【映画】「胸騒ぎ」感想・レビュー・解説

いやー、これはダメだろう。ダメだよ、こんなん。これが成立するんだったら、何でもありやん。

というような話をしたいと思う。

映画を観ながら頭に思い浮かべていたのは映画『ぼくのエリ』である。作品のタイプとしては別に似ているというわけではないが、「狂気的な状況を描いている」という点は共通しているし、北欧発のホラーでもあるので、ちょっとこの作品との比較で本作『胸騒ぎ』の話をしたいと思う。

映画『ぼくのエリ』は、本作とは比べ物にならないぐらい凄まじく狂気的な状況が描かれているのだが、しかし作品としてはメチャクチャ成立していたと思うし、物凄く面白かった。

もちろんそこには様々な理由があるとは思うが、本作との比較で重要なポイントとしては「必然性」を挙げることができるだろう。

映画『ぼくのエリ』には、「狂気であること」の必然性があった。もちろんそれは、作品内の世界でしか通用しない(いや、作品内の世界でも通用しない)が、しかしそれでも、理屈としての必然性はあったと言える。ヤバいぐらいの狂気だし、とても受け入れられるようなものではないが、しかし「切実な必然性がある」ということが伝わる作品なので、作品としては十分成立していると思う。

しかし、本作の場合はそうではない。僕は本作から「必然性」を感じることが出来なかった。

もちろん、「『必然性』を描かないことによって、一層『狂気』や『恐怖』を倍増させることが出来る」という見方も可能ではある。「理由がわからなすぎる!」からこそ感じられる狂気もあるだろうし、貞子のように「生理的に訴えかけてくる恐怖」もあるだろう。だから必ずしも「必然性」が無いからと言って作品が成立しないとは言えない。

しかし本作の場合、「恐怖の厳選」が後半の急展開にしか存在しないというポイントがある。

本作はとにかく、冒頭から「スカし続ける」作品だ。「何か起こりそう」みたいな雰囲気は、あらゆる場面でバンバン醸し出される。映像的にも、「ここから何か起こるぞ」みたいな予感を放つような構成になっている。しかし、何も起こらない。本作の邦題である『胸騒ぎ』は、作品の性質を実によく表現していると言えるだろう(余談だが、原題の英題は「Speak No Evil」であり、これは「See no evil ,Speak no evil ,and Hear no evil(見ざる、言わざる、聞かざる)」という諺の一部だそうだ。作品を最後まで観ると、この英題の方が合っている感じがする)。

観ている側は、「何か起こりそうなのに起こらない」という形で肩透かしさせられ続ける。この辺りの描写に「狂気」や「恐怖」を感じさせるものがあるなら、「ホラー作品」としての全体のバランスも取れたかもしれないが、本作ではそうではなく、「恐怖」は基本的に「最終盤の展開」のみによって生み出されていると言える。

そしてだからこそ、その「最終盤の展開」に「必然性」が感じられないと、「そんなんでいいのか?」という感覚になってしまうのである。

マジで、こんな形で「狂気」を描くことが成立するなら、どんな物語だって成立するだろう。「ムチャクチャな奴らがムチャクチャやってるだけ」なんだから。ちょっと僕には、あまりにも「必然性」が足りなすぎると感じたし、個人的には物語としてちょっと成立していないと感じた。

状況や背景は、最後まで観てもはっきりとは描かれないが、まあ大体想像は出来る。ただやはり、「必然性」が見えないせいで、その想像もちょっとぼんやりしてしまう。特に、個人的に一番しっくり来ないのは、「結局何故彼らを招待したのか?」である。いやもちろん分かるが、だとすると彼らは、「招待した時点でああするつもりだった」ということになるはずだが、そういう解釈で合ってるのか? その辺が、どうもしっくり来ないんだよなぁ。まあこういう「怖がらせる系」の作品に理屈を求めてはいけないのかもしれないけど。

個人的にはちょっと「うーん」って感じの作品だった。「違和感の積み重ね方」がメチャクチャ良かっただけに、最終盤の展開をどう捉えるかで作品全体の印象が大きく変わる作品だろう。僕には、「これはダメだろ」という感覚の方が強かった。予告がとても面白そうだったので、ちょっと残念だった。

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