【映画】「シン・ウルトラマン」感想・レビュー・解説

さて、なかなか評価の難しい作品だ。

僕の率直な感想は、「面白かったけど、人に勧めるのは躊躇するなぁ」という感じである。

まずは「躊躇する理由」から書いていこう。それはシンプルに、「そこはかとなくダサい」からだ。

映画は全体的に、「ダサさ」に溢れている。先に書いておくと、この「ダサさ」は恐らく、「ウルトラマンが好きな制作陣による『リスペクト』」なのだと思う。私はそもそも「ウルトラマン」という作品にほぼ触れたことがないので、作品としての「ウルトラマンらしさ」や、キャラクターとしての「ウルトラマンらしさ」のことはまったく分からない。ただ、昭和の作品であること、「人形の着ぐるみ」によって撮影されていたこと、CGの技術など当然なかった時代の作品であることなど、「ウルトラマンらしさ」を支える要素は必然的に、現代的な観点からすれば「ダサい」という感覚になってしまう。

現代作品として成立させるための工夫を様々にしつつ(後で触れるつもりだが、「アングルの面白さ」はそんな工夫の1つだろう)、「ウルトラマンらしさ」をギリギリまで詰め込んでいるわけだが、それでもやはり全体として「ダサい」という受け取り方はなかなか避けがたいと思う。

恐らくだが、ウルトラマン世代の人たちであれば、僕が「ダサさ」として受け取った様々な要素を「懐かしい」と肯定的に捉えるのだと思う。ただ、ウルトラマンを直接的に知らない世代には、どうしても「ダサさ」として受け取られてしまうのではないかという気がするのだ。

僕は『シン・ゴジラ』も観ているが、同じく昭和作品である「ゴジラ」を扱いながら、『シン・ゴジラ』では、「非常に現代的でリアリティのある設定」の中に「ゴジラ」が絶妙に溶け込んでいたと僕は感じた。「官僚の仕事の煩雑さや、政治の判断の遅さなど、非常にリアルな設定において政府が怪獣に立ち向かう世界」に「ゴジラ」という非リアルな存在がさほど違和感なく組み込まれていたと思うのだ。

しかし、『シン・ウルトラマン』では、同じように「政府がリアルな設定の中で禍威獣と立ち向かう」という世界を描きながら、その中に「ウルトラマン」の存在は馴染めていない。勝手ながらその理由を考えると、やはりそれは、ウルトラマンが「人型」だという点にあるのではないかと思う。「人型」という制約を絶対的に無視できない以上、造型・動きなどに極度に制約が掛かる。その制約の中で、「ウルトラマンらしさ」も残したいわけだから、余計に条件が厳しくなるだろう。

恐らくだが、『エヴァンゲリオン』のエヴァも、アニメだから成立するのであって、同じく人型であるが故に、実写となったら、やはりそのリアルな世界には馴染めないのではないかと思う。

そんなわけで、「『ウルトラマンらしさ』を残しながら、リアルな世界の中に違和感なく溶け込ませる」というのはどうしても不可能なことであり、否応なしに「ダサさ」として認識されてしまうのではないか、というのが僕の考えだ。

僕は映像作品を観る時に、さほど「映像」を重視しない。はっきり言って、「話が面白ければいい」というタイプなので、映像から「ダサさ」を感じてもさして問題はない。ただ、やはり世間的な意見としては、「映像作品であれば、『映像の良さ』が大事だ」という人は多いと思うし、周りの人からもそういう話を聞くことがある。そして、そう考えた時、果たしてこの作品を勧めるのが正解なんだろうか、と感じてしまったのだ。

だから、人には勧めにくい。

さてでは、面白かった話に移ろう。

僕は、『エヴァンゲリオン』や『TENET』みたいな、ゴリゴリに設定を詰め込みまくった頭使う系の作品が結構好きで、そういう意味でこの『シン・ウルトラマン』も楽しめた。

先程も書いた通り、本家本元のウルトラマンの設定をまったく知らない。なんとなく知っていることを書くと、「3分間しか活動できない」「人間がウルトラマンに変身する」「M78星雲と何か関係がある」ぐらいだろうか。あと、「スペシウム光線」など、聞いたことあるよな的な固有名詞もいくつかある、という感じ。

なので、『シン・ウルトラマン』で描かれる設定が、どこまでオリジナルを踏襲しているのかは不明だ。

とにかく『シン・ウルトラマン』では、「ウルトラマンがなぜ地球にいて、なぜ禍威獣と戦うのか」という背景が、物語の展開と共に少しずつ明らかにされていく。

正直に言うと、「ウルトラマンがなぜ地球にいるのか」という部分はちゃんとは理解できていないのだが、ただ、物語のラストで語られる話から、映画冒頭のあのシーンはそういう意味だったのか、ということがちゃんと繋がって、なるほどという感じだった。

