【映画】「灼熱の魂 デジタル・リマスター版(2回目)」感想・レビュー・解説

『灼熱の魂』、2度目を観に行ってきた。同じ映画を2度観ることはほとんどないので、自分の中でかなり印象に残った作品だったと言っていい。

1度目の感想はこちら

1度目はとにかく、「何が展開されているのかまったく分からない」という状況の中で130分の映画を観て、ラストの衝撃にガツンとやられ、改めて自分の脳内で構成や展開を振り返って、物凄くよく出来た作品だ、と感じた。

2度目は、物語をすべて理解した上で観ることになる。この映画は基本的に、観客に対する「親切な説明」がほぼ存在しないので、1度目ではまず拾えないだろう要素も多々ある。2度目、細部をこらして観てみると、改めてこの映画が「ラストの衝撃」だけに頼った作品ではなく、そこに至るまでの過程が実によく出来ていることに気付かされる。必要な情報が絶妙なタイミングで出され、しかし、「ラストの衝撃」を知らない者にはリアルタイムでその意味を理解するのが困難で、しかし「ラストの衝撃」まで辿り着くと、それまでのすべての情報がうわっと繋がっていく。そしてその上で改めて作品を見直すと、新たな発見が得られる。

やはり今回は、「足のアレ」を注意して見ていた。いくつかの場面で「足のアレ」は映し出されるが、しかし、「そうと知って見てもギリギリ見えるか見えないか」ぐらいの感じだった。ちなみに、「足のアレ」が重要になる場面では、ほぼ必ず映し出されるのに、ある場面ではそれは映らなかった。やはり物語の展開のタイミング的に、「ここではまだそれを示すことができない」という状況だったからだろう。

あと、1度目に観た時にはまったく意識されなかったシーンが、病室のベッドで横になるナワルが、公証人ジャンに耳打ちをする場面。これはネタバレにはならないだろうから書くが、そうか、ジャンはナワルの遺言の内容だけではなく、手紙の内容も知っていたのか、と思った。つまりこれは、「ナワルがいつ遺言状を用意しようと考え、実際に用意したのか」という話になるのだが、正直その辺りの時系列は映画からは分からない(そもそも、「プールである事実を知った日」と「倒れて入院した日」は同じ?)。ただ、ナワルがジャンに耳打ちする場面が挿入されたことを考えると、「ジャンがナワルの遺言状に関わるすべてを代筆した」と考えるのが自然な気がする(実際にそういう場面もあった)。だとすると、冒頭でジャンが「驚くべき遺言だが」と、さもその時初めて知ったかのように口にしたのは演技だったのだろう。たぶん。あんまり自信はないけど。

あと冒頭で、大学の数学助手として働くジャンヌを紹介するくだりで、教授が学生に対して、「これまでは決定可能な問題を決定可能な手段で解いてきましたが、これからは、解決不能な問題という困難に立ち向かうことになる」みたいなことを言うんだけど、これは、その後のジャンヌの歩みを暗示するようなものだったんだろうなぁ、と思う。もちろん、「1+1=1」という、非常に印象的な場面が自然に挿入されるように、ジャンヌの職業が数学助手に設定されたのだと思うけど、その上でさらに、「数学に向き合う困難さ」を「その後のジャンヌの調査の困難さ」と重ね合わせるセリフは、とても上手いなと感じました。

個人的には、映画のラストで双子の兄姉が読むことになる手紙の内容が、微妙によく分からないんだよなぁ。「2人の物語は約束から始まった」みたいな一文が、何を指しているのかイマイチ理解できない。映画の中では、ジャンが頻繁に、「公証人にとって『約束』は神聖なものだ」と言うけど、つまり、「ナワルの遺言から始まった一連の流れ」のことを「約束」と言っているのか。あるいは、監獄を出たナワルが車の中で言われた「約束」なのか。あの最後の手紙の意味がもうちょいしっくり来るといいなぁと思う。

しかしホントに、メチャクチャ良い映画を観たなぁ。この物語については、折に触れて思い出すような気がする。

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