【映画】「私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?」感想・レビュー・解説

いやー、これは驚いた。まさかこんな展開の物語だとは思っていなかった。冒頭から前半に掛けて描かれる物語からは想像出来ないような物語が、中盤以降展開されていく。公式HPには、僕が「中盤以降」と表現している物語の展開も触れているから、まあ伏せる必要はきっとないのだろうが、私は出来るだけ、中盤以降の展開を知らずに映画を観てほしいと思っているので、この感想ではその点は伏せようと思う。

まあ、それを伏せると、かなり書けることに制約が生まれてしまうのだけど。

まずはざっくりと、物語がどんな風に展開するのか、冒頭から前半に掛けての内容に触れておこう。ちなみに、実話を基にした物語である。

映画の冒頭は、衝撃的なシーンで始まる。2012年12月17日、モーリーン・カーニーは自宅の地下室で、目隠しをされ、両手両足を椅子に縛られ、腹にナイフで「A」の文字が刻まれ、膣にナイフの柄の部分が差し込まれた状態でお手伝いさんに発見された。

そして時間は、数ヶ月前に巻き戻る。

モーリーン・カーニーは、世界最大の原子力発電会社アレバの労働組合代表を務めている。既に6期選出されているが、さすがに今回で終わりにするつもりだ。5万人の従業員の雇用を守るという重責は相当なものなのである。

さて、モーリーンを取り巻く状況が大きく変わることになる。CEOだったアンヌが退任し、副社長だったウルセルがCEOに就くことが決まったのだ。女性同士アンヌとは気心が知れており、労働組合員からの支持も篤かったが、新たに就任するウルセルは厄介な人物だった。彼女は新CEOとの対立を覚悟しつつ、それまで通りどんな権力にも物怖じしない態度で労働組合代表として活動を続けていく。

そんな彼女に、ある情報がもたらされる。フランス電力公社(EDF)に勤める者から、内密にある情報提供がもたらされたのだ。それは、EDFのCEOであるプログリオが中国企業と原子力発電に関してハイリスクな技術移転契約を行い、それによってアレバの雇用が大幅に失われるというものだった。もちろんこれは、フランスにとっても大きな問題だ。そしてウルセルは、この計画の一部であるというのだ。彼女はこの情報を元に、ウルセルと、そしてその背後にあるだろう大きな陰謀と闘う決意をする。

その後彼女は、強盗に遭ったり脅迫電話を受けたりしながら、それでも、議員たちにこの危険性を訴えたり、大統領との面会を取り付けたりと奮闘していく。

そしてまさに、大統領との面会の当日である2012年12月17日、彼女は自宅で襲撃を受けるのである……。

さて、冒頭でも触れたが、この映画は、この内容紹介から想像出来るのとはまるで異なる展開を見せる。それは本当に、物語の中盤から唐突に始まる感じがあって、「うわっ、こんな展開になっていくんだ」と驚かされた。そしてそこからは、「一体何が真実なんだ?」という観点から物語が展開されることになり、最後までどうなるのか分からない物語として提示される。

これが実話だというんだから、なかなか驚きである。

さて、自分で勝手に「中盤以降の展開には触れない」という制約を設けたので書けることが限られるわけだが、この映画が成立するには、主人公であるモーリーン・カーニーをかなり絶妙に演じなければならないはずだ。冒頭から前半にかけての「正義感」、そして中盤からラストにかけての「何が真実なのか分からない」という感じを、すべて違和感なく観客に提示出来なければ成り立たないからだ。

そしてまさにそれを、主演を務めたイザベル・ユペールが見事に成し遂げていると思う。

この女優、フランス映画を観ると本当に良く出てくる。僕が観たことあるのは、『エル ELLE』『ハッピーエンド』『EO イーオー』ぐらいだが(ってか、『EO イーオー』に彼女が出てるのは、今調べて初めて知った)、観る度にとんでもないインパクトを残す女優だと思う。今回は、黒縁メガネを掛け、どぎつい真っ赤な口紅をしているので、パッと見では同じ人物には見えないのだが、「以前からインパクトのある役を演じてるあの女優だよなぁ」と途中から思った。そして、やはりそうだった。

彼女が本当に見事な演技をする。彼女の無表情は、「権力に対峙する不屈さ」「静かな怒り」「思いがけない戸惑い」など、様々な感情を表現する。そしてその存在感が、「このような経験を経て、このような状況に置かれる人物も、確かにいるだろう」というリアリティを生み出しているのだと思う。これだけの雰囲気を醸し出せる役者は、そうそういないのではないかと思う。本当に見事な演技だった。

映画の中で非常に印象的だったのが、「よき被害者」というフレーズである。勝手な予想だが、おそらくフランス(あるいは欧米)ではよく使われる(あるいは「使われ得る」)表現なのだと思う。正直、日本ではまず出てこない表現だと思う。

「よき被害者」というのは要するに、「被害者として相応しい人物像」みたいな意味で捉えればいいだろう。例えばとても分かりやすいイメージを提示すると、「レイプの被害者が風俗で働いた過去がある」場合、「『よき被害者』ではない」と見做される、みたいな感じである。「『被害者』として、瑕疵がない」と言えばいいだろうか。そのような意味として「よき被害者」という言葉が出てくる。

