【映画】「マイ・バッハ 不屈のピアニスト」感想・レビュー・解説

「努力する天才」には勝てないといつも思う。そして「努力する天才」は「努力」を「努力」だと思っていないのだから、なおさらだ。

「努力」について考える時、いつもYouTuberのことが頭に浮かぶ。YouTuberも玉石混交だろうが、やはりトップクラスの人というのはどういう業界にもいて、YouTuberでもとんでもない再生回数を叩き出す人がいる。

僕はYoutubeを日常的に見ることはないのであくまでもイメージだけど、そういうトップにいる人達というのは、結局、「息を吸うように」動画を上げているんだと思う。そうじゃない人もいるだろうけど、たぶん「息を吸うように」動画を上げられない人は、短期間だけ活躍することはあっても、長期的には人気を維持できないと思う。結局のところ、一定以上のクオリティのものを、日々日々アップできるか、という点に掛かっているのだろう。

YouTuberというと、まだまだ職業としてはきちんとしたものとみなされていないと思うが、それがどんなジャンルであれ、「なりたいと思う人がたくさんいて」「実際に競争が激しい」世界でトップに「い続けている人」というのは、やはり「努力の天才」だし、「努力を努力だと思っていない人」なのだなと思う。

少しだけ僕自身の話をしよう。僕は、本を読んだり映画を観たりした後、この文章のように感想を書く。大体、短くても2000字ぐらい、長いと10000字を超えることもある。こういうことを、もう15年以上続けている。

という話をすると、「よく続くね」と言われるが、「続けよう」なんて意識でやってたら到底続かなかっただろう。僕にとって、「本や映画の感想を書くこと」というのは、「本を読むこと/映画を観ること」の中に含まれる行為だ。つまり、感想を書くところまでが読書であり、映画鑑賞なのだ。だからむしろ、感想を書かない方が気持ち悪い。パンツを履き忘れたみたいな感じ、だろうか。とにかく、別に「努力」をしているつもりはない。

僕の場合、こうやって書いている感想が、収益とか何らかの評価に繋がったりしているわけでは全然ないから、天才ピアニストの映画の感想の中で触れるにはおこがましい感じだが、僕が言いたかったのは、「努力を努力と思わない感覚」はちょっと理解できるつもりだ、ということだ。

ジョアンは、ピアノを弾くことに恐ろしく執着する。実際のジョアンがどんな人物なのかは分からないが、この映画で描かれているジョアンからは、「名声」「お金」みたいなものへの執着はほとんど感じられない(まあ、「女性」への執着は、物語の核心と言っていいぐらい描かれるけども)。彼はただ、ピアノが弾ければいいのだ。

ジョアンに向かって、(確か)妻が【辞書には、「芸術家とは”破滅への衝動”だ」と書いてあるらしいわよ】みたいなことを言う。実際にジョアンがそんなことを言われたかはともかく、この言葉は、まさにジョアンのその後の人生を暗示するようなものとなった。

ピアノが弾けさえすればいい、と思っている人間が、指を動かせなくなったら、どうなってしまうんだろうか。

正直なところ、この映画を観る興味はその一点のみだったと言っていいのだけど、映画のラストは正直驚いた。もちろん、これは実際の話だ。クラシックファンからすれば、むしろラストの展開こそ周知の事実だろうと思う。しかし、天才ピアニストとして脚光を浴び、しかしその後、自らの不注意によって幾度も手を動かせなくなってしまいながらも、決して音楽を諦めなかった姿には、ちょっと驚かされた。

【「いや、受け入れるしかない。二度と音楽は出来ないのだと」
「お医者さんはそんなことは言わなかったわ」
「じゃあなんて言ったんだ」
「二度とピアノは弾けない、と」】

内容に入ろうと思います。
ブラジルに住む少年・ジョアンは、幼い頃から天才的なピアノの才能を発揮していた。ピアノの先生は、教え始めてすぐ、「この子はもうすぐ、私より上手くなる」と言って、別の先生を紹介した。父親の仕事の関係でレッスン代を払えなくなるかもしれない、という、決して恵まれた環境には生まれなかったが、そのあまりの天才性ゆえ、20歳という若さで、クラシック音楽の殿堂として知られるカーネギーホールで演奏デビューを飾り、「20世紀最も偉大なバッハの奏者」として世界的に有名になる。
しかしジョアンは、不注意によって腕を負傷、そのせいで右手3本の指に麻痺が残ってしまう。指専用のギブスを嵌め、鍵盤を血だらけにしながら演奏を続けるも、やがて彼はピアノの演奏を諦めてしまう。
しかし…。
というような話です。

とにかく、時系列に沿って、ジョアンという天才を、幼少期から最晩年まで一気に描く作品で、だからこそ細部の描写は省略されがちだが(突然結婚してたりする)、ジョアンのピアノに焦点を当てて生涯を一気に描き出す展開は、クラシック音楽をモチーフにしていながら非常にスピーディーな展開で良かったと思います。

ジョアンの天才性と無関係に描かれるのが、女性問題。なんというかジョアンは美しい女性に目がなく、そのために、時に銃で撃たれたり(当たらなかったけど)、時にコンサートに遅刻しそうになったり、時に頭を殴られたりする。どうしてかジョアンは、女性を上手く巻き込める体質のようで、結婚生活は上手く行かなかったけど、その時々で様々な女性と関わっていくのはずっと順調だった。堅苦しくなりがちなテーマの中で、ジョアンの女性との関係性を描く部分は結構コミカルに描かれるので、そういう意味でも映画全体の中ではスパイス的に必要な部分だったかなと思います。

映画を観ながらずっと疑問だったのは、このピアノは誰が弾いてるのか、ということ。映画の途中で、こんな場面がある。あるピアニストがある公演をキャンセルしたから、代わりにジョアンに白羽の矢が立った。しかし、元々のピアニストが断った理由は、楽譜が超絶難しいから、というものだった。元々のピアニストは、4週間では仕上げられないと言って断ったのだが、ジョアンはコンサートまで3週間しかないのに引き受け、コンサートを成功させる。

というぐらい、超難しい曲らしい。別の場面でも、ジョアンがある挑戦を発表したけど、それは、これまで幾多の名演奏家たちがチャレンジし、挫折してきたものだ、と紹介される。

そんな演奏を、一体誰がしてるんだろう?

その疑問は、最後に解消した。この映画でのピアノの演奏はすべて、ジョアン自身の演奏の録音が使われている、という。これで謎の一つは解けたけど、もう一つある。役者の手の動きはどうしてるんだろう、ということだ。

こういう音楽映画の場合、「役者の顔を映すカット」と「手だけのカット」をつなぎ合わせつつ、本人が実際に運指している場面をちょこちょこ入れ込むことで演奏してるように見せる、というのが普通だと思ってるんだけど、この映画では、幼少期・青年期・それ以降と、3人の役者が登場し、しかも全員、顔が映ってる状態で運指もしている、という場面が多い。音は録音を使っているとしても、運指は役者がやるしかないだろう。あんな化け物みたいな指の動きを、全体の一部とはいえ、覚えてやれるもんだろうか?まあ、実際にやったんだろうけど、すげぇな、という感じだった。

僕は、彼のようには頑張れないなー、と思いながら観てたけど、人によっては、自分が進むべきだと思っていた道が閉ざされても、その先に何かがある、と信じられるような映画ではないかと思います。

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