【映画】「桜色の風が咲く」感想・レビュー・解説

映画としてどうかと聞かれると、「凄く良い」とは言い難いのだが(別に悪くはない)、やはり「福島智」という人物に関する「事実の強度」が異様に強いので、やはり感情が揺さぶられる。よくもまあ、こんな生き方が出来たものだと感心させられる。

福島智という人物のことをいつ知ったのか覚えていないが、初めて知った時は衝撃を受けた。なにせ、「目が見えず、耳も聞こえないのに大学を卒業し、東京大学の教授になった」というのだ。普通に考えて信じられる話ではない。これは世界的にも異例のことであり、「全盲ろう(目も見えず、耳も聞こえない人のこと)で常勤の大学教授になった世界初の人物」だそうだ。日本では福島智が「全盲ろうで初めて大学に進学した人物」であるそうだ。

そして、そんな福島智を支え続けた母も凄い。

僕は以前、何かの美術展で「福島智の母親が生み出した『指点字』」についての展示を見たことがある。その時まで「指点字」なんて存在について知らなかった。

通常、「展示」を打つ際には、一穴一穴人力で打っていくことも可能だが、「点字を打つための機械」も存在する。両手の指を機械に乗せ、打ちたい文字に合わせて「タイピング」すると、点字が完成するというものだ。

そして「指点字」とは、そんな「点字を打つための機械」上での指の動きを、全盲ろう者の指の上で行うものだ。全盲ろう者に点字の知識があり、「点字を打つための機械」を自身でも使ったことがあれば、押された指の感触から「点字」として他者の言葉を理解することができる。

この「指点字」を、福島智の母親が生み出したのだ。映画の最後には、「母親が生み出した『指点字』は、多くの人の”言葉”となっている」と表示された。シンプルと言えばシンプルだが、それまで誰も思いつかなかった「指点字」は、福島智だけではなく、同じ境遇を持つ様々な人の救いにもなっているというわけだ。

親子揃って、とんでもない人物なのだ。

さて、僕が映画を観る前に知っていたのは、ここまで書いてきたような事実だけだ。そしてこの映画では、福島智の幼少期から、大学合格までを描く作品である。

両親と兄2人の5人で兵庫県に暮らす福島家。どこにでもいる、普通の家族だった。

異変が見つかったのは、ある年の正月のこと。まだ幼い智の目が赤くなっているのを父が見つけたのだ。母・令子は、正月は病院やってないだろうから、正月明けてまだ赤かったら病院に連れていきますと夫に伝える。

正月明け、町医者に見せると、「どうしてすぐに来なかったのだ」と言われ、県立病院を紹介される。担当する医師は、「困りますよ、お母さん。ここは町医者じゃないんですから」と、横柄さを隠そうともしない態度で接する。しかし令子は、医者の言うことだからと、先生の言う通りに治療を行う。

ある日、いつもの先生が忙しいからと、別の先生が担当してくれた時、「もしかしたら、牛眼かもしれません」と、それまでの診断とは異なることを言われる。すぐに検査・手術と行われるが、結果として智の片目の視力は完全に失われてしまった。

義眼を嵌めながら、それでも毎日元気に過ごす智だったが、やがてもう一方の目の視力も衰え始めていく。智は、病室で知り合った全盲のおじさんから点字を習うなどしながらも、「別に目を諦めたわけじゃない」と元気に言ってのける。

しかしその後、残念ながら視力はすべて失われてしまった。それでも智は、「自分には耳がある」と前向きだ。東京にある、全盲者を受け入れる高校へと進学し、仲間たちと日々を過ごしながら、落語と本ばかりの日々を過ごす。

しかし、友人からの指摘で、耳の調子も悪くなっていることが分かり……。

というような話です。

随所で、「自分だったらどうするかなぁ」と考えさせられた。ちょっとやっぱり、想像が及ぶ世界ではない。智自身もある場面で母親に、「想像できんのか?」と八つ当たりしてしまう。たった1人で宇宙に放り出されたような絶望をイメージすることは難しい。「この苦しみは、僕にしか分からない」という言葉は、本当にその通りだと思う。

映画の中で印象的だったのは、吉野弘の「生命は」という詩が2度語られること。ネットで調べると全文を写した個人ブログとか出てくるが、たぶん著作権違反だと思うのでリンクは貼らないでおこう。

その詩の中に、こんな文章がある。

【生命は その生に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ】

これは凄く良いフレーズだと思った。「人は一人では生きられない」と同じ意味だが、使い古されて擦り切れたその定番フレーズを、ちょっと違った視点から捉える発想が見事だ。

要するに、「生命というのは、単体では必ず『欠如』を有するものであり、その『欠如』を満たしてもらう他者の存在を必ず必要とする」という意味だ。なるほど、と思う。どんな個人も「完璧な存在」にはなれないのだし、誰が誰にとっての「欠如を満たす存在」になるのか分からない。誰もが、誰かの「欠如を満たす存在」に成り得るというわけだ。

智がある場面で、こんな決意を口にする場面がある。

【自分がこんな風になったのは、こういう僕じゃないとできないことがあるからやないかな。
生きる上での使命があるのなら、それを果たさなければならない。
そして僕の使命は、この苦しみがあってこそ成り立つ】

この言葉は、それより以前に智が口にしたある言葉と響き合っている。それがこれだ。

【「人は乗り越えられる者にしか試練を与えない」とかよく言うやろ。あの言葉、嫌いやねん。試練とか要らんねん。】

絶望の手前でなんとか踏みとどまろうとしていた智は、こんな風に考えていた。そして、やはり絶望に突き落とされてしまった後、「脳みそが透明になるくらい考えた」結果、先のような結論に至ったという。

「思索は君のためにある」と友人から言われた智は、自分には考えることができる、言葉があると勇気づけられる。そして、大学への進学を決意し、先駆者となっていくのである。

とにかく、福島智という人間の凄まじさと、母・令子の尋常ではない奮闘に、圧倒される物語だった。

あとやっぱり、リリー・フランキーはいけ好かない役を絶妙に見事に演じるよなぁ、と思う。素晴らしい。本当にイラッとしてしまう(笑)

あとこの映画、「PG12」なんだけど、なんでだろう? 義眼を外すシーンがあるから?未成年って設定でビールを飲むシーンがあるから? ちょっと謎だった。

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