日本では「よき被害者」という言葉はきっと使われないと思うが、しかし感覚としては理解できるはずだ。これは決して「被害者」に限らず、あらゆる「弱者」に当てはまる。「生活保護を受けているのに~」「障害者なのに~」というように、社会が勝手に「よき弱者像」を設定し、そこから外れると「相応しくない」と非難する。マジョリティがイメージ可能な「ステレオタイプ」だけが受け入れられ、それ以外は「存在すべきではないもの」として扱われるような状況は世の中に多々存在するはずだ。

映画では、まさにこのような状況に焦点が当てられていくことになる。

「普通じゃない」とか「相応しくない」みたいな言葉が僕は嫌いだし、出来るだけ使わないように意識しているが、そういうことを何の抵抗もなく、何の躊躇もなく口に出来てしまう人も世の中にはいる。もちろん、「ステレオタイプ」通りに振る舞えて、マジョリティから疑問なく受け入れられる方が、「社会で穏やかに生きていく」という点ではいいかもしれない。しかし、誰もがそう出来るわけではないし、なんなら、何らかの理由で「病院」「事件」「裁判」などに関わらざるを得ない人たちほど、そんな風には出来ない人が多いとも言えるかもしれない。

そのことを、「普通」「相応しい」人たちは理解すべきだろう。

僕も、「普通」「相応しい」側にはいられない人間なので、この映画で描かれる「よき被害者」の周囲にいる人間の多くに苛立ちを覚えてしまう。もちろん彼らにも彼らなりの理屈があるし、社会では「何かで線を引かなければならない」わけで、その境界線上でややこしさに巻き込まれてしまう人をゼロにすることは出来ない。それは理解しているつもりだが、それにしても、「ちょっと違うんじゃないか」という感覚を抱かずにはいられなかった。

さて、映画を最後まで観た上で、この映画のメインビジュアルを改めて観ると、「ちょっとそれは違うんじゃないの」と感じてしまう。ポスタービジュアルになっているのは、映画の冒頭で描かれる場面だ。モーリーンが、アレバ傘下の子会社であるハンガリーのパクシュ原発の女性従業員たちに、雇用条件に関して雇い主と交渉することを伝える場面が使われている。

確かにこの場面は、「モーリーン・カーニーという女性がどのような人物なのか」を的確に表していると言えるが、しかし、物語全体を的確に表現できるとはとても言えないと思う。このメインビジュアルの場合、描かれている本当のテーマはまったく見えてこないので、一定数の「潜在的観客」を取りこぼしてしまうように思う。

映画の内容をまったく知らずに鑑賞したい僕としてはむしろ良かったと言えるが、僕はこの映画は広く観られるべきだと思っているので、そういう意味ではかなりマイナスと言えるだろう。なにせ、公式HP等で、中盤以降の物語の展開についても触れているのだ。だったら、もっと映画全体のテーマ性が色濃く出るようなビジュアルにした方が良かったのではないかという風に感じる。

あとこの映画、とにかく上映館が少なすぎる。この文章を書いている10月25日時点で全国でたった5館。10月20日から日本での公開が始まったことを考えると、ちょっと少なすぎるだろう。順次公開されていくようだが、今後の予定を含めても東京でたった3館、多くの都道府県ではそれぞれ1館ぐらいでしか上映されない。主演のイザベル・ユペールはかなり著名な役者のはずなので、彼女が主演の映画であればもう少し公開館があってもいいように思う。だから、余計な邪推をしたくもなってしまう。

原発が扱われているから、特に大手の映画館は手を出したくないのだろうか、と。この映画には、企業の役員や大臣などが実名で登場し、しかも特に原子力発電会社アレバの上層部は悪く描かれるため、「関わらない方が無難」みたいな理由で上映館が増えないのかもしれない。

あくまでも僕の勝手な想像でしかないのだが、しかしもし仮にそうだとしたら、「原発」というのは正直本来的なテーマではないので、そういう意味でもこの映画は「損している」と感じる。もっと普遍的で、世に問うべきテーマが扱われているのに、その舞台となっている「原発」の存在が別の意味で巨大すぎるため、それが足かせになっているのだとしたらちょっと本末転倒感はある。

そう考えると、主演がイザベル・ユペールであることはまだ救いだと言えるだろう。彼女の知名度で「観よう」と思う人が一定数いるだろうからだ。個人的には、結構観てほしい映画である。

さて、全体を貫くテーマと関係ないと言えなくもないが、映画の中では「女性であること」を嘆く場面が度々ある。「男性には能力は求められない」「彼らは許さない。特に女性は」のようなセリフが出てくるのだ。なんとなく、フランスという国に対して「男女平等が広く行き渡った国」という印象があるのだが、やはりそれはイメージでしかないのだろう。

そういう状況下で、巨大権力とも闘う女性の奮闘を描く物語であり、中盤以降の思いがけない展開から、「よき被害者」という言葉の陰に隠された「凶器(狂気)」のようなものも実感させる物語だと思う。

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