【映画】「レザボア・ドックス」感想・レビュー・解説

さて、クエンティン・タランティーノ監督作品、鑑賞2作目。初めて観た『パルプ・フィクション』はイマイチ面白さが分からなかったが、本作『レザボア・ドックス』はメチャクチャ面白かった。メチャクチャシンプルな設定なのに、物語の展開が絶妙で、上映時間は100分らしいのだけど、それよりもずっと短く感じられた。あっという間だった。

正直、冒頭の会話のシーンは、何の意味があるんだかさっぱり分からないやり取りだったが、「こういうやり取りを普段からしている」みたいな雰囲気を醸し出すシーンだったのだろう。ここだけはちょっと退屈だった。

でもそれ以降は、とにかく構成が見事だった。いきなり、「後部座席に血まみれの男が乗った車を運転する」という場面になり、彼らがある倉庫に辿り着く。どうやらそこは「計画後に集合する予定になっていた場所」のようだ。しかし、何の計画なのか。冒頭で会話をしていた者たちは、ジョーという犯罪社会の大物の仕切りで強盗で行っていたのであり、そして明らかにそれに失敗しているのだ。名前は後に分かるが、車を運転していたのが「ホワイト」、撃たれたのが「オレンジ」である。彼らは本名では呼び合わず、それぞれ色の名前をつけられている。

そこに「ピンク」がやってくる。冒頭の会話では、「ウエイトレスにチップを払うなんて不合理だ」とごねていた男である。彼はとても饒舌で、しかも頭も回るようだ。彼はすぐさま、「仲間の中に裏切り者がいる」と理解した。というのも、彼らが宝石店を襲ってすぐに警察がやってきたからだ。普通に考えれば、警報装置が作動してから警察の到着まで4分は掛かる。しかし今回は、宝石店の襲撃とほぼ同時に警察がいた。誰かが裏切り者に違いないというわけだ。ちなみに、「ピンク」も警察に追われたが、どうにか宝石を持ち帰り、安全な場所に隠したと言っている。

しかし、彼ら3人だけでは話が進まない。ジョーに連絡する手段もないし、”仕事”が終わったらここに集合するはずになっているのに他に誰も来ない。「オレンジ」は意識を失ったため、しばし「ホワイト」と「ピンク」がお互いの見解を話しつつ状況を整理しようとする。

そこに、「ブロンド」が戻ってくる。「ホワイト」と「ピンク」は彼に怒り心頭だった。というのも、「ブロンド」がいきなり銃をぶっ放したことで、状況が一層混沌としたからだ。2人は「ブロンド」を問い詰めるが、彼は「警報装置を鳴らされたから仕方ない」と動じる気配もない。

そんな「ブロンド」が2人に、「俺の車まで来い。面白いものを見せてやる」と言い……。

というような話です。

観客としては、最初の会話のシーンが終わった後ですぐ、「何がどうなっているのか分からない状況」に放り込まれる。そして、「ホワイト」「オレンジ」「ピンク」の会話によって、一通りの状況を理解するのだ。まずこの構成が上手いと思う。

本作はクエンティン・タランティーノの監督デビュー作であり、舞台の9割が倉庫とその周辺という、「低予算で作られていることが分かる作品」だ(ただウィキペディアによると、それでも90万ドル(あるいは120万ドル)も掛かっているらしく、映画制作には金が掛かるんだなぁ、と感じた)。恐らく予算の制約から、出来るだけ倉庫内で話が完結するように脚本を作ったのだと思う。

ただ、とにかくそれがとても上手く処理されているので、会話だけで展開していても全然話が理解できるし、面白い。

その後、彼らが警察から逃げた際の様子や、計画前のやり取りなどが回想シーンのような形で挿入され、状況全体がより理解できるようになっていく。それでいてやはり、基本的には「倉庫内での仲間割れ」みたいな話が物語の本筋であり、そこの緊迫感やストーリー展開なんかはとても見事だなと思う。

まあ正直、「面白い映画を観たなぁ!」以上の感想は特にないのだけど、観れて良かった。

冒頭の会話で、マドンナの『ライク・ア・ヴァージン』という曲の解釈について、「ブラウン」(タランティーノが演じている)が凄まじい解釈をしている。日本語訳すると「処女のように」という歌なのだが、「ブラウン」はこの曲を、「めちゃくちゃヤリマンの女が、めちゃくちゃデカチンの男とセックスをしたら、処女のように痛かった」みたいな解釈をする。で、ウィキペディアによると、この曲の解釈について、タランティーノは後にマドンナ自身からダメ出しをされたそうだ。まあそうだろう。ただ、タランティーノのデビュー作であることを考えると、タランティーノ自身、後にマドンナと直接会うような機会が来るとは、つまり、自分がそれほど映画監督として評価されるとは思っていなかったのかもしれない。

面白い映画だった。

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