【映画】「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」

女性が強い、というのは、良いことだと僕は思っている。

歴史の大きな流れで見れば、男性と女性は以前に比べたら平等に近づきつつあるだろうが、やはりまだまだ社会の中で女性の権利というのはうまく確保されていない。歴史を遡れば遡るほど、その傾向が強くなっていく。

そういう社会の中では、女性はなかなか強く振る舞うことが出来ない。強く振る舞えないから、余計に権利が確保されない。そういう悪循環に陥ってしまう。

本当に、男性と女性が平等な社会が実現されているのであれば、別に女性が強くある必要はない。性差に関係なく、強い人は強ければいいし、弱い人は弱ければいい。ただ、まだまだ世の中は男性優位だ。だからこそ僕は、女性が強くあって欲しい。男性優位の社会の一パーツである僕がそんなことを言う権利はないだろうけど、主張し、行動し、闘う女性というのは、世の中にたくさんいて欲しい、と思うのだ。

今若い世代の人と喋っていると、自分をうまく認められないと感じている人が多いように思う。もちろん、それは世代によらず、どんな世代にも一定数いるのだろう。僕も、まあそういう人間だった。でもなんとなく、僕より下の世代は、よりそういう傾向が強いように感じられる。自己肯定感が、非常に低いような気がするのだ。

自分にどんな価値があるのかを自分で判断することは、とても難しい。それは、その人個人の判断ではあり得ないからだ。どんな時代のどんな社会の中に生きているのかによって、充実しているものや足りないものは変わってくるし、そういう中で、自分の内側から出せるものが、世の中にとって足りないものであると、そこに価値が見出されることになる。何をするかではなく、それが世の中の不足を補うのかどうか、ということに、自身の価値は大きく左右されてしまうのだ。

だから、生きている間には評価されなかったことが死後評価される、などということも起こる。したことは、生前と死後で変わっていないが、世の中の不足の方が変わったのだ。

だから、自分にどんな価値があるのか、という問いに悩むのは、あまり意味がない。結局それは、自分ではどうにもならない事柄を解決策として持ってこなければならないからだ。

自分に価値があるかどうかに関係なく、自分が何をするのか、ということが大事だ。もっと言えば、自分が何をしていれば満たされると感じるか、こそが大事なのだ。


自分にとって大事なものがきちんと分かっていて、それを自分の行動によって生み出したり維持したり出来れば、それは幸せな人生だろう。自分にとって大事なものが分からなかったり、分かっていてもそれが他人の行動によってしか生み出せないものであれば、幸せだと感じ続けることは難しくなるだろう。

強さというのは結局、自分を認めるところからしか始まっていかない。僕も、その難しさを常に意識している。

内容に入ろうと思います。
モードは、リウマチにより手足に多少障害がある。兄・チャールズが母の家を売り払ってしまい、モードはアイダおばさんの家に住むことになった。チャールズがモードのためにもってきた荷物は、僅かな絵筆だけ。モードは、絵を描く人なのだ。
アイダから快く扱われていないモードは、町の雑貨店で買い物中、一人の男性を目にする。彼は、家政婦を探しているそうで、雑貨店の壁に求人票を貼っていった。モードはその紙を持ち帰り、後日その、エベレットという魚売りの元を訪ねた。
一度は追い返されたモードだったが、その後住み込みで働くことになった。モードをただの使用人のように厳しく扱うエベレット。彼はこの家の序列が、「俺→犬→ニワトリ→お前」だと伝え、モードを追い込んでいく。
モードも、啖呵を切っておばさんの家を飛び出した手間、帰る場所がない。エベレットに厳しい扱いを受けながらも奮闘するモードは、しばらくして彼の家でペンキを見つける。彼に許可を取らずに壁に絵を描くモードは…。
というような話です。

モードというのは実在した(する?)画家で、カナダで最も有名な画家、と呼ばれているそうです。この映画がどこまで事実を元にしているのか、それは分からないけど(映画を見ているとよく、「この映画は事実に基づく」みたいな表記が出てくることがあるけど、この映画にそれはなかった)、基本的に事実通りなのだとすれば、有名になってからも非常に質素な生活ぶりで、ただ絵だけ描いていられればいい、という生活だったようです。

『私は多くを望まないから、絵筆が目の前にあれば幸せなの』

しかし、映画を見る前のイメージとは大分違いました。僕は勝手に、モードというのは「弱い女性」だと思っていたのです。リウマチによって手足に障害があり、また生涯ほとんど旅行もせずに絵だけ描き続けた、というような事前情報から、障害によって気弱になり、誰かの庇護の元、絵を描き続けるしかなかった女性なのだな、という勝手なイメージを抱いていました。

この映画で描かれていたモードは、そんな僕の先入観をひっくり返す人物像でした。基本的に自分の主張をはっきりして、臆することがない。許可を取らずに色々やり、怒られてもめげない。そういう「強い女性」でした。そして、モードのその強さが、非常に気持ちよかったです。映画館で見ましたけど、観客がモードの気の強さが現れる場面で結構笑っていたのが印象的でした。確かに「痛快」と称したくなるような振る舞いで、良かったです。


モードのような生き方は、幸せだろうなと思います。もちろん、辛いことがたくさんあることは分かっています。そもそも兄やおばさんに邪険に扱われているし、エベレットにも最初はかなりきつく当たられていました。物語の終盤で明らかにあるある事実も、モードを打ちのめしたことでしょう。それでも、モードは幸せだろうなと思うんです。それはさっき書いたように、自分にとって大事なものがちゃんと分かっていて、それを自分の生活の範囲内で生み出せるからです。絵筆さえあれば幸せ、というのは恐らく誇張ではなくて、本心でしょう。あんな風に生きられたらいいだろうな、と思います。

エベレットも、なかなか魅力的な描かれ方をしていました。最初こそ、マジでこいつクソだな、と思っていましたけど、徐々に、なるほどツンデレなんだな、と思うようになってきました。エベレットは、マジでツンデレですね。どんどんと、可愛さが増していく感じがしました。

特別なことは何も起こらないけど、偶然とお互いの努力によって、交わるはずのなかった二つの人生が、撚り合ってさらに太くなり、お互いがかけがえのない存在になっていく―そういう過程が描かれていく物語で、静かで淡々とした中に、力強い佇まいを感じさせる映画だったと思います。

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