【映画】「フラッグ・デイ 父を想う日」感想・レビュー・解説

昔、偽札を見つけたことがある。書店でアルバイトをしている時だ。

お客さんから受け取ったのは僕じゃない。前の人と交代でレジに入り、レジの中のお札を数えている時に、手触りで違和感を覚えたのだ。まさかな、と思いつつ取り出し、一応透かしをチェックしてみたら、やっぱりなかった。おいおいマジかよ、って感じだ。夜のシフトで働いていており、当時夜の時間帯には社員がいなかったので、先輩バイトに相談してみたら、「自販機に入れてみたら?」と言われた。なるほど、確かに。で、やってみると、やっぱり通らない。

というわけで僕は、閉店後、その偽札を持って近くの警察署へ行き、あーだこーだ話してきた。ちなみに、その時に対応した警察官が配属されたばかりの新人で、マジでクソみたいな訳わからん質問しか繰り出さなかったことにイライラしたことも覚えている。

しかし、何よりも不思議だったのは、その偽札が千円札だったことだ。僕は手触りで気づいたが、受け取っただろうスタッフは気づかなかったはずだし、僕としても、微妙な手触りの違和感と透かし以外に、偽札だと思わせる所見は見つけられなかった。それだけの技術があるなら、なぜ一万円札を作らなかったのか。それが謎である。

何故こんな話しから始めるのか。それは、映画『フラッグ・デイ 父を想う日』の主人公の父親が、アメリカ史上最大級の偽札事件の犯人だったからだ。この映画は実話を基にしている。原作は、ジャーナリストであり、偽札犯の娘であるジェニファー・ヴォーゲルの回顧録。今、公式HPを見ながらこれらの情報を書いているのだが、映画を観る時点では知らなかった驚きの情報も書かれていた。この映画の監督は、偽札犯である父親を演じた俳優ショーン・ペンなのだが、その娘であるジェニファーを演じたのが、ショーン・ペンの娘であるディラン・ペンなのだそうだ。なるほど、実の親子が親子役を演じているのか。その重ね合わせも、なかなか面白い作品だと想う。

映画のタイトルになっている「フラッグ・デイ」というのは、アメリカにおける記念日、6月14日の「国旗制定記念日」のことを指すそうだ。この映画の予告の中で、「フラッグ・デイに生まれた人間はロクでなしだ」みたいなセリフがある。まさにその偽札犯がフラッグ・デイに生まれたことにちなんでつけられたタイトルなのだが、何故「フラッグ・デイに生まれた人間はロクでなしだ」みたいな話が出てくるのかは日本人である僕にはイマイチよく分からないままだった。「フラッグ・デイに生まれたこと」が、人間の資質に何か影響を及ぼす、少なくとも偽札犯はそうだった、ということを示唆するためにこのタイトルにしたはずで、その理由については映画の中で語られていた。

「フラッグ・デイ」は国民的な祝日であり、街中ではその日を祝うパレードやお祭りなどが開かれる。日本の場合、ちょっと比較できるような記念日がないように思うが、ひな祭りを行う3月3日や、こいのぼりを飾る5月5日みたいな雰囲気が近いかもしれない。

いずれにせよ大事なことは、「自分の誕生日に、世間がお祭りをやっている」という状況だ。「フラッグ・デイ」に生まれたすべての人がそうではないだろうが、少なくとも偽札犯は、「フラッグ・デイに生まれた自分は『祝福されて当然の存在』だ」と感じるようになった、と映画の中で触れられていた。娘のジェニファーは、そんな父親の感覚を「歪んだ自尊心」と表現していた。『フラッグ・デイ』というタイトルを誰が考えたのか知らないが、もし娘が書いた回顧録のタイトルが『フラッグ・デイ』なのだとしたら、「フラッグ・デイにさえ生まれていなければ」みたいな気持ちが込められているのかもしれない。

偽札犯であるジョンは、なかなかヤバい奴である。そして、こういう奴いるよなぁ、と思わされる存在でもある。僕も1人知っている。

ジョンの妻(ジェニファーの母)は、大人になったジェニファーにこんな風に言う。「あの人は、自分の嘘を信じ込む」。本当に僕は、身近にそういう人間が1人いるので、なんとなく分かる。

そういう人は、自分が嘘をついているつもりはない。自分が発するすべての言葉は、発した時点では「本当のこと」のつもりである。それが過去の出来事であれば、視点や捉え方を歪ませることで「本当のこと」であるように見せようとするし、それが未来のことであれば、言葉を発した時点では未来が確実にそうなる予感を抱いている。そういう人間は、結果的に「嘘」が積み上がっていくことになるのだが、詭弁を弄したり、あるいはジョンのように現実逃避したりすることで、自分の中のつじつまを無理やり合わせようとする。

