【映画】「ピンク・クラウド」感想・レビュー・解説

『この作品は、2017年に脚本が書かれ、撮影は2019年に行われました。
現実との類似は、偶然である。』

映画の冒頭、このように表記される。

確かに、そう表記したくもなるだろう。何故ならこの映画、まさに「コロナ禍」を予言したかのような作品だからだ。

ある日、世界中で「ピンクの雲」が目撃される。その雲は、触れたら10秒で死ぬこと以外、何も分かっていない。ある日、警報が出され、そのまま人々は数年間も、家から一歩も出られない生活を余儀なくされる。生活に必要なものは、ドローンによる配送で行われるが、人間の行き来は一切無し。人々は、建物の中に閉じ込められてしまった。

という設定の物語だ。まさに、「コロナ禍」を受けて制作されたとしか思えない作品だ。しかし実際には、世界中でコロナウイルスが蔓延する以前に、映画の撮影は終わっていたのだ。

映画を観ながら僕は、「監督は一体、この映画をどういう物語として受け取ってほしかったのだろうか」と考えていた。

「コロナ禍」を生きる私たちにとって、この『ピンク・クラウド』という映画は「現実の延長線上にあるもの」としか受け取れない。しかし、「コロナ禍」以前に「SF作品」として構成された。本来であれば、今日私が受け取ったような捉えられ方を想定していなかったはずだ。

図らずも、圧倒的なリアリティを獲得することになってしまった映画は、「人間の分かりあえなさ」を浮かび上がらせている。

メインで描かれるジョヴァンナとヤーゴは、元々は一夜の関係を共にしていただけの他人だったが、そのままどちらかの家(作中では、あまり具体的に状況が説明されないため分からないことが多い)に監禁状態となる。その後2人は子どもをもうけ、夫婦として生活していくことになるが、お互いの性格がまったく異なっている。

ジョヴァンナは、かなり悲観的な性格として描かれる。SNSやニュースの情報を日々チェックしては、状況の変化が日常にどのような影響を与えるのか、悪い方向に考えてしまう。一方のヤーゴは、かなり楽観的だ。家から出られない状態が数年続いてもなお、「なんとかなるさ」というスタンスを崩さない。

恐らく、楽観的な者同士の組み合わせは強いし、悲観的な者同士の組み合わせはかなり危険だという想像はできる。じゃあ、楽観的な者と悲観的な者の組み合わせは? これは、なかなか一筋縄ではいかない。

大きな問題は、「現実的に取れる選択肢がかなり限られている」ということだ。平時であれば、楽観的な人間の「なんとかなるさ」は、「選択肢の多さ」に支えられていると思う。何か悪いことが起ころうが、選択肢はたくさんある。状況が悪化した時に、その時点で目の前にある選択肢のどれかを選べばいい、というスタンスは、まあ分からないではない。僕自身は結構悲観的な人間なので、楽観的な人間の思考についてはあくまでも想像でしかないが、まあ理解できなくはないという感じだ。

しかし、一切外出できない状況においては、選択肢そのものの数が激減していると言っていいだろう。つまり、平時なら「なんとかなる」と言える状況であっても、部屋に閉じ込められている状態では同じことが言えない可能性が高い、というわけだ。しかし、それにも拘わらず、平時と同じであるかのように「なんとかなる」というスタンスを崩さないことに、ジョヴァンナと同じく悲観的な人間である僕としては違和感を覚えた。

かといって、ジョヴァンナに共感できるのかというと、そうとも言えない。

印象的だった場面がある。ジョヴァンナとヤーゴが口喧嘩する場面だ。喧嘩のきっかけは些細なことだったが、次第に「息子リノ」の話になる。ヤーゴは、「生まれた時からこの環境で暮らしているんだから、別に大丈夫だ」という。確かに、観客に提示されている情報だけを考えれば、リノは別に大丈夫に見える。しかしジョヴァンナはそうは考えない。その理由の1つとして、「私たちが死んだらどうなるの?」と反論する。「死体の処理は、きっと、溶けるまで薬品を掛けるのよ。そんなことをしてリノの心がおかしくなるかもしれないじゃない」というのだ。これに対してヤーゴは、言葉での反論は無意味と考えたのだろう、「大丈夫だ」と答えたきり、皿洗いに戻る。

ジョヴァンナとしては、極端な可能性を提示することで、「もう少し真剣に考えてほしい」「私の悲観的な気持ちにも寄り添ってほしい」という想いを込めていたのかもしれない。しかし、そうだとしても、客観的に見てジョヴァンナのその想いは通じるものではないだろう。

もちろん観客は、「数年間も家から出られない生活」をなかなか想像することはできない。ただ、パンデミック初期にかなり厳しい外出制限を経験した私たちは、たった数ヶ月ではあるが、似たような経験をした。それが、数年も続くのだ。容易には想像できないが、尋常ではない環境だということは理解できるだろう。

だから、ジョヴァンナが「崩壊」してしまうのも、致し方ないように思えてもくる。この辺りの感覚はなかなか難しい。共感できるわけではないが、否定しきれるわけでもない。

このように、外的状況の変化によって、「人間の内心の底の底」が炙り出される、みたいなところが、映画の見どころであるように思う。

ジョヴァンナとヤーゴ、リノの3人以外の登場人物は、ほぼすべて「オンライン」での会話として登場する。友人宅に遊びに行っていて閉じ込められたジョヴァンナの妹(ってか妹だったのか。姪かなんかだと思ってた)。看護師と共に閉じ込められたヤーゴの高齢の父親。自宅に1人きりで数年間の監禁生活を過ごしているジョヴァンナの親友。彼らとオンライン上でやり取りする過程も、様々な厳しさがにじみ出るものだった。

一番印象的だったのが、ジョヴァンナの妹とのやり取りだった。妹は友人宅にいるため、数年間も居候みたいな状態にある。「他人の家で暮らしている」みたいな引け目みたいなものが、最初は滲み出ていたように感じた。しかしある時、ジョヴァンナも驚くような変化が垣間見える。それについて具体的には触れないが、「『ピンクの雲』は無くならない」という覚悟を決めたからこその変化に感じられた。良いか悪いかはともかく、「『ピンクの雲』は無くならない」と考えるのであれば、そのような気持ちの変化も仕方ないものであるように感じられた。そうする以外に、選択肢がないんだもんな。

「ピンクの雲」みたいなものはきっと出て来ないと思うが、「人類が長期間屋内退避を迫られる事態」は起こってもおかしくはない。コロナウイルスのパンデミックで、誰もがそのような想像と共にこの映画を観るだろうと思う。現実には、この映画のような状況は成り立たないだろう。誰も外に出られずに、どうやって食料品・生活用品・医薬品などを作っているのか。電気・ガス・水道などのインフラをどう維持しているのか。その辺りのリアリティは無い。

しかし、その辺りのリアリティよりも、「閉じ込められた人間がどう変化するか」に焦点が当てられているわけだし、そういう意味でこの作品は強いメッセージを突きつけているように思う。

しかしホント、これが2019年に完成していたというのが凄いと思う。

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