『シン・ゴジラ』では、「ゴジラがやってくる理由は不明だが、とにかく倒さなければならない」という官僚側の物語が主だったが、『シン・ウルトラマン』では、「ウルトラマンは何のために戦っているのか」に焦点が当たっている。なかなかに壮大な設定で、正直「地球にいるちっぽけな人間」程度にはなかなかその「危機感」さえリアルには実感できないレベルの状況なのだが、もしも本当に「宇宙に130億ほどの知的生命の種が存在する」のであれば、こんな展開が起こってもおかしくはないだろう。

『エヴァンゲリオン』や『TENET』ほど設定が複雑なわけではなく、ややこしい用語が大量に出てきて幻惑されるものの、そこまで難しい話ではない。そして、「ウルトラマンは、自身が知っている『遠大な世界』のことよりも、理解しようとして間もない『ちっぽけな世界』を守るために命を懸ける」という構図がシンプルすぎるほどシンプルに提示されるので、全体的に「良かった」という感想になる。

個人的に、「あぁ、なるほど、よく出来てるなぁ」と感じたのが、「肉弾戦を行う必然性」が描かれる場面だ。

ウルトラマンは、スペシウム光線や、光る円盤みたいなやつを投げたりと、飛び道具的な攻撃ももちろんあるが、やはりそれよりは、プロレスのような肉弾戦をやっているイメージが強い。

しかし普通に考えて、飛び道具があるのに肉弾戦をやる必要はない。本家のウルトラマンでは、CGの技術や予算の関係で、飛び道具的な演出よりも、「着ぐるみを着た人間同士が戦う」という方が現実的だったのだろうし、たぶんそういう理由から肉弾戦を行っていたはずだ。だから、「ウルトラマンらしさ」を出そうとして、何の説明もなくただ「肉弾戦」をやっていたら、それはどうしても「違和感」として伝わってしまう。

ただ『シン・ウルトラマン』では、「体内に放射性物質が充満した禍威獣」が登場し、「どんな形であれ、身体が爆発すれば、周囲に放射性物質が拡散し大惨事となる」ことが示唆される。それを理解しているウルトラマンは、スペシウム光線など出さず、相手の攻撃も避けるのではなくすべて受け止め、その上で「肉弾戦」によって倒そうとするのだ。もちろん、このシーンだけで、ウルトラマンの「肉弾戦」すべての「違和感」がなくなるわけでもないのだが、「リスペクトとして描き出したい『ウルトラマンらしさ』」にいかにして理屈をつけるかという努力が恐らくあちこちでなされているのだろうし、こういう形で制作陣の「愛情」みたいなものが垣間見えるのは個人的には好きだ。

あと、やはり特徴的なのは、この映画の「カメラアングル」だろう。元々、「スマホも駆使して撮影した」「役者にもカメラを持ってもらい、その映像を使用した」などの情報は観る前から知っていたのだが、思っていた以上に斬新なアングルが多く、これも個人的には面白かった。

もちろん、「この特徴的なカメラアングルが『シン・ウルトラマン』に不可欠なのか」と聞かれれば、まあ決してそんなことはないだろう。こういうアングルでなくても全然成立するだろうし、そういう意味では「余分」な要素だと言える。しかし先程書いた通り、『シン・ウルトラマン』は「ウルトラマンらしさ」を可能な限り詰め込んでいるが故に「そこはかとないダサさ」が醸し出されてしまっている。だからこそ、この斬新なカメラアングルは、その「ダサさ」をある種中和させるような機能を持っていると僕は感じた。そう考えるなら、この斬新なカメラアングルは「必要だった」と言えるのではないかと思う。

あと、「なぜ人間が巨大化してウルトラマンになるのか」という仕組みそのものは映画では説明されないが(というか、さすがにこれに理屈をつけるのは相当難しいだろう)、「そういう技術が存在する」ということを前提にして、あんなシーンをぶっ込んでくるとはと驚かされた。仕組みそのものは説明できないにしても、「そういう技術がある」という設定を物語の新たな展開として組み込んでしまうことで、理屈が説明されないことに目がいかなくなる。そんな意図があっての物語展開では恐らくないとは思うが、個人的には「上手いなぁ」と思った。

あと、『エヴァンゲリオン』もそうだが、『シン・ウルトラマン』でも「プランクブレーン」みたいな、ありそうで無い絶妙な単語を散りばめてくる辺り、リアルっぽくて面白い。映画に出てくる「余剰次元」という言葉は物理の世界に実際に存在するし、「プランク時間」「プランク長さ」のような表現もある。「ブレーン」というのも、実在こそ証明されていないが、ひも理論からの帰結でその存在が仮定されているものだ。

「余剰次元」というのは、「僕らは空間を3次元だと思っているが、実際には『僕らには感知できない空間次元』がもっとたくさんある」という考えから生まれた発想で、現時点では、確か「重力だけは余剰次元に染み出すことができる」とされていたと思う。そういう設定をそれっぽく絶妙に組み込んでいる感じは、理系の僕には面白く感じられるが、映像的には「なんのこっちゃ」という感じになってしまうのが難しい。っていうか、その「プランクブレーン」が関わるラスト付近のあの場面、あの映像で「正解」なんだろうか。やはり僕はこういう部分に、「そこはかとないダサさ」を感じてしまうのだよなぁ。

そんな感じの映画だった。

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