しかし、破綻を先送りにするのが上手い彼らのような存在は、パッと見とても魅力的に映る。娘のジェニファーも、父・ジョンのことをヒーローのように考えていた。子ども時代の彼女は、父親が「平凡な日々を見違えるような日常に変えてくれる魔法のような人」だと思っていたのだ。しかしその魔法は、借金によって賄われていた。そして、支払いが滞るようになったためジョンは逃亡、母親は送られてくる請求書に絶望する日々を送ることになる。

『無謀で衝動的な行動の裏に、完璧な計画が思わせる魅力が備わっている』

ジェニファーだったか、彼女の母親だったか忘れたが、ジョンについてこんなふうに語る場面もあった。つまらない舞台裏やお金の話は全部未来に先送りして、「純粋な楽しさ」だけを抽出して見せるのだから、そりゃあ「魔法」にも見えただろう。先送りされたものを押し付けられる妻も大変だ。

そして映画で描かれるのは、そんなロクでなしな父親を、「ロクでなし」だと気付かされた後も愛情深く感じてしまうジェニファーなのである。子ども時代からややこしい両親の元で育てられ、大人になってからも苦労が耐えなかった彼女が、それでも「父親への愛情」を消すことができなかった、その苦しみみたいなものが強く描き出されていると感じた。

内容に入ろうと思います。
1992年。史上最大と言われる偽札事件を起こしたジョンは、裁判を目前に逃亡した。娘のジェニファーは警察に呼ばれ、状況の説明を受ける。そして彼女の記憶は、子供時代に遡っていく。
父は借金で家を飾り立てたが、支払いが出来ずに行方知れずとなる。父親は昔から、度々姿を消し、自分の存在を認めてほしい時にだけ再び顔をだすような人物だった。ジェニファーは弟のニックと母親の元で生活するが、仕事もなかなか上手くいかず、請求書の山に埋もれる母は酒に溺れてしまう。そんな状況に嫌気が指したジェニファーは、幼いながらも母親に「お父さんと暮らす」と宣言。ニックと共に、若い恋人と暮らす父親の元へと移り住んだ。
しかしその後も、彼らの生活は不安定なままであり、やがてジェニファーとニックは、母の再婚相手と4人で生活を始める。
その再婚相手に寝ているところを襲われたジェニファーは、こんなところにはいられないと、家を出る決意をするが……。
というような話です。

全編に渡って「家族であることのややこしさ」が描かれる作品であり、父親への親愛の情を捨てられるにいるジェニファーが露わになる。僕には彼女の感覚は分からないが、きっと分かる人もいるだろう。比較していい話ではないかもしれないが、自分に暴力を振るう男性に愛想をつかしたり嫌いになったりできない女性の話を聞くこともある。目の前に存在するマイナス以上に、プラスの何かが認識されてしまうということなのだと思う。同じような葛藤に晒されている人は、結構いるんだろうと思う。

正直僕は、「家族の話」にさほど関心が持てないので、映画全体を貫く「家族とは何か?」みたいな問いかけにはさほど興味を持てなかった。ただ、ジョンという人間の異常っぷりや、ジェニファーが独力で人生を立て直していく過程はなかなか面白かった。

個人的にとても気になるのが、ジョンは一体どのように精巧な偽札を作ったのか、だ。映画の冒頭で刑事が、「とても高度な技術だ」と語っていた。インク・紙質・重さ・透かし・印板・金属箔、そのすべてが完璧だったそうだ。ジョンは半年間で5万ドル分を流通させたが、実際に印刷したのは2200万ドル分だそうだ。最長75年の懲役刑が課される可能性があった。

以前、真保裕一『奪取』という小説を読んだことがある。まさに、偽札作りをモチーフにした小説だ。日本の一万円札を作る話であり、お札の紙にはどんな素材が使われているのかや、印刷にどのような技術が用いられているのかなど、かなり詳細に書かれていた。すぐにはバレない程度の偽札を作るのには相当な労力が必要だと感じさせられたし、よほどの覚悟がなければ割に合う作業じゃないと思う。

そんな『奪取』を読んだ経験があったので、ジョンの偽札作りのやり方が気になってしまった。アメリカの紙幣だってかなりの技術で作られているのだろうし、そう簡単には偽造できないだろう。『フラッグ・デイ』の中では、偽札作りについてはほぼ描かれないので、仲間と共謀して行ったのかなどさっぱり分からないが、正直なところ、「そんな根気があるなら、他のところで発揮すればよかったのになぁ」と思わされてしまった。

ちなみに、レジで偽札を見つけた後、それがニュースになった記憶がない。結局あれはなんだったんだろう?

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