのようである。

映画の中で、ウクライナの民謡を元にした『キャロル・オブ・ザ・ベル』が何度も歌われ、さらに、物語の中心軸になるのもウクライナ人一家(映画には、ポーランド人一家やユダヤ人一家も登場する)なので、「この映画は、ウクライナ侵攻を受けて作られたものだ」と感じるかもしれないが、公式HPによればそうではないようだ。世の中では時にこのような「シンクロニシティ」としか言いようがない状況が顕在するが、まさに今も翻弄され続けているウクライナの歴史を背景に、「なんとしても生き残る」ために奮闘した夫婦と少女たちの奮闘は、まさに今の観客に響くのではないかと思う。

ポーランドに住むユダヤ人の弁護士が所有する物件に、ポーランド人一家とウクライナ人一家がほぼ同タイミングで引っ越してくることになった。しかしこの2家族は当初、あまり関係が良くなかった。両家の娘同士は、同じ年頃ということもあってすぐに仲良くなったが、親の方はそうも行かなかった。
ウクライナ人一家の母親は、自宅でピアノを教えており、娘のヤロスラワも母親と同じく歌が上手かった。特に『キャロル・オブ・ザ・ベル』を気に入っていて、「この歌を歌うとみんなが幸せになれる」と信じて、様々な場面でこの歌を披露する。しかしポーランド人一家の母親であるワンダは、隣の部屋から聞こえるピアノやレッスンの音を不快に感じることが多く、それでどうにも親しくなれないでいたのだ。宗教の違いもあり、なかなか仲良くなるきっかけがなかったが、ウクライナ人一家が主催した公現祭のパーティにポーランド人一家を招待したことから距離が縮まり、それからは娘のテレサをレッスンしてもらうなど、関わりが深くなっていく。
しかし、世の中は一気にきな臭くなってしまった。戦争が始まったのだ。違う人種ながら、穏やかに暮らしていた3家族にも、戦争の魔の手は忍び寄り……。
というような話です。

映画は全体的に、「いかに過酷な状況下で子どもたちを守るか」という話であり、もちろんその部分はとても良かった。戦時下で、自分も逮捕されてしまうかもしれないという恐怖を感じつつも信念に従って行動し続けた女性は素晴らしかったし、少女たちも厳しい環境の中で協力しあってどうにか乗り越えようとした姿は素敵だ。

しかしそれ以上に、戦争や軍人の醜悪さに嫌気が差してしまった。

軍人にしても、「命令によって動いている」ことはもちろん理解しているが、にしたって「よくそんなことが出来るな」と感じてしまうような振る舞いばかりしている。戦争は、あらゆる意味で最悪だが、僕にとっては、「能無しのクズの意見が『正しい』ことになってしまう」という状況に、とにかく耐えられないように思う。ホントに、何をどう考えたら「その行動」が「正しい」と思えるのか、理解できないと感じることが多すぎる。

あと、これはマジでどうでもいいことなんだけど、ソフィア役の女性が「オセロ中島」にメチャクチャ似てるなって思った。まあ、どうでもいい話。

現代の戦争にも通ずる「過去の歴史」を背景にした、ヒューマンドラマである。

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