〈36〉看護師たちの「菩提心」
※文化時報2022年7月15日号の掲載記事です。
「極楽往生を願う大切さが分かりました」。無宗教を自認する、ある看護師が言ってくれた。
ある授業で、当方のデイサービスで毎年行っている盂蘭盆会(うらぼんえ)法要を紹介した。法要に縁のない看護師らは「死を連想して利用者さんが怖がらないのですか?」といぶかしむ様子。筆者は「写真の利用者さんの表情を見てください」と促した。そして「穏やかな終末期を願うなら、宗教者の力を借りてほしいのです」と付け加えた。
看護師は患者を看取(みと)ることが多い。少しでも穏やかな最期であってほしいという気持ちは強いだろう。
冒頭の看護師は、長年モヤモヤしたものが胸につかえていたそうだ。お仏壇に手を合わせる高齢者の写真を見て、心にストンと落ちたと言ってきたのだ。一人でもそこに気付いてくれたなら授業をしたかいがある。
が、ついつい欲が出てしまい「まだ信じられないなら、今年の盂蘭盆会法要に来てください」と知らせた。何人かの看護師が参列してくれるそうだ。
大学の授業で、学生がこう言ってきたこともある。「お寺離れは時代の流れと思っていたが、実は仏教を伝える人が少なくなっただけだと分かりました」と。仏教学科の学生だった。将来は地元に帰って住職となるのだろう。
世の中の人がどんどんお寺から離れていって、将来をとても不安に感じていたそうだ。それが、仏教をしっかり伝えていない結果だと気付いたという。法話はお寺に集まって聞くだけではない。生活のあらゆるシーンで可能となる。仏教を伝える役目を負っている者は、日頃から仏教を学ぶことを怠らず、相手によって伝え方を工夫していく必要があるだろう。
筆者が「福祉仏教」を提唱するのは、医療・福祉の現場は、仏教へのニーズがとても高いと分かっているからだ。特に医師や看護師は常に患者や家族と向き合っているので、その気持ちがとても強い。それを「菩提心」というのではないだろうか? 師となる僧侶に出会っていないだけだろう。(三浦紀夫)
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